大事なもの?を失う妻【前】
私たちが城を後にしたのは、夕刻より少し前。
アレンたちは未だ戻らず、約束通り先に邸に戻ることにした。
――ガシャン……。
馬車の車輪から留め具が外され、見慣れた騎士団の建物が次第に遠ざかっていく。
来たときとは同じく、ノーファさんが御者の隣に座り、中には私とニーナ、ユンさんとジャックスさんが乗っている。
「そんな顔しなくても、アレン様は無事に戻ってきますよ。伝令によれば、行方不明だったご令嬢方もたくさん見つかったそうですし」
「ええ、そうね……」
ジャックスさんが明るい笑顔で話しかけてきた。
私はかすかに微笑み、頷く。
アレンたちは、特務隊が私の身辺警護のためにつけていた「影」が持ち帰った情報を元に、デイジー・ハワード伯爵令嬢の行方を追った。
彼女は王都の十番街にある邸にいたそうで、そこには以前から行方不明だったご令嬢方も監禁されていたらしい。
現状を把握し、被害者の身元確認や移送を終えてから帰宅するので遅くなるという報せが届いたのは、私たちが城を出る直前のことだった。
「デイジーさんが見つかって本当によかったわ。事務官見習いのカルロッタ嬢も、同じ場所にいればいいのだけれど……」
できれば行方不明の女性たちが、全員見つかって欲しい。
そううまくはいかないかもしれないけれど、私にできることは祈ることだけだった。
馬車に揺られること、二十分。
たわいもない話をしていると、馬車が進む速度がゆっくりになっていき、湖の近くの橋で停車した。
「何でしょう?」
窓の外を確認すると、商人や護衛っぽい男性たちが橋の前で時間を潰している姿が見える。
ユンさんが窓を開け、御者席にいたノーファさんに何事かと尋ねた。
すると彼は周囲の人に話を聞いて、状況を確認してくれた。
「橋の途中で、積み荷の落下事故があったそうです。二台の馬車の車輪が一部外れてしまっているので、迂回しなければ進めないかと」
先を急ぐあまり、積み荷の固定が疎かになったのだろう。
こうした事故はたまに発生する。
けれど、橋の上というのがよくなかった。
後続の馬車はいずれも立ち往生していて、私たちも邸へ戻るには迂回するしかない。
御者の判断で、林道を進んで貴族街へ向かうことになった。
「海の方は回れないの?夕日がきれいだってちょっと思ったんですけれど」
ニーナがそう尋ねると、ジャックスさんが苦笑いで答えた。
「今の時間は無理ですね~。満潮なんで、林道の方が安全かと」
「そうなんですか。言われてみれば、海沿いの道ってあんまり馬車が通っていないですね。サミュエルさんも夜は通るなよって言ってたような」
「まぁ、道が細いからっていうのもありますが、商品を海風に晒したくないっていうのもあるんでしょうね」
そんな話をしているうちに、馬車はゆっくりと方向転換をして林道の方へ進んでいく。
すでに辺りは薄暗くなっていて、ユンさんが馬車の中の灯りを増やしてくれた。
ここで私はふと、ユンさんの任務が夕方までだったことを思い出す。
「そういえば、よかったのですか?夕方から明日いっぱいまでお休みだったと聞いていたのに。騎士団でそのまま別れた方がよかったのでは」
申し訳ないことをしてしまった。
そう思って謝ろうとすると、ユンさんは笑顔で首を振る。
「任務が時間通りでないことなど、よくありますから。それにどうせ戻ったところでルードさんはいませんから」
「あら、どこかおでかけの予定だったんですか?それこそ申し訳ないわ」
「いえ、予定という予定ではありません。以前、女性騎士たちとのトーナメント戦で優勝したとき、食堂のケーキの無料券をもらいましたのでそれを消化しに行こうとしていただけです。新しく入ってきた料理人がつくるケーキがとてもおいしくて、奪い合いなのですよ」
「奪い合い」
騎士のスイーツ争奪戦、それはすごい戦いがありそうだわ……!
「ルードさんは意外に甘いものが好きですから、無料券をもらったのは私ですがご一緒しませんかと誘ったらあっさり釣れまして。かわいいところがあるでしょう?」
あのいつも冷静で大人な雰囲気のルードさんが、甘いものが好きだったとは。
確かにちょっとかわいいかも、と私は笑顔で頷いた。
「では、今度は甘いものをたくさん用意してルードさんとユンさんをおもてなししますね。来週にでもご一緒しませんか?」
「はい、ぜひ」
林道を急ぐ馬車の中には、和やかな空気が流れていた。
ところがしばらくして、再び馬車の速度が緩やかになり、暗がりが広がる林の中で停車する。
――コンコン。
御者台へ繋がる小窓を、外から叩く音がした。
ジャックスさんがそれを開けると、ノーファさんが辺りを窺いながら声を潜めて急を告げる。
「囲まれている」
「「!」」
ジャックスさんが即座に扉を開け、外に飛び出していった。
私とニーナはただ事でない雰囲気に怯え、息を潜めて身を寄せ合う。
「何かあっても、声を上げずにじっとしていてください」
「「はい……!」」
ユンさんはスッとサーベルを抜き、窓際に身を寄せて外の様子を窺った。
しんと静まり返っている林道は、ときおり不気味な鳥の鳴き声や風で木々が揺れる音がする。
――キィン……!
そんな中、剣がぶつかり合う音がかすかに聞こえてきた。
そしてその音と共に、男たちの呻き声や怒号も聞こえ始める。
「ひぇっ」
思わずニーナが悲鳴を漏らし、慌ててその手で口を塞ぐ。
ユンさんはいつも以上に凛々しい表情で、じっと窓の外を見ていた。
外では、ジャックスさんとノーファさんが何者かと戦っているらしく、敵の数はかなり多いみたいに感じられる。
ただし、聞こえてくるのは襲撃者の悲鳴ばかり。
「ぎゃぁぁぁ!」
「がはっ……!」
「ぐぁぁぁ!!」
窓に備え付けてある日除けをそっとずらして覗いてみれば、わずかな灯りがところどころに浮かび上がるように見え、野盗のような男たちが二十人以上もいた。
ところが、私の目を奪ったのは彼らではない。
「オラァ!!死ぬ覚悟ができたヤツから斬らせろやー!ハハハハハハハ!!血を寄越せ、クソどもがぁぁぁ!!」
剣を手にしたジャックスさんが、逃げ惑う男たちを襲っていた……!
いつもの陽気な彼ではなく、返り血を浴びて不敵に笑うその姿は衝撃的で。
――シャッ……。
思わず日除けを閉じて、私が見た騎士は本当にジャックスさんだったのかと我が目を疑う。
するとユンさんが困ったように笑い、その目は「あれはジャックスで間違いないです」と言っていた。
何なの!?
人格が変わっているとしか思えませんけれど!?
野盗がかわいそうなくらい怯えていましたよ!?
「お姉様?ノーファさんたち大丈夫なの?」
ニーナが不安げにこちらを見ている。
「大丈夫よ、多分」
私は何も見なかったことにした。




