そして味方はいなくなった
ーー英雄将軍と、彼を信じて10年間も待ち続けた妻。
パレードからたった一夜にして、人々が喜びそうな純愛物語が出来上がっていた。
新聞の一面にそんな記事が出ていて、思わずそれを燃やしそうになる。
仕事が速すぎるぞ新聞社!
もっと重要なネタがあるでしょうよ!?戦後処理のこととか、財務のこととか、景気回復のための貿易減税とか!!
それに、もうすぐ王女様のお誕生日だ。
隣国から使節団がお祝いを述べに来る、そっちの特集をしてよ!
アレンディオ様は夜更けすぎに邸に戻ってきたそうで、その頃すでに私は眠っていた。あれは多分、気絶という。
そして今朝、彼はいつもより早めに騎士団へ向かい、顔を合わせることもなかった。
朝食のプレートの横に、『今度は二人で出かけよう』というメッセージカードが添えてあり、この人はこんなにマメな人だったのかとまた異常な……いや、新たな一面を見た気がした。
初老の家令・ヘルトさんに聞いたところ、「新婚の夫婦ではこういうことをする」とのこと。
し、ん、こ、ん?
では、新婚でもないアレンディオ様がこんなことをする理由は一体何なのか。捨てるのも怖くてそっとポケットに仕舞ったら、ユンさんに「あらあらあら」ってまるで大事なものを仕舞ったかのような反応をされた。
違うから。
捨てたり燃やしたりして、何か恐怖現象が起こったら怖いから持って行くだけ。
いずれ時が来たら処分しようと思っている。
アレンディオ様が私のために用意してくれた馬車で、揺られること40分。寮ならば徒歩15分で通勤できるから、邸を早めに出た。
今日からまた寮に泊まるので、と使用人の皆に告げると悲しそうな顔をされた。
美形の主人が1人いれば十分だろうに、お邸の人たちはお世話をしたくてたまらない集団らしい。
少ない着替えを詰めたバッグを手に、一度寮へ戻ってから出勤した。
ドレスよりも、白いシャツに青いタイ、細身の上着に黒のタイトスカートというシンプルな制服がやっぱり私には合っている気がする。
通常業務をこなし、あっという間に昼休憩になったところで馴染みの二人に個室へ拉致されて現在に至る。
「昨日のあれ、すごかったわよね~!もうびっくりしちゃった!」
メルージェが、感嘆と共にいきなり話題を振ってきた。
「びっくりしたのは私よ!あんなこと公衆の面前でされるなんて聞いてなかったんだから!」
聞いていたら、断固拒否しただろうな。
仮病を使って邸に立てこもるくらいはしたはず。
アルノーはパンをもぐもぐと咀嚼し終わると、「あれは確かにびっくりした」と笑って言った。
「英雄に妻がいるっていうのも本当は公表したくなかったのに、あんなことされたんじゃ私が平凡顔の冴えない女だってことまで有名になっちゃう……!あああ、これから嫌がらせとか始まるのかな。『アレンディオ将軍と早く別れなさいよ!』って、美女に詰め寄られたりして」
なんてったって、彼は英雄だ。
昨日オープンになった「英雄の妻コレじゃない感」は、嫉妬と憎悪を生んでいるはず。
それに新聞には、15歳と12歳の政略結婚ってはっきり書いてあったもの。それが純愛になったって書かれていたけれど、しょせんは親の決めた結婚だって、二人を別れさせなければって燃えるご令嬢もいると思う。
昨日、アレンディオ様が出席した宴には高位貴族のご令嬢も参加していたと聞く。
本当は国の重役と王族、そしてアレンディオ様ら勲章持ちの騎士だけの宴だったのに、縁を結ばせようと娘を連れてきた人がいたってユンさんが言っていた。
さすがは諜報員(?)。耳が早い。
きっとそこで、アレンディオ様は少なからずアプローチを受けたはず。誰かにデートに誘われたかもしれない。
「早く離婚申立書を渡さないと。私はお飾りにもならない妻なのに、嫌がらせとかされたらたまらないわ」
盛大にため息を吐くと、メルージェとアルノーは苦笑いで目を見合わせた。
「……何?私、何かおかしなこと言ったかな」
二人して何だって言うの?
眉根を寄せて尋ねると、メルージェが私を宥めるように言った。
「ソアリス、あなたに二つ名がついているんだけれど知っている?」
「二つ名?え、昨日の今日で?」
メルージェは静かに頷いた。
一体どんな名前がついたのだろう。嫌な予感がする。
「英雄将軍の平凡な妻?それとも、没落したくせに英雄に縋ってる普通顔の妻?」
「自己評価が低いね~」
アルノーはそう言うけれど、私に対する世間の評価なんてそんなものだと思う。
「じゃあ、一体どんな二つ名がついたのよ」
一応、ブスではないと思うんだけれど……。
不安げにメルージェを見つめると、彼女は笑いを堪えながら教えてくれた。
「貞淑な英雄よ」
「は?」
貞淑な英雄って、英雄?私は戦に行っていませんけれど?なんの功績もなく、没落した実家があるだけの女だ。
予想外すぎる二つ名に、私は目を瞬かせた。
「あの美貌の英雄将軍を虜にしている、貞淑な英雄だって。平凡な顔なのに英雄を恋に堕とした、令嬢たちの英雄よ!」
「はぁぁぁ!?」
メルージェは、おもむろに机の上にあった花瓶を指差す。そこには淡い桃色のガーベラが活けられていた。
そういえば、今日はやたらとこの花を見るな。
「今朝、金庫番や王女宮に花がたくさん届いたのよ。あなたのファンからだって」
「ファン!?」
「花言葉は、勇気とか応援とか……だっけ?」
アルノーがなるほど、と頷いた。
いやいやいや、なるほどじゃない!
「国王陛下から賜った花を贈るくらい、将軍は妻を愛しているんだって広まったからなぁ。普段は笑顔を見せない英雄将軍が、妻の前では誰よりも幸せそうな顔をするただの男になるって話題騒然だよ。絶世の美女が相手でもそれは話題性があっただろうけれどさ、ごくごく普通の妻が溺愛されてるところがウケがいいらしい。年頃の令嬢は皆、『女は見た目じゃない!』って勇気づけられてるって」
平凡顔の女が、みんなに勇気を与えているってこと!?
嫉妬されるどころか、期待の星みたいな盛り上がりらしい。
「恥ずかしくて死にそう……!!」
美貌という武器なしで、将軍を堕とした女だと認定されたってことでしょう!?
メルージェはそこまでは、とフォローしてくれたけれど、結局はそういうことだ。
ここで私はハタと気づく。
アレンディオ様に、誰か美人がアプローチしてくれればいいなって思っていたけれど……
「え、私を蹴落として英雄将軍の妻の座を奪おうっていう美女は?」
「「いない」」
二人の声がハモる。
「はぁぁぁぁ!?」
おかしい!もっとドロドロしているわよね、小説や世間のゴシップって!
皆に応援されちゃったら、アレンディオ様が美女と恋に落ちて私という「それじゃない感」の妻と離婚するチャンスが少なくなっちゃうじゃないの!
彼は律儀だから、好きな人ができない限り離婚しようって言わないと思う。
舞踏会やパーティーで出会いのチャンスがあればって思っていたのに!
「「もう諦めなさい」」
うわぁ、同僚に見捨てられた!
「あなたたち私の味方じゃないの!?」
アルノーは笑う。
「あぁ、それにうちも儲けさせてもらおうと思っているんだよね~。ソアリスの髪ってきれいだから、『女は顔や体じゃなく髪だ!』ってことで香油を積極的に販売しようと思ってる」
商家の息子は、お金のにおいを嗅ぎつけていた。
これって私が離婚したら、商売あがったりなんじゃ……。
「いやぁ、ドレスを貸した甲斐があったよ!今度、香油で儲かったら新しいドレスを贈らせてもらうからさ!せめてもうちょっと、離婚しないでいてくれるかな」
「まさかの他人の商売のために離婚延期!」
私はテーブルの上に力なく上半身を倒れさせる。
誰がこうなることを予想できただろう。
10年ぶりに再会したら、離婚申立書を渡して慰謝料や財産分与で揉めずにあっさり離婚するものだとばかり思っていた。
それが、アレンディオ様はなぜか私を好きな感じを醸し出してくるし、王都中に平凡顔の妻だと知られるし、離婚は申立書すらまだ渡せていないし……。
話し合いもできず仕舞いだ。
「あぁ~、もう何もかもがうまくいく気がしない」
「「それで何か問題が?」」
ダメだ。
金庫番にも私の味方はいないらしい。
この日は雑念が多すぎて、まったく仕事がはかどらなかった。
めずらしく残業した私は、メルージェと食堂で夕飯を食べ、寮へと戻っていった。




