妻であり姉であり
今日は、いよいよニーナと一緒に夜会へ出席する日。
煌めく夜空を思い起こさせる濃紺色のドレスを纏った私は、鏡の前で全身を入念にチェックしていた。
「大丈夫かしら」
そばでメイク道具を片付けているリルティアも、しっかり私を目視して何度も頷いてくれた。
「大丈夫です。首筋の部分はお化粧で隠しましたし、ハーフアップなので絶対にわかりません。それにここまで首飾りが煌めいていたら、そっちに気を取られます。ちょっとくらい赤みがあった程度きっとバレないし、そもそも旦那様の溺愛っぷりは有名ですのでそんなに気になさることは」
「言わなくていいです!見えていないならいいの!がんばってくれて本当にどうもありがとう……!」
金庫番の制服姿のときは、シャツの襟の部分で隠れているからまったく気づかなかったけれど、ドレスを着るとところどころに赤い斑点が目立ってしまって……。
ユンさんには「アレン様の執着が痕になっていますね」とニヤニヤされ、居たたまれなくなった。
どうにか化粧とドレスのデザインでごまかし、出かける十五分前になりようやく支度が終わったのだ。
ニーナやアレンはすでに準備を終え、迎えに来てくださったクリス様と一階で待っている。
ユンさんはお兄様が来たというのに、今日は夜間訓練に参加するんだとさっさとお城へ向かってしまった。
「それでは、どうかお楽しみください」
「ありがとう。ところでリルティアは、お兄様に会わなくていいの?」
ニーナの護衛として新たにつけられた騎士・ファビアンさんは、リルティアのお兄様だ。アレンと同じ二十五歳で、特務隊の一員である。
「いえ、先日も里帰りしたときに会いましたので。それに今朝も見かけましたので」
「そう?」
「会っても、恋人はいないのかとか結婚しないのかとか、口うるさいんで嫌なんですよね~。自分が早く結婚したからって、私にまで同じことを求められても迷惑なだけなんです」
うんざりだ、という顔でリルティアは話す。
ファビアンさんは妹のためによかれと思ってあれこれ言ってしまうようだけれど、妹からすればなるべく顔を合わせたくないんだろう。
私もエリオットにうっとおしいと思われたら困るので、お小言めいたことを口にしないよう気を付けようと思った。
ニーナは、幼なじみと結婚したというファビアンさんの話を聞いて楽しそうだったし、社交的で明るい方なので私も安心している。
部屋から出ると、廊下でジャックスさんが私を待ってくれていた。
今日は特務隊の隊服ではなく、黒の正装を纏っている。
武器は衣装の中にうまく隠しているらしく、素人の私から見ると普通の貴族令息にしか見えなかった。
「わぁ、今日もおきれいですね!」
「ありがとうございます」
「すごいですね、その首飾り」
「……そうなの」
私は苦笑いするしかなかった。
これはアレンがわざわざアルノーのお姉様に借りたもので、いくつもの眩いダイヤが煌めいている国宝級の首飾りだ。
アルノーいわく「えげつない値段がする」そうで、その重量よりもさらに重く感じてしまう。
「アレン様、よほど奥様に虫がつくのを恐れているんですね」
ジャックスさんはそう言いながら、廊下を歩いて先導する。
「見るからに資産家な装いをしていれば、アレンがそばにいなくても軽い男性は声をかけてこないらしいわ」
「金のかかる女は敬遠するってことですか。確かに、遊び相手には適さないですね」
豪華なドレスや装飾品を身に着けることで、「私にはこれだけの物を揃えられる男性がついています」という圧力をかけるのが目的だそうだ。
アレンはとことん心配性だった。
アルノーのお姉様としては、首飾りもドレスもお店の宣伝効果を狙って提供してくれている。将軍の妻御用達ということで、ここ数か月お客様が増えているというから効果は本当にあるらしい。
1階へ下り、アレンたちと合流するとさっそく馬車に乗り込んだ。
「今日はまた一段とお美しいですね」
クリス様は、今日も笑顔が穏やかで素敵だった。褒め言葉も自然で、二十代後半の余裕がうかがえる。
彼もまた私の姿を見てすべてを悟ったようで、「さすがアレンディオ様」となぜか納得していた。
すでに暗闇に染まった街を、私たちを乗せた馬車がゆっくりと進んでいく。
ニーナは落ち着きのある赤のドレスを着ていて、高く結い上げた髪には銀色の蝶の髪飾りをつけている。
少しおとなっぽい仕上がりになっていて、姉目線でしかないけれどとても美人に見えた。やはり母によく似ている。
「さて、今夜は貴族院で大きな権力を持っているミラー侯爵家が主催する夜会です。ご当主はまだ三十歳で、代替わりしたばかりですので参加者は比較的若い層が多く、ニーナ嬢と年の近い貴族令息もたくさん参加すると聞いています」
百人程度の夜会は、クリス様からすれば「普通」だという。
規模が小さいと気が合わない人に話しかけられたときに逃げにくいので、これくらいの規模がいいだろうと判断したとのこと。
「ニーナ嬢は私がエスコートいたしますので、まずは夜会の雰囲気を知り、楽しんでください。話してみたいと思える方が現れましたら、頃合いを見計らってお席に案内します」
「何から何までありがとうございます」
今宵、クリス様は私たちが夜会を楽しむための補佐に回ってくれるらしい。
もちろんずっと付きっきりになるわけではなく、途中でアレンと共に紳士が集まるサロンへ顔を出して情報交換をするという仕事もあるのだが、基本的にはそばについていてくれるのだそうだ。
一通り説明を聞いた後、ニーナが少し困ったように笑って言った。
「なんだか夜会って大変なのね……。こんなに豪華な衣装を着て、護衛にも囲まれて、自分が貴族だったことをようやく思い出したわ」
それはちょっと理解できる。
私もアレンと一緒に暮らし始めるまでは、気軽な服を着て一人で出かけていたもの。
華やかな世界には、未だに慣れていない。
「ニーナ嬢は、こうした催しへの出席はデビュー以来ですか?」
クリス様の問いかけに、ニーナは「はい」と返事をした。
「ある程度の収入があり、人間性に問題のない相手はそれなりにいますから。多くを望まないのであれば、意外とすぐにお相手が見つかるかもしれませんよ。うちのユンリエッタのように、執着している相手がいるのであれば別ですが」
「あー、ユンさんみたいに情熱的な恋は憧れますが、私には現実的じゃないです。お姉様みたいに結婚してから相手を好きになるっていうのもあり得るかも知れませんが、将軍の義妹ブランドにつられてやって来るような人とはうまくいかないと思うんですよね~」
なんだか私のことで、ニーナの結婚を複雑にしてしまっているような。
「それに、やっぱりこれまでの生活を大きく変えたくないんです。街へ気軽に行けない、友人と気ままに会えない暮らしは私には向かないかなって」
この数日間、お邸での暮らしを経験したニーナは早くも諦めモードだった。
クリス様はニーナの本心を聞いても、笑顔で頷いている。
「愛があっても生活スタイルを変えるのは困難と苦痛が伴いますからね」
「そうですよね。お金があれば幸せっていうものじゃないと思うんです。お姉様はとても幸せそうなんですけれど、こんなに大勢の人に囲まれた暮らしは疲れそうで羨ましいとは思えなくて」
「ニーナ、ちょっとは慎んで」
正直すぎる。
私が諫めると、ニーナはアレンに失礼なことを言ったことに気づいてばつが悪そうな顔をした。
「ごめんなさい」
そんなニーナを見て、アレンはくすりと笑って言った。
「構わない。ソアリスが幸せそうに見えているならそれでいい」
隣に座る夫が、今日も際限なく甘い雰囲気を漂わせる。
直視できずに俯く私は、いつになったら慣れるんだろう。
「よかった~。お義兄様はさすがお心が広いわ」
「仲がよろしいのは何よりです。お二人は王国の象徴ですから」
クリス様までそんなことを言うから、私はますます顔を上げられなくなった。
「ソアリスに窮屈な暮らしをさせているという認識はある。ニーナがこれを大変に思うのは、理解できないわけじゃない」
労わるように肩を撫でられ、彼が申し訳なく思っているのが伝わってきた。
「窮屈だなんて」
守られているのだとわかるから、窮屈だと思ったことはない。
護衛や使用人に囲まれる暮らしに戸惑うことはあるけれど、必要なことだとわかっているので不満に思ってなんかいない。
「私なら大丈夫ですよ?その、なんていう風に伝えればいいかわかりませんが、大事にしてもらっていると感謝しています。頼っていいのだと、守ってもらえる幸せを教えてくれたのはアレンですから」
どうにか安心してもらおうと訴えかける。
アレンは穏やかな笑みを浮かべ、「そうか」とだけ答えた。
しかしここで、突き刺さるような視線を感じて妹の存在を思い出す。
「あ……」
しまった。
そう思っても、もう遅い。
ニーナがうれしそうに口元を緩めていて、うんうんと頷いている。
「ようやくお姉様が素直になれたのね。愛って偉大だわ」
「…………ごめんなさい」
「やだっ、もっと見たいから続けて!ねぇ、クリス様」
「そうですね。国民憧れの将軍夫妻を間近で見られる機会はそうないですから、どうぞお続けになってください」
さも当然のようにクリス様にまでそう言われ、私は真っ赤になって小さく縮こまる。
ただしアレンはいつも通り態度を変えず、私の肩を抱き寄せて満足げだった。
ううっ、気を引き締めなければ……!
ニーナがいる間は特に、姉としてきちんとしていなきゃ。オロオロする姿は見せたくない。もう遅いかも知れないけれど。
私は秘かに反省し、人様の前では決して甘い空気に呑まれないと誓った。




