番外01.魔女と妖精
本編の過去話で、フリィと妖精との関わりのお話です。
妖精は隣人ではない。
気まぐれに家には寄るけれど滞在はせず、気を休めることはない。人間とは何もかもを隔てた存在である。
「ああもう、またやられたよ!」
リラリーレインは妖精が嫌いだった。
大事な魔草を食べられて毎日のように憤慨していた。魔物は柵やトラップで対策が可能だが、妖精に通用する物理的手段はほとんどない。あれこれ考えて魔法的な罠を仕掛けても、魔力を吸収されて無効化された。
これでは餌をやっただけではないかと地団太を踏むリラリーレインには悪いけれど、フリィはそんな自由な妖精という存在が嫌いではなかった。
しかし畑を荒らされるのは困る。悩みながらフリィが畑仕事をしていたら、ある日、ふわふわと妖精が寄ってきた。
妖精はあまり他の生物の前で食事をしない。魔力を摂取してすぐは、己の魔力に取り込んだ魔力が馴染まず、魔法が使いにくいからだ。だから、寄ってきたのはフリィに悪戯をするためなのだと思った。
当時のフリィはまだ八歳。魔法の基礎を頭に叩き込まれている最中で、ろくな対抗手段を持たなかった。妖精の悪戯には基本的に害意はないが、害意がなくとも人は殺せる。どうか荒いことをされませんようにと祈り、手にしたじょうろを胸に抱えて強く目を閉じた。
「……」
衝撃はいつまで経っても訪れない。そろそろと片目を開けるが、近寄ってきていたはずの妖精は視界に入らなかった。
一体どこへ行ったのだろう。キョロキョロと首を巡らせて――すぐ真横、物凄く近い距離で見つけた緑色に、思わず大きな悲鳴を上げた。
【――! ……!】
人間が飛び上がったのは面白かったらしい。キャッキャと手を振り回して喜んだ妖精は、ちょっこりとフリィの肩に座ったまま退こうとはしなかった。恐る恐る手にしたじょうろを傾けて魔草の世話をし始めても、魔力を帯びた水に惹かれて魔物たちが寄ってきても。
「……何を懐かれてんだい?」
「わ、わからないわ……」
黒く長い髪に絡まるようにして過ごしていた妖精は、四半刻ほどするとようやく小さな尻を上げた。
【d】
枝でできた手足。両手の親指あたりにポンと新芽を生やし、大きな葉っぱの翼で羽ばたき去って行く。その身は来たときよりもどことなく艶めいているように見えた。
「……?」
よくわからなかったが、フリィにも作物にも被害はなかったのでよしとする。
妙に距離の近い妖精は、その個体だけに留まらなかった。砂に埋もれながら顔を覗かせる土の妖精が靴の上に滞在したり、ほぼ液体でできた水の妖精がじょうろの水に同化していたり。赤々と燃える火の妖精が身を寄せてくるのには震えた。てっきり熱いのだと思ったが、妖精の体である炎は温かくて心地よい温度をしていたから、冬にはとても助かった。
そういうことが何度もあってフリィは妖精への警戒を緩めたけれど、リラリーレインは難しい顔をしてフリィに妖精のなんたるかを叩きこんだ。
「アンタ、妖精と仲良くなりたいのかい」
「……仲良くできてない?」
「いいとこ食事処だろうね。同じ顔触れじゃないだろう」
そういえばそうかもしれない。改めて来訪者たちを思い返すと、見慣れた顔というのはいない気がした。
つまりフリィを気に入って何度も再訪する者はいないということだ。しょんぼりと肩を落とす。
「仲良くやっていきたいなら、まずは相手をよく知りな」
妖精の生態についての資料は少ない。なぜなら妖精と仲を深めた人間は、ことごとくいなくなってしまうからだ。
差し出された手に指を重ねてはいけない。差し出されるものを安易に受け取ってもいけない。それらは妖精界への誘いであり、受け取ることは同行の了承。妖精界では生きられない人間にとって、死への通行手形を受け取る行為である。
最初に教えられたその心得に、フリィは盛大に顔を引き攣らせた。
「こわい」
「人間にとってはね。アイツらにとっちゃそれが常識なのさ」
逆に、人の常識は妖精には通じない。駄目だというジェスチャーは駄目だという意味では受け取られないし、頷いても必ずしも肯定と通じないことがある。
理解はしたが、それって随分と難しくはないだろうか。じゃあ、親しげに頬を摺り寄せるのも親愛ではない? コロコロと笑ってフリィの手で跳ねるのも、ただ魔力路で戯れているだけ?
聞けば、リラリーレインは肩を竦めた。さあねと素気ない言葉が返される。
「異種族と付き合うなら慎重におし。言葉が通じるなら対話をなさい。言葉が通じないのなら観察を。何もせずに通じられるほど、この世界は甘くはないよ」
腰を引かせながら、フリィはゆっくりと妖精を観察した。
ある日は対応に迷い硬直して棒のようになり、妖精たちに散々突きまわされた。またある日は落としたものを拾って貰い、受け取った途端に妖精界に連れ去られそうになって悲鳴を上げた。たんこぶにたんこぶが重なるほどリラリーレインに叱られたが、まさか落とし物も駄目とは思わないだろう。注意勧告が甘いのが悪いとフリィは思う。
少しずつ距離を詰め、傾向を掴み、妖精たちの好みを知り――やがて臆さず接せられるようになった頃。
フリィの最愛の魔女が息を引き取った。
最初からわかっていたはずの別れは、だからと言ってすぐに割り切れるものではない。フリィは外界を忘れ、深い悲しみの水底に沈んだ。全ての交流を断ち、隔絶された家に閉じこもった。
あふれ出る涙に際限はなく、引き攣れる呼吸が苦しかった。鼓動を刻む心臓はあまりにも不規則で、これから続く長い長い寿命の一端を少し余分に削っただろう。
『腐るんじゃないよ。踏ん張って生きな。いつか遠い未来、もし死んだ先であたしに会えることがあったとき、張り倒されるような生き方はするな』
最低限の食事を忘れなかったのは、ひとえにリラリーレインの教育ゆえだった。飽きるほど何度も言い聞かされた。飲まず食わずでは人は生きられない。腐り落ちてしまうわけにはいかなかった。張り倒されてしまうから。
そうは思えども、一緒に死んでしまいたいと何度も思った。しかしフリィはリラリーレインの残り僅かな時間を貰った。大切なその時間を無駄にするのだと思うと我慢がならない。
ならないが。
……少しだけ、無駄にさせて欲しかった。今は泣いて、泣いて、泣き尽くして、そうしたらまた立ち上がるから。畑にやれと言われた涙を、今だけは乾いてしまったこの家を湿らせるために使わせて欲しい。
備蓄がなくなり、フリィがようやく二本の足で立ち上がることを思い出したとき、ふと囁くような音が聞こえてきた。
なんの音だろうと考えたのは僅かな時間。妖精の声だと思い当たり、フリィはまだ悲しみを纏わりつかせた重たい足で、ふらふらと窓辺に寄った。
僅かに開いた窓の隙間に、妖精たちが集まっていた。思い思いの姿勢でだらけた彼ら、あるいは彼女たちは、泣き濡れた顔をするフリィに頓着することなく、いつも通りの顔をして、いつも通りの対応をしてきた。ある者は小さな風を投げ、ある者は水を投げ、ある者は手を振って、ある者は人などいないかのように見向きもしない。
「どうしてこんなところに……」
言いながら思い当たった。部屋の中の空気がこもっている。いやに魔力濃度が高くて、気づいてしまうと噎せてしまいそうだった。
ずっと引きこもって、更には感情のままに泣き崩れていた。ただでさえ未熟な体に収まりきらない濃い魔力だ。荒ぶる感情では制御できなかっら魔力が、いつも以上に溢れていたはずである。
つまり、唯一外界との接触場所となったこの僅かな隙間は、リラリーレインいわくの食事処となっていたのだろう。
少しばかり呆然として、次第に笑えてきた。フリィはあんなに悲しんでいたのに、このマイペースな生き物たちは全くいつも通りに生きていたのだ。フリィを食事処扱いするのはリラリーレインが死んでしまっても変わらず、以前と同じように、自由に。
目に賑やかな窓辺から視線を外し、庭を見る。青々と茂っていたはずの魔草は枯れ、なんとも貧相になっていた。餌の貰えなくなった魔物たちは姿を消して、すっかり寂しい世界が広がっている。
ぐるりと家の中を見渡せば、素朴でありつつも温かみのあった家の中にはうっすらと埃が積り、まるで廃屋のようだった。
ああ、これはいけない。こんなところで腐っている場合じゃない。
濡れた頬を拳で拭う。未だ震えたがるのどを、歯を食い縛って押さえつける。リラリーレインと作ったこの家の空気を失いたくはなかった。取り戻せるのはフリィだけだ。そしてこの世界を維持できるのも、また。
心が奮い立つにつれ、抜けた体温が次第に戻ってきた。ふらつく足に力を入れてしっかりと立つ。
魔草は枯れてしまったが、作業場には処理前の種が残っていたはずだ。急いで散らかった部屋を漁り、なんとか生き残った種を見つけた。捜索の最中に散らばってどうしようもなくなった素材をきっかけとなってくれた妖精たちに差し出すと、聞いたことのない歓声じみた声が上がった。窓辺に積んだ素材を口にする妖精たちは微笑ましい――待って、今鉱石食べた? それって齧れるようなものだった?
新しく発見してしまった衝撃の生態に戦慄しながら、フリィはせっせと畑を取り戻すべく奮闘した。枯れた魔草を取り除き、いつもは二人で耕していた土を一人で掘り返す。畝を作り、種を植えた頃には、少しは視野が広がっていた。
森の木の実などで食い繋いでいたが、いつまでもそればかりとはいかない。なくなった食料を購入するために、初めて一人で街へ赴いた。一人で受ける視線は痛くて、初めて街に来たときのように震えが止まらなかった。
買い物のついでにオッシュにリラリーレインの死を伝えると、彼は悲痛な顔をして唇を噛んだ。潤んだ目にホッとする。魔女は疎まれる存在だけれど、ここにも彼女を悼んでくれる人がいた。
オッシュはフリィを気遣って街への滞在を提案してくれた。受け取れたのは気持ちだけ。フリィの孤独は癒えるかもしれないが、街の人もフリィも、双方共に傷を負うだろう。それはオッシュもわかっていたようで、酷く苦い顔をして、何かあったら頼れと懇々言った。
一年が経ち、二年が経って、畑はようやく緑を取り戻した。魔物たちがぽつぽつと増えて、フリィに図太く餌をねだる個体が出てきた。
妖精たちは変わらない。今日も、昨日も、一年前も、二年前も変わらず自由に過ごしている。
窓辺に素材を置くのは習慣になった。毎日綺麗にたいらげられている。たっぷり食事はしているから、畑仕事の間、フリィにくっついてくる妖精はほとんどいなかった。
ほとんど、である。例外はいた。妖精は好奇心が旺盛だ。人間にしては高い魔力を持つ者を面白がって、たまにちょっかいをかけてくる。
その日は頭から水をかけられて、ただでさえ短かめの導火線に火が点いた。
「もう、仕事の邪魔するなら閉じ込めちゃうわよ!」
嘘だ。そんな繊細な魔法は使えない。
しかしあちらはそんなフリィの魔法事情は知らないので、魔力の高まりを感じ、蜘蛛の子を散らすように飛んでいった。
もう、と息を吐き、目に入りかけた水を手の甲で拭う。ふと拭った手に視線を落とすと、小さな水滴と目があった。
「……?」
【……】
水滴と目があった。水滴にふたつ、目が生えている。つぶらな目はぱちぱちと瞬きをして、じっとフリィを見ている。
「……!?」
声もなく悲鳴を上げて手を振り回したフリィの姿は滑稽だっただろう。水が跳ねるような声が聞こえた。
指先からポヨリと独立した水滴が宙を舞い、フリィがかぶった水を集めて体をつくる。水でできた透き通った体。髪は羽のようで、羽もまた水だった。
楽しそうに宙返りをして、水の妖精は姿を消した。尻もちをついたフリィは、一体なんだったのだとしばらく庭で呆然と座り込んだ。
彼女は――彼女のように見えるが、もしかしたら彼かもしれない――翌日も現れた。じょうろの中から顔を出した妖精に、フリィは今度は驚かなかった。
「……昨日はびっくりしたわ。ああいうのはもう止めてよね」
【……、……】
「でも、濡らされたのを乾かしてくれたのはありがとう」
【――、……、――】
交互に喋る言葉はお互い通じていなかったが、会話のようなことをした。時雨のようなぽつぽつとしたお喋りは、存外フリィの心を和ませた。
彼女は翌日も訪れた。その翌日も、また次の日も。いつしか滞在時間が長くなり、家に住み着くようになって、いっそだらしがないほどに気を休めるようになった。
何を考えているかもわからないし、言葉も通じはしない。害さないと約束しあったわけではないし、することもできない。
けれど、そうして彼女はいつの間にか、妖精の中でもたった一人だけの、隣人と呼べる存在になった。
フリィが寂しいときも、悲しいときも、いつでも傍にいてくれた。
懐かしい夢を見た。
食事の手を止めて妖精たちを見るフリィに、ピーナはのんびりと話しかける。
「今日も賑やかだな」
「ね。妖精って、外見の種類が豊富で面白いわ」
赤、橙、黃、緑、青、藍 、紫。虹色をコンプリートしてなお余る色とりどりの妖精たちに、しみじみと感嘆の息を吐く。
フリィとピーナの昼食の時間には、窓辺には摘んだ魔草が皿に盛られ、屑魔石がコロコロと並べられる。魔力を込めた水盆の中では、リリリッタと見知らぬ水妖精が仲良く行水していた。
【――、……】
【……、……――!】
キャッキャと談笑しているらしい、その言葉は様々な自然の音だ。心地よいBGMに、今日も食事がよく進む。
「……鉱石バリバリ食べる光景って、結構衝撃的だよな」
「最初は目を疑ったわ」
屑石を飴玉のように口に入れるのはいい。だが一抱えもある妖精比で大きな石に齧りつき、ボリボリと嚙み砕く様は、今でもじっくり観察してしまう。小さな顎の攻撃力を侮ってはいけない。いつだったかのリリリッタの鋭い牙は、人体など容易く食い千切るだけのポテンシャルを秘めているのだ。
【……、……、……】
リリリッタが何か言ったのか、最近の彼らは食事の後にお代を置いて行く。
葉っぱに小石、何かの羽、花びら。代わりどころでは昆虫の足に、トカゲらしき生物の尻尾。
彼らは自分の好きなものを置いて行くだけで、人間の価値観などはわからないし関係ない。大抵はどこででも取れるなんでもないものだが、たまに恐ろしい価値を持つものもある。今日は――大したものはないようだとホッとした。
贈り物を回収すると、ピーナが風を吹かせて窓辺に残った屑を払った。明日もまた、窓辺は豊かな色彩でフリィたちを楽しませてくれるのだろう。
妖精たちは変わらず自由だ。あの頃と同じように、つかず離れずそこにいる。
【――、フリィ、……】
リリリッタがふわふわと寄ってきて、ぽとりとフリィの手のひらに雫を落とした。液体はころりと肌の上を転がって不定形に形を変える。またよくわからない特殊な何かをくれるらしい。
「ありがとう、リリリッタ」
プレゼントに対してだけではない。彼女の好意を臆さず受け取れるようになったことが嬉しくて、そしてずっと一緒にいてくれたことが改めてありがたくて、フリィは全てひっくるめて感謝を伝えた。それが伝わっているかはわからないし、例え伝わっていなくてもいいと思う。
いつまでも変わらぬものもあれば、変わったものもある。変わらないようにとフリィが手を加えたもの、変えたいと必死に手を伸ばしたもの。
不変も、変化も、今のフリィは全ての結果を愛しいものと思えた。




