英雄の妻はおいかけっこする
翌朝、私はいつも通りに王女宮へ向かった。
アレンは私を通用口まで見送り、騎士団へ向かう。
――ガチャッ
「おはようございます」
「おはよう。すぐ来てくれて助かったわ」
金庫番の業務室に入った私を出迎えたのは、軍医の制服を着たレイファーさんだった。
長い脚を組んで、私の机の上に腰かけている。
「どうして朝から金庫番へ?」
軍医さんが王女宮へ来たことは、これまで一度もない。
ということは、レイファーさんの目的はどう考えても私だろう。
「ここに花を回収しに来たんだけれど、記録よりもかなり少ないの」
手元の紙に視線を落とし、彼は言う。
「花?」
いつも届く、将軍の妻ファンの方からの贈り物のことだろうか。
私が首を傾げると、彼はようやく腰を上げて私の正面へやってきた。
「オレンジの花よ。匂いが強めの」
「あぁ、オレンジのアネモネですか?」
「そう。まぁ、正確に言うとアネモネじゃないんだけれど」
あれは匂いが強かったから、外に面している渡り廊下や回廊に移したような。
その他は、アルノーが持って帰った気がする。
記憶にあることを説明すると、レイファーさんは納得した表情になる。
「ここにないならよかったわ。あの花からも、精神が不安定になる成分が検出されたの」
「え、それって」
「あなた宛てだったってことは、そういうことなんでしょう」
私に対する悪質な嫌がらせ?
けれど、邪教信仰者が絡んでいるならそれは明確な悪意の塊だわ。
「あの花をずっと飾っていたら、私も精神不安定になっていたってことですか?」
「多分ね。仕事中にずっとあの匂いを嗅いでいると、気分が落ち込んだんじゃないかしら。この部屋になくて正解よ。ねぇ、今日、アルノー・スタッドは?花のことを聞きたいんだけれど」
「アルノーは、今日は昼からです」
彼の席は、すっきりと片付いている。
机の上には、インクの壺があるだけでほかには何もない。
レイファーさんはため息交じりに「わかったわ」と言い、金庫番室を退出しようと扉を開けた。
「アルノーには午後に医局塔へ来るように言ってちょうだい。金庫番室長には私から伝えておくから」
「わかりました」
見送ろうと廊下まで出ると、私のことをまじまじと見つめたレイファーさんが眉根を寄せる。
「あなた酷い顔よ。寝不足?」
私はどきりとして、頬に手を当てた。
いつもよりは寝る時間が遅かったから、確かに寝不足だった。
「野盗だけじゃなくアレンディオにも襲われたの?大変ねぇ」
「なっ!?違います!」
慌てて否定すると、レイファーさんは白けた顔で言った。
「冗談が通じない子ね。アレンディオったらなんでこんな子がいいのかしら。特別な美人でもないし、胸だってそんなに大きくないのに」
「余計なお世話です」
じろじろと胸元を見られ、私は思わず手で隠す。
自分が平凡だということは、誰よりもよくわかっていますよ!
「そうだ、後であなたもアルノーっていう子と一緒に医局塔へ来なさい。栄養剤を出してあげるわ。もちろん心配性のアレンディオにはきちんと許可を取ってあげるから」
レイファーさんが急に医者らしいことを言うので、私は驚いてしまった。
「何よ。私は幸せそうな人間は嫌いだけれど、人の身体は労わるタイプなの」
「あ、ありがとうございます」
なぜかしら、素直にお礼が言いにくいわ。
引き攣った笑顔でレイファーさんを見送ると、私はすぐに部屋に戻って仕事に集中した。
***
昼過ぎになると、アルノーが王女宮に姿を現した。
オレンジ色のアネモネのこと、レイファーさんからの招集を彼に告げるととても驚いていた。
ついでに、昨日私が襲われたことや邪教信仰者のことも一気に話したので、彼は呆気に取られていた。
「ソアリスといると退屈しないよ」
「それは不名誉なことだわ」
もっと平穏で平凡な毎日を望んでいるのに。
私が遠い目で答えると、アルノーはクックッと笑った。
レイファーさんのいる医局塔は、王女宮から薬草園などの脇を通って十分ほど。
騎士団の裏側にある。
アルノーと二人で移動中、演習場で模擬戦を行う騎士を横目にこれまでのことを話した。
「ヴォーレス公爵って、薬には詳しいよね。それなら、おかしな香水を作れても不思議じゃないな。まぁ、作っているのは配下の薬師だろうけれど」
王家のお抱え医師を多数輩出している名家で、しかも王太子妃候補だったマルグリッド様のご実家が国を揺るがすような悪事に手を染めているなんて。
アレンの話では、関係する家や団体の人間を続々と捕縛しているというから、ヴォーレス公爵家の衰退は免れない。
「ソアリスはマルグリッド嬢を助けたい?」
浮かない顔の私を見て、アルノーがそんなことを尋ねた。
スタッド商会もお家騒動やライバル商会との争いを繰り広げて大きくなったから、アレンたちと同じく「やられる前にやれ」みたいな空気感はある。
だから、マルグリッド様を憎みたくない私の気持ちはわからないらしい。
「失礼なことかもしれないけれど、同情というか共感というか……。そんな感じを持ってるのよ」
「共感?」
「家に人生を左右されるっていう部分で。貴族の娘は、親の意向には逆らえないもの。私の場合は、今でこそアレンと結婚させてくれたお父様に感謝しているし受け入れているけれど、相手が違えば私だってどうなってたかわからないわ」
「まぁそうかもね~。未だに自由にしてる俺からすれば、いきなり結婚させられるとか考えられないな。マルグリッド嬢も選択肢がなかったっていう見方ならかわいそうかもね」
私は小さくため息を吐く。
「でも助けたいって思ったところで、アレンがやろうとしていることの妨げにしかならないわ」
「本人に非がなくても、家が処罰されればどうにもならないもんなぁ」
一族郎党、関連する者にはすべてに影響が及ぶ。
特に大きな力を持つヴォーレス家だからこそ、その派閥の家々への影響は大きそうだ。
騎士団の敷地を抜け、王城の裏口へと差し掛かったとき。
アルノーがふと王妃様の薔薇園の方を見て呟くように言った。
「あ、噂をすれば」
「え?」
手に何も入っていない籠を持ったマルグリッド様が、庭園のアーチをくぐって出てくるのが見える。
マルグリッド様も私たちに気が付き、表情を曇らせたと思ったら突然走って行ってしまった。
「待って!」
なぜかはわからないけれど、私はすぐに彼女を追って走り出していた。
ドレス姿のマルグリッド様は、私が声をかけたと気づいているはずなのに止まる気配はない。
「マルグリッド様!」
話がしたい。
そう思ってしまった。
生粋のご令嬢であるマルグリッド様は、幸い走るのが早くなくて私でも追い付けそう………
と思ったのは甘かった。
自分が思った以上に走るのが遅くて、マルグリッド様との距離が縮まらない!!!!
「ソアリス、俺はどうしたらいい?」
並走するアルノーが、半笑いで尋ねてくる。
マルグリッド様と私の遅すぎる追いかけっこは、笑わずにはいられない状況らしい。
「マルグリッド様を引き留めて!」
「え、ちょっと無理かな~。平民の俺が公爵令嬢に触れて引き留めたら、どう考えても斬首だよ」
「触らずに、立ちふさがるだけでいいから!!」
私があまりに必死で頼むので、アルノーは渋々ペースを上げ、マルグリッド様の前に立ちはだかった。
「待ってください!話だけでもどうか!!」
「――っ!」
驚いたマルグリッド様は、医局塔の手前でようやく止まってくれた。
私はどうにか二人に追いつき、マルグリッド様の腕を両手でしっかりと掴む。
「マルグリッド様……!はな、し、を…………聞いて、く、ださい……」
息切れでどうにもならない私に捕まり、同じくらい息が上がっているマルグリッド様は諦めたように立ちすくむ。
「「………………」」
どうしよう。
捕まえたはいいけれど、何を話せば?
偶然見かけて引き留めたから、一言目すら出てこない。
「ソアリス、とりあえず医局塔へ行って話をする?」
「そうね、そうしましょう」
困惑するマルグリッド様を連れ、私たちはレイファーさんの元へと向かうのだった。




