見覚えのある人形
ニーナが仲良くなったご令嬢は、デイジー・ハワード伯爵令嬢という十七歳のお嬢様。
クリス様によると、彼女はどの派閥にも属しておらず、社交界では広く浅く適度な距離で様々な方とお付き合いをしているとのこと。
先日の夜会では、私はご挨拶だけした。
金髪に緑色の目をしていて、真白い肌にそばかすが愛嬌を感じさせる柔和な方だと覚えていた。ユンさんも面識があるそうで、「笑顔が穏やかでのんびりとした性格ですよ」と好印象らしい。
ニーナは英雄将軍の義妹としてではなく、あくまでリンドル子爵令嬢として交友関係を結べそうだと喜んでいて、姉としてとてもうれしく思った。
「領地なしの新興貴族ってことで、しかもお互いに次女でとても気が合ったの」
今日はデイジーさんのお邸で、姉妹揃ってお茶会に招待していただいた。
こういう気軽なお茶会は初めてなので、私たちは二人とも楽しみにしてやってきた。
馬車の中には、私とニーナ、そしてユンさんとジャックスさんが乗っている。
ノーファさんは御者と並んで外に座っていて、移動中も異変を見逃さないように見張りをしてくれていた。
ファビアンさんは、今日は訓練日なのでここにはいない。夜になればまた邸へ戻ってくるそうだが、アレンとの手合わせがあるのだと楽しそうに出かけて行った。
特務隊は、容姿の雰囲気はバラバラだけれど、中身はわりと豪胆で戦闘好きが多いのだということが最近わかってきた。
皆いい人なんだけれど、ときおり好戦的な部分が垣間見えるのよね……。
とはいえ、頼もしいことは何よりなので本当にありがたい。
「そろそろ到着しますよ、あの大きな白いお邸がハワード伯爵家です」
「まぁ、立派なお邸ね」
没落する前のリンドル子爵家を思い出す。
新興貴族は歴史の浅い貴族家をそう呼ぶが、比較的お金は持っている家が多いのだ。
馬車がゆっくりと敷地内に入って行くと、手入れの行き届いた庭園には美しい花が咲き誇っていた。
ノーファさんにエスコートされ、私は馬車を下りて伯爵家の玄関へと足を踏み入れる。
「ようこそいらっしゃいました、ヒースラン様、リンドル様」
執事をはじめ、多くの使用人が迎えてくれて歓迎されているのがわかった。
けれどそこにデイジーさんたちご令嬢の姿がなく、私たちは訝しげに顔を見合わせた。
「本日はお招きいただきまして、ありがとうございます。デイジー様のお姿がないようですが……?」
私がそう尋ねると、執事の男性が困ったように眉根を寄せる。
「その、誠に恐縮ではございますが、サロンで今しばらくお待ちいただけないでしょうか」
「わかりました。そのようにいたします」
何かあったのかしら。
準備に手間取っている?
不思議に思いつつも、私たちは案内されたサロンでおとなしくご令嬢を待つことにした。
ガラス細工の豪華なテーブルに、異国から取り寄せたという高級な茶葉で淹れた紅茶。焼き立ての菓子を前に、私たちはデイジーさんが来るのを待つ。
けれど二十分ほど経ってもご令嬢は現れず、年嵩のメイドも動揺を滲ませていた。
もしや、将軍の妻を待たせていると動揺している……?
私は必要以上に愛想よく振舞い、「怖くないですよ」とアピールしてしまった。
しかしここで、じっとしているのが苦手なジャックスさんが笑顔で席を立つ。
「ちょっと手洗いに」
何が起こっているのか、探りに行くのだろう。
ユンさんとノーファさんは無言で頷き、目だけで「いってこい」と促していた。
「人のお邸でウロウロして大丈夫なんでしょうか?」
ひそかにユンさんに尋ねると、いい笑顔で返事が寄越される。
「大丈夫です。ジャックスは人の記憶に残らない顔つきですし、警戒心を抱かせない雰囲気なので、使用人への聞き込みもばっちりです」
「なるほど」
確かにあのほわっとした雰囲気で、気さくに話しかけられたら答えてしまいそう。ノーファさんは真面目だし礼儀正しいけれど、ジャックスさんほどどこにでも馴染める感じではないものね。
私には待つことしかできないので、お茶をいただきながら朗報を待つ。
けれど、ジャックスさんが出ていってわずか十分後。
よくない知らせが、もたらされた。
「ただいま戻りました」
「早かったですね!どうでした?」
メイドには、用事があれば呼ぶからと言って扉の前で待機してもらっている。
ジャックスさんは彼女たちに聞こえないくらいの声量で、私に報告を上げてくれた。
「デイジー嬢が朝から行方不明だそうです。朝食のときは、いつもと変わらず食堂へ顔を出したそうなんですが」
「行方不明?」
今日、お茶会を開くことは覚えていたはず。
誰かに誘拐されたのだろうか、と私は真っ先に思った。
ジャックスさんはそれを読み取り、安心させるように明るく言った。
「まだわかりませんよ?自分でどこかへ行って、何らかのアクシデントで戻れなくなったのか、それとも誘拐されたのか」
ここでニーナが悲痛な面持ちで声を発する。
「誘拐だと思うわ……!だって、普通の貴族令嬢は私みたいに一人で出かけないもの」
そうだね、と全員が納得したのが空気でわかった。
「ご当主様には連絡は?」
画廊の経営や芸術関係のお仕事をなさっている父親のハワード伯爵は、奥様を連れて出かけているらしい。
遣いをやったけれど、まだ連絡がないそうだ。
執事や使用人が狼狽えるのは理解できる。
「とにかくここにいても仕方がないので、警吏隊に届けるよう執事には助言しました。『世間体が……』とか『旦那様がお戻りになっていないので』とか言っていましたので、まだ届ける気はないようですが」
使用人にとって、当主の意向は絶対だ。
執事を責めることはできないけれど、もしも誘拐だった場合、時間が経つほどデイジーさんの身の安全が懸念される。
どうにか探せないかしら、と思うけれど、私には何の力もないから悔しい思いをするばかりだった。
「デイジー嬢の部屋を見せてもらいましょう。何か痕跡があるかもしれませんし」
ジャックスさんはそう提案すると、すぐに執事に頼んで部屋へ案内してもらった。
最初こそ彼は渋っていたものの、私の護衛が将軍直轄の特務隊であると知ると、「どうかお嬢様を見つけてください」とお願いされた。
特務隊は騎士団の精鋭であり、行方不明者の捜索は警吏の管轄でまた別なんだけれど、困り果てている家人からすれば何にでも縋りたい心境なんだろう。
「こちらです」
案内されてデイジー嬢の部屋へ行くと、デイジーさんの世話役の女性・アンさんが困り果てた表情で長椅子に座っていた。行方不明だとわかって一時間ほど、心労で今にも倒れそうに見える。
私たちを見るとすぐに立ち上がり、震える声で挨拶をした。
「このたびは誠に申し訳ございません。せっかくお越しいただいたのにこんなことに……」
「いえ、お気持ちはお察しいたします。どうか私たちのことはお気になさらず」
部屋はアイボリーとペールブルーを基調としたかわいらしい雰囲気に統一されていて、特におかしなものはなかった。家族宛ての手紙もなければ、誘拐犯からの置手紙も何もない。
持ち出された物もまったくないと使用人が口をそろえてそう話し、お金も衣服も何もかもがそのままの状態だった。
「デイジー嬢は、日ごろから自由に出歩いていたんですか?」
ジャックスさんの問いかけに、アンさんは激しく顔を振って否定した。
「いいえ!とんでもございません、必ず誰か供を連れて行きます。お嬢様が一人で自由に出かけるなんて、一度だってございませんでした」
やっぱり一人では出歩かないみたい。
何か変わったことはなかったか、という質問も彼女は否定した。
「最近は結婚を意識するご年齢になり、ときおり元気のないこともございました。年頃ですから不安や心配事は多少あったでしょうけれど、うちのお嬢様だけが特別にどうということはございませんし、それに家出するような気性では絶対にありません。気が優しくて穏やかな性格なのです」
アンさんの目には涙が滲んでいて、心の底から心配しているのが伝わってくる。
執事の許可を得て、クローゼットや机の引き出しの中を確認していたノーファさんは、特に異常はないと判断してこちらに視線を送ってきた。
窓を開けてテラスの周囲も確認したユンさんも、「争った形跡はありません」と報告する。
念のため寝室にも入らせてもらったけれど、すでにベッドメイクされた後だったのできれいな状態だった。
「手がかりはなし、ですね。どう見てもすぐに戻るつもりで出かけた、としか……」
ジャックスさんの言葉に全員が頷く。
こうなるともう警吏か貴族院の相談室に連絡するべきだろうなぁ、と思っていると、私の隣でニーナが困惑顔で口を開いた。
「お姉様、あの人形」
「人形?」
ニーナは、ベッドサイドにあったかわいらしい人形を指差す。
ミントグリーンの衣裳を着たその人形は、宝石が幾つも縫い付けられていてとても豪華なものだった。
物語のお姫様をイメージしたであろうそれは、特別に気になるようなものでもない。
けれどニーナは、眉をひそめて私に告げる。
「お姉様に贈られた結婚祝いの中にあった人形によく似ているわ。衣装の色が違うだけで、ほとんど同じよ」
「それって、ニーナが持って帰って分解したって言っていた人形のこと?」
英雄のエイレーネーちゃん。
型紙を取るために分解されて、リンドル家で生産されているあの人形が私の脳に浮かぶ。
「ええ、形が本当にそっくり。顔立ちも大きさも一緒よ」
私たちの会話を聞き、ノーファさんが人形を手に取ってまじまじと観察する。
「特に危険なものではないような気がしますが、こちらはどなたかの贈り物でしょうか?」
アンさんは人形を見て、こくりと頷く。
「それは確か、ひと月ほど前にお嬢様が占い師の方にいただいたものかと」
「占い師?」
「ええ、お嬢様は占いが好きで、王都の五番街や十番街にある占いの店によく出かけていました。運気がよくなる装飾品や花飾りを集めるのが好きで……。それに、家具の色や向きなどにもこだわっておられました。そちらの人形は、寝室に飾ると女性として美しくなるためのよい空気が体内に巡るとかそういったことを……」
占いや願掛けが好きな人は、若いご令嬢には多い。
デイジーさんはあくまで趣味の範囲内で、そこまでハマっているわけではなかったらしいけれど……。
ここで、ノーファさんがかすかに顔を顰めて言った。
「これ、匂いは気になりますね」
「匂い?」
ハーブ液やオイルを布に沁み込ませ、香り袋としてベッドサイドに置くのはよくあることだ。それと同じだろうかと気になって私が近づこうとすると、ユンさんに制されてその場に留められた。
危険物だったらいけないから、ということらしい。
ジャックスさんとノーファさんは、人形をひっくり返したり匂いを嗅いだりして調べ始める。
「薬草っぽい匂いがしますね。臭くはないけれど、ちょっと独特の匂いかも。医局で処方される鎮痛剤とか、ケガ人を眠らせるときに使う薬草茶とかそんな感じでしょうか。爽やかで、ちょっと甘いです。あ、分解してみます?」
ジャックスさんが素手で人形を分解しようとしたので、ノーファさんが慌てて止めた。
「頼むから常識を弁えてくれ」
「でもあやしいだろう?」
「だとしても、この場で壊すな」
二人のやりとりを見て、アンさんが困惑している。
「あの、その人形でしたらお嬢様のご友人もお持ちになっておられるので、ごく普通の人形かと思いますが」
「デイジーさんのご友人も?念のためその方々のお名前を教えていただけますか?」
私のお披露目に参加したご令嬢の中にも、同じ物を持っている人がいるかもしれない。送り主不明だからという理由で、アレンは私に人形を渡さなかったと聞いているから、送り主が判明するきっかけになればと思って尋ねた。
「サーラ・アトキン伯爵令嬢とマーガレット・テイラー子爵令嬢、カルロッタ・フォスター男爵令嬢でございます。この方々とは、誘い合わせて出かけることもございました」
「カルロッタ・フォスター男爵令嬢ですか!?」
王女宮の事務官見習いで、アルノーから行方不明だと聞いた令嬢だ。
アンさんによると、デイジーさんとカルロッタ嬢は幼少期からの知り合いだそうで、カルロッタ嬢のおうちが貧しくなってからも親しい付き合いを続けてきたという。
アンさんはカルロッタ嬢が行方不明になっていることは聞かされておらず、私がユンさんたちに説明するのを聞いてますます悲痛な面持ちになった。
「なんていうことでしょうか……!お嬢様、どうかご無事で……!」
嘆くアンさんを使用人の方に任せ、私たちは人形を持ち帰ることにして揃って部屋を出た。
執事にはこちらから警吏に連絡しておくと告げ、ご当主様への報告は任せることにする。
「また追って、騎士団からご連絡いたします」
ユンさんは執事にそう告げると、馬車に乗り込み出発を告げた。
何事もなくデイジーさんが見つかって欲しい、全員がそう願いつつ伯爵邸を去る。
動き出した馬車の行き先は、ここから三十分ほどかかる騎士団。ひとまず、ルードさんに事情を説明して指示を仰ごうということになった。
不安から口をつぐむ私たちを見て、ユンさんが慰めるように優しく微笑む。
「デイジー嬢の行方はすぐに見つかると思います。ルードさんが動かしている『影』から報告が上がれば、の話ですが」
「影?」
なんだか怖そうな響きだ。
「要人警護のために、情報収集や現場視察を行っている者たちです。ソアリス様がお茶会で訪れるとわかっていたハワード邸にも、事前に影が入っているはずですので。もちろん、デイジー嬢が攫われるなんていうことが発生していれば、影が後を追っています」
「後を追う?その場で助けてはくれないのですか?特務隊の人なんですよね、その『影』の人も」
「戦闘能力がそこまで高くないんです。一般人よりはもちろん強いですが、あくまで調査目的の人員ですので……。それに、もしもデイジー嬢が自分から出て行ったとすれば、後を追うことはしますが連れ戻したり説得したりは任務外です。誘拐だとしても、本人が誘拐だと気づいていない顔見知りによる犯行ということもありえますからね」
「なるほど」
とにかくデイジーさんが見つかる可能性が高いなら、何でもいい。祈るような気持ちで馬車に揺られ、私たちは騎士団の裏手に到着した。




