妻は妹に背中を押される【前】
盛大に行われたお披露目パーティーは、大きな波乱もなく無事に終わった。
集まった方々は、アレンの無事と結婚生活の仕切り直しについて温かい言葉をくれた。
こんなにたくさんの「おめでとうございます」という言葉を贈られたのはもちろん初めてのことで、本当にアレンと夫婦なんだなぁと今さらながら実感する。
ただし、パーティー終盤にはヒースラン伯爵領の有力者や地主の方々からご挨拶をいただき、お祝いの言葉と同じ分だけ「将軍の妻としてがんばってね」という圧もいただいてしまって……。
彼らは笑顔を崩さずにいるものの、私の手が足りぬ部分があれば自分たちの娘を愛妾に、という本心が透けて見えた。こんな風に笑顔の下で様々な思惑が蠢くのは、結婚式ではなくお披露目だからなんだなと身に染みる。
お披露目は、品評会でもあるのだ。
アレンが私を片時もそばから離さなかったのは、社交慣れしていない私がミスをするのを防ぐためだろう。
夫の愛情は何よりも強力な盾なのだが、それだけでは世間は味方にできないのだと、ここは王都とは違うのだとひしひしと伝わってきた。
どうにか3時間の宴を終えたときには、もう心身ともにクタクタだった。
アレンは私の手を取り、まだ音楽が流れているうちに早々にホールを退場する。
「疲れただろう?ゆっくり休んでくれ」
「はい。アレンも」
私の部屋の前で、夫は名残惜しそうに微笑んだ。
「着替えてしまうのがもったいないな。本当にきれいだ。よく似合っている」
純白のドレスは、今日限りのもの。一生着ることはないと思っていたのに、アレンのおかげで機会を得られた。
私は柔らかなチュールにそっと手で触れ、視線を落とす。
「ありがとうございます。とてもいい思い出になりました」
アレンは私の肩に手を置き、額にキスをして言った。
「では、また明日」
「はい。おやすみなさい」
もっと一緒にいたいと思ってしまったけれど、皆が入浴や就寝準備をしてくれているのでとてもそんなことは言い出せなくて。
しかもアレンは昨夜もあまり寝ていないから、きっと疲れていると思う。
淋しい、だなんて言ったら困らせてしまう。
ユンさんが開けてくれた扉から、私は後ろ髪を引かれる気持ちで部屋へと入った。
メイドたちがいそいそと私の髪をほどいてドレスを脱がせ、シンプルなシュミーズドレスに着替える。
「ふぅ……!」
コルセットを取った解放感がすごい!!
体の両サイド、脇腹の部分は芯地が肌に当たって真っ赤になっていた。
浴室へ向かい、優しく体を洗ってもらうと、肌にいいとされるバームやパウダーを丁寧に塗り込まれる。パンパンにむくんでいた脚は、マッサージでかなり疲労が取れた。
半分ほど乾かした髪をゆるく編み込んで、アイボリーのシュミーズドレスを纏えばあとは就寝するだけ……
と思っていたけれど。
ここで、ある異変に気付いた。
「……ユンさん」
衝立の裏にいたユンさんに、おそるおそる声をかける私。
「何でしょう?」
ひょこっと顔を覗かせたユンさんは、不思議そうに私を見た。
「これって私の部屋着じゃないような気がするんですが」
長袖にロングスカートのシュミーズドレスは、胸元が大きく開いている。
フリルやレースがついていて可愛らしい感じではあるのに、いつも着ているものとは明らかにデザインが違った。
「胸元が開きすぎているし、体にフィットしすぎていて違和感があるわ」
けれどユンさんはきょとんとしている。
「そうでしょうか?確かにいつもの部屋着とは雰囲気が異なりますが、これといって世間一般的なものと比べておかしなところはないと思います」
「そうなの?」
「ええ、ご夫人の部屋着はそのようなものかと」
もしかして、私が今まで着ていたものが子どもっぽかったのかしら。
「おかしくない?」
「はい。お似合いですよ」
「なら、大丈夫よね。ガウンを着ればわからないし……。ありがとうございます、変なことを聞いてすみません」
厚手のガウンを羽織り、腰元のリボンを結んでしまえば何も問題はなかった。
私室で待っていたリルティアも、特に笑顔に異変はない。
「奥様!温かいスープをご用意いたしました」
「まぁ、ありがとう」
コルセットの締め付けと戦うため、お昼から何も食べていなかった私はスープを口にして思わず笑顔になる。
「ん~、おいしい。幸せだわ……」
マッシュルームとトウモロコシのポタージュスープは、ほんのり甘くてとてもおいしかった。
瞬く間に完食した私は、空になった器を見てアレンのことをふと思う。
「アレンも何か食べたかしら」
すると背後から、ユンさんが困った顔で笑って言った。
「おそらく何も食べないでしょうね。アレン様って基本的に食べ物に執着なさらないので。軍部に支給される、謎の穀物を乾燥させた保存食でも平気な人ですから」
「謎の穀物って何……?今夜は何も食べないつもりかしら」
メイドに頼んで、アレンの部屋に持って行ってもらおうかと思った私だったが、ユンさんが満面の笑みで提案する。
「ソアリス様が持って行って差し上げれば、きっとお喜びになりますよ!!」
「私が?」
「はい!ささっ、こちらをどうぞ」
振り返ると、ワゴンの上にはスープの入った小さめの鍋と食器、それにティーセットがすでに準備されていた。
「用意がよすぎるわ!!」
驚いてそう言うと、メイドたちも揃って首を振る。
「「「トンデモゴザイマセン」」」
怖い。
何だか罠に嵌められているようで怖い。
「さぁ!行きましょう!」
ユンさんの笑顔がさらに怖い。
しばらく警戒してじっと皆の顔を見回していたものの、ここで絶対に行かないと拒絶するのもおかしな話で……。
「アレン、お腹空いているわよね」
「「「はい、もちろん」」」
悩んだ結果、私はユンさんやワゴンを押すリルティアと共に廊下へ出た。
もちろん、行き先はアレンの部屋。
カタカタとワゴンの進む音が鳴り、三人分の足音が廊下に響く。
まっすぐに歩いて行けば、目的地には容易く到着するのだが、その直前に慌ててこちらへ走ってきていたニーナとばったり出くわした。
「お姉様!」
「こんな時間にどうしたの?」
ニーナは、ドレス姿から普段着のワンピースへと変わっている。
客室は東館なので、わざわざ私のところへ会いに来たのだというのはすぐにわかった。
ニーナの話を聞こうと立ち止まると、ユンさんがスッと私の前に立ちはだかり、私は目を丸くした。
「ニーナ様、申し訳ございませんがソアリス様はこれから大事な大事なご用事がございましてお相手なら私が」
スープを届けるだけなのに、随分とおおごとになってしまっている。
けれどニーナは思いきり顔を歪め、興奮気味に訴えかけてきた。
「こっちも大変なんですっ!一大事なんです!!さっきアレン兄様が、ローズ様と二人でサロンへ入って行ったんですよ!!」
「え?」
「食堂で夜食をもらおうと思って客室を出たら、たまたま二人が一緒にいるのを見ちゃって。びっくりしてお姉様に伝えなきゃって思って来たんです!」
アレンはすぐに部屋へ戻ったと思っていたのに。
それとも、一度部屋へ戻った後に着替えてまた出かけた?
ユンさんもアレンの行動までは把握していなかったようで、思わず前のめりになって尋ねた。
「本当ですか!?アレン様はなぜそんな……?いえ、それよりルードさんは一体何をしているんでしょう。返答によっては制裁を」
「待って、まだ何かあったわけじゃないんだから落ち着いて」
慌ててユンさんを止める私。
「お姉様!こんなに堂々と浮気されていいんですか?!乗り込んで行って、『私の夫に手を出さないで!』って言ってやらないと!」
「何を言っているの!?アレンが浮気なんてするわけないでしょう?それに、何か政治的な大事な話でも合ったのかもしれないから、私みたいな部外者が割って入るなんて……」
即座に否定するものの、わざわざこんな時間に二人でサロンに向かったと言われて内心は動揺していた。
仕事の話かも知れないのに、それでもアレンとローズ様が二人でいるのが嫌だと思ってしまう自分に気づく。
そんな私の動揺を察したニーナは、ぐいっと私の手首を掴んで階段を下りようと引っ張った。
「とにかく様子を見に行こうよ、お姉様!ね?」
「えええ!?」
パタパタと高い足音を鳴らし、私たちは走る。
アレンの部屋の前にワゴンを置きっぱなしだけれど、ユンさんもリルティアもそっちのけで私たちと一緒に走っていた。
警備のために立っていた特務隊の人たちが、一体何事かと私たちを視線で追う。
しかし、将軍の妻を止められる人はおらず、私たちはあっという間に東館へと到着した。
「待って、ニーナ。お願い……ちょっと休ませて」
ダンスの疲労で足がまだ痛くて、もともと体力もないので呼吸が乱れる。
ゼーゼーと息を吐く私を尻目に、ニーナは浮気調査をするかのように忍び足でサロンへ近づいた。
開けっ放しの扉。
中からは明るい光が漏れている。
「浮気ではないのでは?」
ユンさんが現場の状況からそう呟く。
「ですよね。扉を開けているということは、秘事ではないというアピールですよね?」
私もユンさんに同調した。
サロンはガラス扉と木製の扉が二重になっていて、ガラス扉をくぐってこっそりと中へ足を踏み入れた。
やっぱりこういうのはよくない、そう言おうとしてニーナの袖を引っ張ったとき、かすかに中から声が聞こえてくる。
「……に、…………なんですが、どうしても相談したくて」
澄んだ声はローズ様だ。
縋るような雰囲気に、私はドキリとする。
「……第2夫人になりたいんです……わかって……が、どうしても……んです」
漏れ聞こえる言葉に、思わず息を呑んで立ちすくんでしまう。
自分の心臓の音がどんどん大きく鳴るのを感じ、どうしていいかわからなくなった。
「ローズ様がお義兄様のこと好きだって、お姉様は知ってたの……?」
ニーナが探るような目で私を見つめる。
もしかするとそうかもしれない、とは思っていたけれど、そうでなければいいのにと胸の中でずっと否定してきたんだから。
とにかく、これ以上は聞いちゃいけない。
「ニーナ、戻りましょう」
後ずさりしようとした私の耳に、アレンの声がはっきりと届く。
「王命なら、殿下のお望みは叶うかと」
ガツンと頭を殴られたみたいに、ショックだった。
はっきりこの場で断ってはくれないのか、と思ってしまった。
王命ならローズ様を第2夫人に。そんなことは事前に予測できたことだったし、あり得ないことではない。
ただしその場合、第2夫人になるのはローズ様ではなく私なんだけれど、頭の中がぐちゃぐちゃでうまく考えが纏まらない。
どうして?
ダメだって言ってくれないの?
断っても、王命なら受け入れなければいけないって諦めている?
「お姉様、お姉様、しっかりして」
「あ……」
ニーナに肩を揺さぶられ、ようやく焦点が合った。
「何をぼんやりしているの!?乗り込んで文句を言わなきゃ!」
妹が自由すぎて愕然となる。
ローズ様が内密に相談している場に、盗み聞きして文句を言うってそんなことできるわけないのに。
「こういうときは、ガツンと言ってやらなきゃダメなのよ!女同士の戦いは、我慢した方の負けなんだから!」
「あなた女同士の戦いの何を知っているの!?」
「内職の奪い合いと恋愛は一緒だって、お母様が言っていたわ!」
お母様、それは一体どういうことですか……?
口元が引き攣る私に、ニーナはさらに訴えかける。
「お姉様は自分が我慢すればそれで丸く収まるって思っているのかもしれないけれど、それじゃ誰も幸せになれないのよ!?これまでは私たちのために、食べたいものも着たい服も我慢してお金を送ってくれていたのはわかってる。でもお義兄様とのことは、我慢しちゃダメ!」
「何を言っているの……?我慢しちゃダメって、そんなの、アレンが困ることになるのよ」
政治的な利益や家の繁栄、それがどれほど大事か没落貴族だからこそよくわかる。
すべてはアレンが決めることだから、第2夫人をもらうのを私が嫌だなんて言えるわけがない。
「お義兄様が困るようなことを、お姉様は本当は望んでいるってことでしょう?」
「それは……」
「困らせればいいのよ。結論はお義兄様が出すものかもしれないけれど、お姉様の本音も聞かずに大事なことを決めちゃうのはおかしいわ!それにお姉様が逆の立場だったら、お義兄様の本音を聞きたいって思わないの?」
もうやめて。
そう言おうとした瞬間、扉の向こうから困った顔で笑うルードさんが現れた。
「えーっと、盗み聞きにしては賑やかすぎるんですが……」
「「!?」」
絶句する私たちに向けて、ルードさんは右手で扉の中へ案内する仕草を見せた。
「とりあえず、入られます?」
「へっ、え?あの……」
動揺し、しどろもどろになる私。
すると突然、強い力で背中を押された。
――ドンッ!
「きゃぁっ!」
押されて倒れ掛かった私を、ルードさんが即座に支えて助けてくれた。
「お姉様!後はがんばって!ニーナは急に眠気がきたので部屋に戻ります!」
「ニーナ!?」
逃げ足の速い妹は、もう廊下を走って見えなくなっていた。
ユンさんもリルティアもすでにいない。
「見事に置き去りにされましたね~」
「……すみません、色々と」
一人残された私は、二の腕をルードさんに支えられた状態で蒼褪める。
「どうした?ソアリスの声がしたが」
奥からそう言って出てきたのは、つい今までローズ様と話していたアレンだった。
その視線が私たちに向けられると、ルードさんはパッと両手を離し「不可抗力です」と説明する。
「何かあったのか?」
心配そうに私を見下ろすアレンは、いつも通りの優しい夫だった。
俯いて何も言えずにいると、じっと待ってくれている。
「…………さきほどのお話を、聞いてしまって」
「あぁ、扉を開けていたから聞こえたか」
「あなたが、第2夫人を、というお話だったようで……」
「俺が?」
自分で自分を抱き締めるように二の腕を掴み、下を向いたまま唇を噛んで黙ってしまう。
これ以上何を言えばいいのか。
しんと静まり返ったサロンの入り口で、アレンと私は向かい合ったまま突っ立っていた。
「アレン様。お二人でよくお話し合いになった方がよろしいかと。私はローズ様をお部屋にお送りしてきます」
ルードさんは私に気を遣い、ローズ様を連れてサロンを出る。ローズ様は心配そうな顔でこちらを見つめていて、私はかろうじて会釈だけをして別れた。
「とりあえず中へ、ここは寒いだろう」
「……はい」
ガウンをしっかり着込んでいる私より、シャツにトラウザーズだけのアレンの方が寒そうだ。促されるまま中へ入り、長椅子に腰を下ろした。




