父の来訪
アレンディオとソアリスは、互いに仕事が忙しく、会う時間を取ることができずに5日が経過した。
騎士団と金庫番の業務室には、毎日手紙が届くようになっている。
『会えなくても君がどうしているか知りたい』
そんなことを言いだしたアレンディオが、金庫番の業務室に手紙をよこしたのが始まりだった。
ソアリスとしては、手紙が来るから返事をしないわけにはいかない。
アレンディオとしては、返事が来るのがうれしくてまた手紙を書いてしまう。
たった5日で8通もの手紙をやりとりしている二人は、城内で「情熱的な夫婦」として温かい目で見られていた。
夫ならば手紙を返さなくてもいい、そう考えることもできるのだが、未だ心の距離を置いているソアリスは律儀な性格が災いして無視することができない。
一体、いつこのやり取りは終わるのだろう……そう思いながら妻は今日も返事を書く。
(質問文があるから、答えないわけにはいかないのよね)
アレンディオに文才はないが、ソアリスがどうしているかが気になりすぎて、自然に質問形式で書いてしまう。そうなると絶対に返事が来る、本能でわかっているのか天然なのか、二人の手紙は続いていた。
「ご機嫌ですね」
手紙を受け取り、昼休憩にそれを何度も読み返すアレンディオを見てルードは苦笑いだ。
だが、アレンディオの仕事が捗るなら自分が手紙を持って行ってもいいとすら思う。
「ソアリスは文字まで可愛いんだ。もう5日も会えていないなんてそろそろ限界だ」
「一度お邸に帰ったらどうですか?書類ごと」
騎士団の詰め所で寝泊まりしているアレンディオに、仕事は減らないが帰れというルード。
帰ったところでソアリスがいるわけではないのだから、別に邸に帰る意味はないとアレンディオは嘆く。
「ソアリスがいるなら帰るけれど……さすがに金庫番に押し掛けるのは迷惑だろう?」
「その判断は正しいです」
ソアリスがいるのは、王女宮。第一王女の邸ともいえるその一角に、妻に会いたいがために男が押しかけるのはもってのほかだ。再会したとき、一度それをやってしまっているだけに二度目はきびしい。
一度目は10年ぶりということで、国王陛下も王妃も笑って許してくれたが、騎士団を率いる長が規律を乱すわけにはいかないのだ。涙をのんで、王女宮への突撃は断念した。
「寮の部屋へ会いに行けばよいのでは?」
「二人部屋だそうだ。夫が押しかけて、相部屋の女性に迷惑をかけるわけにはいかない。ソアリスは仕事を大事にしているから、邪魔になるようなことは絶対にしたくないんだ」
「意外と理性的に考えているんですね。意外です、意外」
意外を連呼するルードを、アレンディオはじろりと睨む。
そしてため息を吐くと、テーブルにあった紅茶を飲み干して言った。
「嫌われたくないんだ。でもそうなると、できることが少ない」
まるで初恋に悩む思春期の少年だな、とルードは思った。怒られることがわかっているから、あえて口には出さないが。
しかしここで、ふとパレードでのパフォーマンスが気にかかった。
「アレン様、なぜ奥様にカラーを贈るようなことをなさったので?奥様は目立つことを好まない、控えめな方ですよね。それに、アレン様だって」
注目を浴びるのが好きならば、これまで補佐官である自分が将軍代行として参加した数々の式典や授与式は一体何だったのか。
ルードは疑問に思って尋ねた。
アレンディオは遠い目をして、パレードの日のことを思い出す。
「仕方ないだろう。俺には最愛の妻がいると国民に知らしめて置かなくては、というより貴族院のヤツらに見せつけておかなくては、ソアリスを守れない。ソアリスに指一本どころか、同じ空気を吸っただけでただで済むと思うなと見せつける必要があったんだ」
息くらい吸わせてやれよ、とルードはじとりとした目でアレンディオを見る。
「まぁ、ヤツらは姑息ですからね。疑いの目を向けるまでもなく奥様を愛していると、知らしめたのは正解です」
成人前の政略結婚。
これは隠し通せるものではない。
しかも現在の力関係は逆転し、ヒースラン伯爵家の方が爵位も財力も上になっている。
そうなれば「将軍は妻と別れたがっているのではないか」と邪推し、己の都合のいいように解釈する者が現れる。
アレンディオは先手を打ち、絶対に別れるつもりはないとアピールしたのだった。
「あんなパレードはひと思いに街を駆け抜けてやりたかったが、注目を集めるためにわざわざゆっくり進んだんだ。人々の視線を集めるなど、鳥肌がすごかった」
「あれでも、通常より進みは早かったですけれどね」
「おかげで祝宴では、誰も俺に縁談を持って来なかった。まだ生きていたいヤツらばかりでよかった」
ふっと口元を緩めるアレンディオ。おかげでルードが囲まれるハメになったのだが、あいにくこちらの補佐官はのらりくらりと躱すのが得意なので問題ない。
「ソアリスには苦労をかけた。これからは、ずっと笑っていて欲しいんだ」
「そうですね」
「待たせた分、俺のすべてを尽くして幸せにしてやりたい。何でも願いを叶えてやりたい。ソアリスは無欲だから今のところ打つ手がないのだが……」
(奥様に、アレン様のこういう一面が伝わればいいんだけれど。やってることはけっこう大胆で豪快だからなぁ。意外に繊細でかわいいところもあるんだが)
妻に関してのみ、アレンディオの繊細な部分は顔を出すらしい。
部下としては、ようやく会えた妻と幸せになって欲しいと常々思う。
そして、早く帰りたい。
補佐官は、アレンディオの私的な部分もカバーする存在であるため、彼が早く帰ったとしても仕事はある。
上司の精神衛生がよくないと、補佐官は一気に忙しくなるのだ。
「まぁ、今日の来客次第ではソアリスに会えるが」
タイを結びなおし、席を立つアレンディオ。妻のことを口にしただけで、ほわっとした雰囲気が漂う。
扉を一歩出ると、その顔つきは誰もが恐れる常勝将軍らしい凛々しさに早変わりするから、どちらのアレンディオが本当だろうかとルードはたまにわからなくなる。
午後1時になる少し前。
そろそろ客人が応接室へやってくる時間だった。
「ソアリス様のお父様が来られるんですよね。もうそんな時間ですか。あれ、それならそれで、最初からソアリス様に同席していただけばよかったのでは?」
実の父親が、2日かけてやって来るのだ。
ソアリスだって会いたいはずだとルードは不思議に思う。
「それが、ソアリスには自分が来たことを話さないでくれと。内密に話があると言われている」
「へぇ、それはまた……」
面倒事な予感がするな、とルードは思う。
「お金を貸してくれ、とかそんな話でしょうか?」
リンドル子爵家が極貧にまで落ちていたという情報は、ルードの耳にも入っていた。
改めて調べなおすと、ここ1~2年はそこまで貧乏ではないものの、かつての栄光は見る影もなく、細々と商会を営んでいる父親はすっかり田舎でおとなしくしているらしい。
「どんな話でも、ソアリスのためになるなら協力は惜しまない。それに、結婚式の話もしたいしな。ちょうどよかった」
「そうですか」
二人は離れにある、一軒家へと向かう。ここは応接室や救護室があり、事前に連絡さえすれば一般人も入れる区域だ。
到着すると、受付の文官からすでにリンドル子爵が到着していると教えられた。
時間にはきっちりしているタイプらしい。
しっかり者のソアリスの父親らしいな、とアレンディオは心の中で呟いた。
応接室では、くたびれた茶色の上着を着た40代半ばの男性が神妙な面持ちで座っていた。
ソアリスの父、セルジオ・リンドル子爵だ。
濃い茶色の髪はすっきりと短く、アレンディオより少し低いくらいの背丈で、これといって特徴のない顔立ち。笑うと穏やかで若く見えるその雰囲気は、どことなくソアリスに似ていた。
アレンディオがやってくると、義父である彼は弾かれたように席を立って挨拶を交わす。
「お久しぶりでございます。ヒースラン将軍」
日焼けした肌はかさついていて、裕福な暮らしをしていないことは見てすぐにわかる。
ただ、衣装はくたびれてはいるものの丁寧に手入れされていて、元は上質なものだったんだと見る人が見ればわかる素材のいい服だった。
このあたりは、さすがは成り金と呼ばれていた商家の男だとルードはじっと観察していた。
「義理とはいえ、息子です。アレンと気軽に呼んでください」
アレンディオは労わるように義父に声をかけ、ソファーへの着席を勧めた。
しかし、その言葉に感極まった義父は、着席するどころか床に座って深く頭を垂れた。
「義父上!?」
アレンディオは衝撃のあまり、目を見開いて動きを止める。
ルードは平静を装っているが、内心は荒れていた。
(えええええ!?いきなり謝る気満々って、何事!?)
動揺する二人の前で、苦悶の表情を浮かべたリンドル子爵は震えた声で懺悔を始めた。
「私は、ヒースラン将軍に大変申し訳ないことをいたしました……。謝っても謝りきれないことを」




