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08.泣き虫ユメル

「悪評でもなんでも、竜と繋がりがあるならそれでよかったんだよ」


 ドルイクル王国に滞在した理由を、ピーナはそう語った。

 それだけ竜という存在の影がなく、彼が孤独を抱えているということだ。なんでもない顔で笑っているが、笑えるようになるまでどれだけかかったのだろう。想像すると悲しくて、ビスケットの大きく割れた半分を押しつけた。


 トートドードの住まいからの帰り道、ついでに近くの村に寄って行こうという話になった。

 ここの村の人たちは、距離こそ取るものの、あまり魔女を嫌悪していない。リラリーレインがたまに薬を届けており、フリィもそれを継いでいるためだった。今回はそのサイクルとは外れるが、荷物の中に少量の薬が入っている。多くを届ける分には困らないだろう。この辺りは魔物が多くて、物資を奪う盗賊すらも出ないのだ。

 山の麓までを魔物たちに届けて貰い、村の近くまで魔法で転移した。そうしたらフリィの腹の虫が鳴いたので、少し早いが昼休憩だ。

 それぞれ手頃な岩に座り込んで持参した昼食を開いた。日持ちするパンをスライスして肉やら野菜を挟んだ簡素な食事だったが、ピーナは美味しそうに食べてくれるから作り甲斐がある。大きな口でかぶりつき、数口で食べ切ってしまう。しかし物足りなげにこちらを見てきても余分はないのだ。フリィは自分の取り分を奪われないよう背を向けた。


 食後のデザートにビスケットを分け合っていたとき――突然、きゃあ、と悲鳴が聞こえた。それから魔物の吠える声。

 膝の上のものを落としながら立ち上がり、耳を澄まして方向を確かめる。ピーナが手早く荷を纏め、村の方だと鋭く言った。

 急いで駆けつけた先では、一人の女性が魔物に囲まれていた。

 シスターなのであろう、貞淑な紺色のワンピースを纏った女性は、可憐な顔を歪めて涙をこぼしている。

 彼女から魔物を隠すように手を広げたけれど、あいにくこの小さな体では少しも視界を隠せない。


「あなた、大丈夫!?」

「は、はい。魔物がいっぱいで、私、怖い……」


 消えそうにか細い声が痛々しかった。

 あ、とピーナが何かに気づいたような気の抜けた声を上げる。


「下がってなさい、私が」


 少女を下がらせる前に、側面から魔物が飛びかかってきた。

 魔法の構築は間に合いそうもない。考えるよりも早く、フリィはその身を少女と入れ替えるべく手を伸ばし――。


「怖いから、殺される前に殺さないと」

「えっ」


 握り締めた両手を胸に引き寄せて怯えていた女性は、その華奢な両手を歴戦の武闘家のように構え直した。次の瞬間には魔物の体が爆ぜて肉を撒き散らす。

 シスターが素手で魔物を肉塊と化す。子供が見たら即座に泣くであろう光景だった。食事の後なので、フリィも少しだけ泣きそうになる。

 呆然とするフリィの隣で、切迫感をどこかに置いてきたらしいピーナが解説をくれた。


「あいつは泣き虫ユメル。別名撲殺シスターと呼ばれていてな。あまりにも怖がりが過ぎた結果、怖いものは先に暴力で潰そうと考えるようになったらしい。ちなみに服装こそアレだが教会に仕えるシスターじゃなくて、ギルドに登録してる冒険者だ。腕も性格もいいから評判はいい。……対魔物の現場を見なければ」


 冒険者の間では有名人らしい。相変わらず人間の事情に詳しくて何よりだ。

 噛みつこうとする魔物を見事なステップで躱し、躱す勢いを乗せて拳で抉る。腹を貫かれ、背が弾けた。青空を内臓が舞い、先程まで泣きそうになっていた女性が更に踏み込む。

 徹底的だった。生存の可能性を限界まで潰しておこうという気概が感じられた。肉はミンチになり、毛皮が形をなくす。骨が粉と砕ける前に果敢な魔物が一匹突撃したのだが、振り向きざまにミンチの嵩を増す材料と化した。

 本日は晴天。実に爽やかな空の下、赤茶けた土にも紛れない肉片が辺りを赤く染める。一帯は生臭く、気の弱い人ならば一目で膝を折るだろう。


「ええん、怖かったです」


 それだけの惨状を作り上げた女性は、血に染まった赤い拳をスカートの裾で拭きながら、めそめそと戻ってきた。顔には涙の跡もあるが、それより返り血を浴びている。

 ぶるりと震えるフリィの肩を、ピーナの大きな手が包む。なんという安心感だろう。きっと竜であるピーナの体はあんなふうに砕けないでくれるはずだと、半歩引いて盾にした。


「あなた、オニ族とのハーフだったりするの?」

「いいえ、純粋な人間です。ああ……本当に怖かった……。私は冒険者のユメルといいます。助けていただきありがとうございました」

「声かけただけで、なんにもしてないけどね……」


 女性こと、ユメルに気を遣ってというよりは、ギャップに怯えるフリィのためだろう。ピーナが水の魔法で辺り一帯を浄化して、ついでにユメルの血と脂に汚れた手を清めた。

 わあ、と歓声を上げたユメルがピーナを見上げる。


「魔法使いの方なんですね。体が大きいから、てっきり物理的な感じの方かと!」


 外見に見惚れるでもなく、彼女はすぐに澄んだ瞳をこちらに向けた。


「助けて貰っておいて大変申し訳ないのですが、急いでいるのでこれで失礼させていただきますね。今は持ち合わせがないので、お礼はまた、お会いできたらさせてください」

「お礼はいいけど……もしかして村で何かあったの?」

「はい。最近また魔物が増えたようで、薬が尽きかけているらしいんです。少しすくないんですが、用意のある分だけでもお届けに行こうかと思って」


 それはタイミングがよかった。

 鞄を漁って薬を取り出す。フリィが直接届けに行くと気を遣わせるから、代わりに渡してくれればありがたい。

 有名な冒険者であれば、今後の評判のこともあるし、そのまま逃げなどもしないだろうし。


「えっ、いいんですか。助かります、ありがとうございます!」


 頭を深々と下げて彼女は駆けて行った。大変な健脚のようだから、彼女は拳だけでなく足技も強いのかもしれない。

 トートドードが言う通り、人間にも色々な人がいるものだ。

 ぼんやりと背を見送るフリィに、ピーナは弾んだ声で言った。


「あいつ、フリィのこと怖がらなかったな」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 数秒置いてハッとする。視界は良好で、つまりはフードをかぶっていない。竜の魔女たる黒い髪がむき出しになっている。

 急いでフードをかぶると、勢いがつき過ぎたのか後ろ髪を巻き込んだ。口の中に入ってしまってわたわたと避ける。どうしてフリィの髪は長いのだろう。魔女としての誇りを持つリラリーレインの真似などして伸ばしておくのではなかった。


「落ち着けって。そんな今更隠しても遅いだろ。もういないし」

「早く言ってよ!」

「おまえの髪は綺麗だから、隠すのは勿体ない」

「そういう問題じゃなくてえ!」


 ユメルは本当に怖くなかったのだろうか。あの輝く瞳は、本当にフリィの髪を認識していたのだろうか。気づかなかっただけではないのか。ちょっと変わった娘であったのだし。

 竜の魔女とわかっていて怖がらなかったのならいいな、と万が一の望みが生まれた。そうしたら……そうしたら? どうなるのだろう。考えたことがなさ過ぎてわからない。

 ぐるぐると目を回して混乱するフリィの髪を撫で、ピーナは慈しむように目を細めた。その目に少しの寂しさを湛えて。

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