初めてゆっくり過ごす朝
広い庭園の真ん中には、淡い水色の柱がかわいらしいガゼボがあった。
アレンディオ様はそこへ入り、私は恐る恐る隣に座る。
六角形の石のテーブルは隣に座っても微妙に顔が見える角度で、それでいて目を合わせずにいても不自然じゃないからとても助かった。
小鳥たちのさえずりがかすかに耳に届く中、運ばれてくる料理を待つというとても平和な朝。そういえば、こうして二人でゆっくり過ごすのは初めてかもしれない。
美しい花や草木を眺めていると、次第に収まってきた心音に安堵した。
「昨日、バラ園へ行ったと聞いた」
「ええ、ヘルトさんに案内してもらって。とても、きれいでした」
バラ園の名前は絶対に変えてもらいたい、そんなことを思い出す。
切り出すタイミングがわからないな、と思っていると、アレンディオ様が控えめな笑みを浮かべて言った。
「その、植え替えてもいいんだからな?あれは俺が勝手に指示したから、ソアリスが好きにしていいんだ」
「植え替える?何のことです?」
あんなに素晴らしい庭なのに。何がダメなのかしら?
アレンディオ様の意図することがわからない。
きょとんとしていると、彼は首筋に手を当てて、困ったように笑った。
「さっきニーナに聞いた。ソアリスが一番好きな花は、百合だと。俺はどうやら間違えていたらしい」
ニーナったら、言わなくてもいいことを……!
事実として、「花で何が好き?」と聞かれたら百合と答えるんだけれど、今あるバラを植え替えてまで百合じゃなきゃ嫌だなんてことはまったくないわけで。
あれほどの庭を造るのには、時間もお金も労力もかかっているはず。これ以上どうこうしたいなんてあるわけがない。
「ニーナが失礼を……!すみません、その、植え替えるだなんてもったいないです!あんなに見事なバラは見たことがないくらいで、とても感動しました。王女宮にもバラはありますが、ゆっくり見る時間はなかったので……。それに私は、バラも百合も好きなんです」
「そうなのか?」
「はい」
「それなら、あのままにしよう」
「あ、でも」
これだけは伝えなければ。
「バラ園の名前だけは絶対に変えてください。あの立て看板は撤去でお願いします」
「名前?……承知した」
なぜ、意外そうな顔をするの!?
アレンディオ様のセンスってどうなっているの!?
やっぱりあのキノコのぬいぐるみも、この人が自分で選んだのかな……。きらんと光る黒曜石の目が思い出される。
救国の英雄はやはり目がおかしいのでは?
真剣にそんなことを考えていると、会話が途切れていることに気づく。
アレンディオ様は次の言葉を探しているみたいで、今さら何を悩むのかと疑問に思った。
何だか10年前に戻ったみたいで、私はつい笑ってしまう。
「ふふっ……ふふふふ」
アレンディオ様は、不思議そうな顔で私を見る。変な女だと思われたら困るので、私はすぐに理由を伝えた。
「いえ、あの、何だか昔みたいだなぁと思いまして。あの頃、アレンは何も喋ってくれませんでしたから、てっきり嫌われているのだと思っていました。何を言っても『あぁ』『いや』『そうか』としか答えてくれなくて、目だってあんまり合わせてくださらなかったでしょう?笑顔なんて一度も見たことがなかったですし」
「それは……!」
「あぁ、責めているわけじゃありませんよ?ごめんなさい、昔のことを……。ただ、懐かしくなって」
笑いながらこんなことに口にできるなんて。
10年という月日の長さを感じるなぁ。
まだ笑いが収まらない私に対し、アレンディオ様は申し訳なさそうに言った。
「俺の方が3つも年上なのに君に気を遣わせて……あのときは本当に本当にすまなかった。それに、戻ってきてからも独りよがりで、君のことをたくさん傷つけた。どこまでもいい夫じゃなくて、申し訳なく思っている」
あなたに足りなかったのは、口数だけではないだろうか。
戻ってきたときに豹変していて困惑したけれど、傷ついたことはないような気がする。
「10年ぶりにようやくソアリスに会えたと思ったら、自分を抑えられなかったんだ。王女宮にまで押しかけて、いきなり邸に連れ帰るなどやってはいけないことだったと今ならわかる」
すごい!自覚している!
でもここで「そうなんです、迷惑でした」とは言えない。そんな心臓は持ち合わせていないのだ。
「懺悔してもらうようなことではありません。さすがに今後はやめていただければと思いますが」
彼は苦笑いで頷いた。
誰かに叱られたのかしら?こんなに反省するなんて。
「「…………」」
何かあったのかと探るように見つめていると、アレンディオ様に熱の篭った目で見つめ返された。
「ソアリスの顔が見られて、話が出来て、触れられる距離にいて……幸せすぎで目眩がしそうで。まぁ、それは今も同じなんだが」
「っ!」
うああああ!息が止まるかと思った!!
気を抜くと魂ごと抜かれそうで、ぐっとお腹に力を入れてこの世に踏みとどまらないといけない。
少し照れたように笑ったアレンディオ様は、ムダに色気を撒き散らしている。
稽古の後に少し火照った肌、逞しい体躯、穏やかで優しい声。
そして、私のことを労わるように見つめる蒼い瞳。
これ以上、見つめてはいけないと脳に警鐘が鳴り響き、私は慌てて目を逸らした。
「どうかしたのか?」
「い、いえ。何でもありません」
アレンディオ様が探るような目を向けているので、私は手をブンブン振って虚勢をはる。
動揺していると悟られたくない。
「ユンがお茶を持ってきたら、膝かけを頼もう。やはり少し冷えるから」
「はい……」
この人は、やっぱり優しい人なのだと思う。
昔は、それが口に出せなかっただけ。
そっけない態度は子どもだったから。
そんな当たり前のことが、今さらながら胸にストンと落ちた。
「ソアリスは気を遣い過ぎる。遠慮しないで何でも言って欲しいと思うのは、単に俺のわがままなんだが……。それでもソアリスのためなら何でもしてやりたい。君はたった一人の大切な妻だから」
そっか。
「妻」を大事にするのは血筋なのかも。
なんと言っても、ヒースラン伯爵家が極貧だったのは亡き奥様の治療代にすべてを注いだからで、妻は大事にしなさいっていう教育があったのかもしれない。
形だけの妻の私にも、彼は誠実であり続けるつもりなんだ。
戦場から贈り物をしてくれたのは、そんな彼の誠意だったのに。私はそれを知らずに、自分のことで必死だった。
彼をいないものとして、生きてきてしまった。
ひどいことをしてしまったと、胸がズキリと痛む。
贈り物のこと、早く父から詳しく聞かなくては。そして2人でアレンディオ様に謝罪をしなきゃ。
そんなことを考えて俯いていると、大きな左手がそっと私の顎を持ち上げ、美しい蒼い瞳がじっと覗き込んできた。
「あまり眠れなかったか?顔色がよくない」
「っ!」
こ、これは無理ぃぃぃ!
この距離は無理!!
慌てて目を閉じて顔を背けると、全力の拒否が伝わったらしく、彼はパッと手を離して謝った。
「すまない、勝手に触れて……。気をつけようと思ったのに、つい無意識で」
「あの、はい、ごめんなさい。すみません」
なんで私は謝っているの!?
顔が真っ赤になっているのが鏡を見なくてもわかるから、顔を上げられない。
ユンさん早く来てー!
誰か私を助けてー!
たかだか5分程度が、永遠のように長く感じた瞬間だった。




