将軍と妻は昔を懐かしむ
落ち着いたダークブラウンの馬車は、宰相様が乗っているとバレないように比較的簡素な見た目で、華やかさはない。
でも内装は細やかな部分にまで贅を尽くしたもので、布や飾りの一つ一つに高級感がある。
アレンと私は休憩を終え、宰相様はちょっとした観光を終え、ユンさんも伴って一つの馬車に乗り込んだ。
よくよくお話を聞くと、宰相様は子どもの頃の侯爵令嬢としてのユンさんと家ぐるみのお付き合いをしてきたそうで、旧知の仲らしい。
どおりで、親しげに会話していると思った。
「もうすぐですね、ヒースラン伯爵家。お二人はどれくらい久しぶりですか?」
ユンさんが笑顔で尋ねる。
アレンは少し考えた後、いつも通りの抑揚のない声で答えた。
「十年ぶりだな。戦地へ行ってから、一度も戻っていない」
アレンは私と結婚し、たった3カ月で戦地へ旅立った。
約半年前に凱旋してからも、何かと忙しくて領地へは戻れなかったから、アレンが言った通り彼にとっては十年ぶりの帰郷だった。
アレンが隣に座る私に目を向けたので、私も口を開く。
「私はアレンが戦地へ行ってからも、何度か……。けれど、それでも七年ぶりくらいです。本当に久しぶりで、少し緊張します」
極貧になってからは、ヒースランのお義父様が我が家を訪ねるか外で会っていたので、本邸へは随分と長い間行っていない。
私はヒースラン家の妻でありながら、法的に同居してもいい年齢である15歳を過ぎてもズルズルと実家暮らしを続けていた。
夫であるアレンもいないのに、私があの家で暮らすのは違和感があったから。それに、働いて実家の家計を助けるという大義名分もあって。
16歳の終わりからは王都へ出稼ぎに出ていたので、本邸で暮らしたことは1度もない。泊まるのだって、今回が初めてのことだ。
今思うと、妻としては酷いと思う。本邸の使用人やヒースラン家の親族にはどう思われているか、考えないようにしてきたけれど不安しかない。
お義父様がうまいこと説明してくれているそうだが、そもそもの始まりが支援金の代わりに嫁いだ政略結婚なわけで、あまりいい印象は持たれていないだろう。
お披露目パーティーで、どんな反応をされるやら……。
私が表情を曇らせると、アレンはそっと手を握ってくれた。
「あまり気を張らずにいてくれ。どうしたって、過去のことは仕方がない。自分の家のようには思えないだろうが、なるべく本邸でも寛げるように整えるから、ソアリスはゆっくりしていればいい」
どこまでも過保護な発言に、私は苦笑いになる。
「大丈夫ですよ。不安がないわけではありませんが、楽しみな気持ちの方が強いのです。せっかくのお披露目ですもの」
そう答えると、アレンは目を細め「そうか」とだけ言った。
すると私たちのやりとりを見ていたユンさんが、急に真剣な顔で尋ねる。
「つかぬことをお伺いしますが、まさかダンスはあれ以来なんてことは……」
「「!?」」
私とアレンは、ぎょっと目を見開いて動きを止める。
「なんだ、踊れんのか?まさか二人とも?」
宰相様が信じられないという目で私たちを見る。
そうですよね、私はともかくアレンは何事もそつなくこなしてしまいそうですもんね。
アレンは苦い顔で、呻くように言った。
「ダンスは、しない」
「無理ですよ。何を仰っているのです?」
ユンさんが呆れている。
さすがに一曲も踊らないのは無理なのでは。アレンは遠い目で、馬車の外を眺めた。
現実逃避!?
私は困ってしまい、くすりと笑う。
「練習しなくてはいけませんね。ユンさん、申し訳ありませんがまたご指導をお願いいたします」
アレンは、はじめての社交以来のダンスだろう。私はニーナのデビュー以来で、3回目だ。
しかしここでユンさんが、アレンに向かって挑発するように言う。
「よいのですか?アレン様が頼りないところを見せると、ソアリス様とお近づきになろうと企む男性が現れるかもしれませんよ?隙あらば、というのは戦場も恋愛市場も大差ございませんので」
窓の外を眺めていたアレンが、ぴくりと反応した。
「そんなこと許せるわけないだろう!」
「では、練習に励んでください。やればできるはずです、やれば。アレン様に足りないのは経験です」
「…………最近、ルードに似てきたな」
「あら、あんなに黒く染まりましたか?さすがにそれはないかと」
ほほほ、とお上品に笑うユンさん。
アレンは諦めてため息をついた。
「あの、私も練習がんばりますから。どうにか一曲だけでも、踊れるようになりましょう」
「ソアリス夫人、そなたらは一曲も満足に踊れないのか?さすがに、本格的に講師を雇った方がいいぞ」
宰相様が本気で心配してくれている。
私は愛想笑いを浮かべ、どうにかこの場をやり過ごすのだった。
ヒースラン伯爵家の本邸は、アイボリーの壁にオメガ・ブルーの屋根が落ち着いた印象の建物で、南に大きな庭園を構えた凹型のお邸だ。
正面玄関から中へ入ると、いかにも由緒正しい貴族家といった厳かな雰囲気が漂っている。
「「「おかえりなさいませ、アレンディオ様」」」
私たちが邸へ入ると、ずらりと並んだ使用人に出迎えられた。
アレンと結婚した十年前、最も貧しかったときは使用人が3人しかいなかったけれど、リンドル子爵家の援助によってその数は少しずつ増えていき、お家再興となった今では住み込みの使用人だけでも20人は雇っているという。
通いの使用人も含めると、伯爵家を支える人たちは40人以上いるのだろう。
武功を立てて戻ってきた一人息子であり、将来この家を継ぐアレンを迎える使用人たちは皆恭しく頭を下げて彼を出迎えた。
古参のメイド長は50代後半で、私にも見覚えがある。
お義父様は私たちや宰相様、そしてユンさんを笑顔で迎え、ようやく領地へ戻ってきたアレンを抱き締めて喜びを露わにした。
もう二度と戻らないことさえあるかもしれない、戦地へ旅立ってから何度もそう覚悟しただろう。
つい二か月前に王都で会ったばかりで、親子の再会はこれが初めてではないけれど、それでも邸へ息子が帰ってきた喜びは言葉に言い表せないものを感じた。
「本当に、よく帰ってきてくれた。やっと実感が湧いて来たよ」
改めてアレンを迎えたお義父様は、心の底から安堵を吐き出す。
それを見た私は涙腺が緩みかけ、どうにか笑顔を取り繕う。
「ソアリスもよく来てくれた。やっと君におかえりと言えるね」
お義父様は本当にうれしそうで、私も胸がいっぱいになった。
「ただいま戻りました。お義父様」
抱擁を交わすと、本当の親子みたいだと思えてくる。
けれど感動の再会は長続きせず、アレンが私をお義父様から引き剥がしたことで涙がピタリと止まった。
「ソアリスは疲れていますので、部屋で休ませます」
「…………アレン、今日くらい娘と再会を喜び合ってもいいだろう?我が息子ながら、本当に狭量で心配だよ」
お義父様をはじめ、宰相様までもが呆れて苦笑していた。
「さぁ、どうか皆様ごゆっくりお寛ぎください。今宵の晩餐は本館でささやかな宴を準備しております。それまでは、お部屋やサロンで旅の疲れを癒してください」
お義父様の声で使用人たちがすぐに荷物を運び始め、賓客である宰相様や侍従の方々、護衛騎士らもそれぞれの部屋へ案内されていく。
私はアレンと共に本館の二階へ上がり、すでに用意されている部屋へと入った。
「本当に懐かしいな」
アレンの私室は、調度品こそ十年前と変わっているものの、部屋の雰囲気はそれほど変わっていない。
アカシアの葉の模様が上品な白い壁紙は、同じものを張り替えたのだとすぐにわかった。
十年前、一度だけこの部屋でお茶を飲んだことがあったのだが、15歳のアレンは私が何を話しかけても「あぁ」「いや、そんなことはない」「そうか」くらいの単語しか発しなかった。
あのときの私が今のアレンを見たらどう思うかしら?
逆に怯えるかもしれない。
あの無口で不愛想な少年が、今では父親にまで嫉妬するほど私に甘い夫である。こんな未来が待っているとは思いもしなかった。
「ふふっ」
本当におかしなことだ。一緒にいる人は同じ人のはずなのに、こうも違うとは。
つい笑いが漏れる。
アレンは急に笑い始めた私を見て、不思議そうな顔をした。
「どうした?」
「いえ、昔を思い出しまして。まさかアレンがこんなに私に優しいだなんて、思ってもみなかったと」
昔のことを言われると居心地が悪いのか、アレンは無言で私の手を引きソファーに腰を下ろした。
二人で並んで座ると、彼は私の頭を抱え込むようにして抱き寄せ、頭にそっとキスをする。
「あの頃は……すまなかった」
「もう昔のことですから」
「ソアリスに逃げられなくてよかった」
私もそれを言われると困ってしまう。
幸せだな、と思って目を閉じていると、換気のために開けていた扉の外から声がかかった。
「坊ちゃま、よろしいでしょうか」
「「!?」」
私は慌てて、アレンから距離を取る。
そこには、手紙の束を持ったメイド長のカミラさんがいた。
白髪交じりの亜麻色の髪を後ろでお団子にし、黒いメイド服を着た姿は十年前と変わらない。
少し背が縮んだかもしれないと思うのは、彼女の年齢的なものかそれとも私が大人になったからなのかはわからなかった。
「なんだ?」
「坊ちゃまのお戻りにあたり、親戚の皆様やご友人方からお手紙がこんなに届いております」
アレンに友人なんていたかしら、と思ったのは私だけではなかった。
彼自身も「友人?」と首を傾げ、カミラさんの方へ近づいていく。
「面倒だな。父上は何と?」
「坊ちゃまにお任せすると」
アレンは手紙の束を手に、お義父様のところへ行くことに。
「私も行きましょうか?」
「いや、いい。ソアリスはゆっくりしていてくれ」
アレンが出て行くと同時に、カミラさんが廊下に置いてあったカートを押して入室する。
私にお茶を淹れてくれるようだ。
「お嬢様、お久しぶりでございます」
深々とお辞儀をしたカミラさんは、少し雰囲気が険しい。
もしかしてあまり歓迎されていないのでは。
私は一気に緊張した。




