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24.竜

 そんな緩み始めていたトレッカの街は、この日を境にまた少しずつ硬質化していった。逃げた魔物とやらの警戒のため、王都の兵士が配備され始めたからだ。

 彼らはことあるごとに王都の常識を持ち込んで軋轢を生み出した。彼らにとってはそれこそが常識であるから、一概に兵士たちが悪いとは言えない。だが、ここは王都から最も離れた土地である。培ってきた勝手に水を差されて、気分がいいはずがなかった。

 そして、居心地が悪くなったのは街の者だけではなく、フリィもまた同様だった。


「……しばらく甘やかされてたからかしら。悪口程度で苛々するわ」


 コソコソと叩かれる陰口が耳につく。ただでさえ今日は落ち着きのない魔物たちに畑を台無しにされて気が立っているのだ。久しぶりに、マルコに絡まれたときくらいには気持ちがささくれ立ってきた。


「怒っていいぞ。ちょっと建物が破損したくらいなら直してやるから」

「ちょっとでは済まなさそうだから我慢しとくわよ」


 魔女は辺境に追いやられるということだった。だから王都から来た兵士たちは魔女に耐性がない。

 フードを目深に下ろしていても、あれが魔女かと珍獣を見る目を向けてくる。そしてザイードが言う通り、王都の人間はあまり魔女を恐れてはいないようだ。代わりに飛ばされるのは蔑みの目。

 その目はとてもマルコに似ていた。彼は身分こそ平民だったが、貴族である父親に魔女観を擦り込まれていたから、あんなに真正面から堂々と魔女に歯向かえたのかもしれない。


「ユメルやザイードも忙しそうだし……早く討伐できるといいんだけどね」


 ピーナを怖がったのか、はたまた忙しいのか、あれから侯爵が再びフリィの前に現れることはなかった。しかし強大な魔物とやらが虚言ではない証拠に、ザイードは討伐に駆り出されたし、ユメルは自ら志願して戦線に出た。

 危険を思って意見を揺るがせかけたフリィに、彼女たちは言った。


『私たちはこれでお給金をいただいてますからね』

『なんのために騎士団があると思っている。オレたちの仕事を取るな』


 頼もしい顔をしていたが、やはり心配なものは心配だ。

 無事を祈るフリィを、擦れ違いざま兵士が睨みつけていく。


「役立たずの魔女が」


 すかさずピーナに睨まれて、尻尾を巻いて逃げ出した。尾長鳥も鳴かずば撃たれまいに。

 命令に従いさっさと魔女が出動していれば辺境に来なくても済んだのに、と彼らは揃って不満らしい。けれど残念。実のところ、フリィへの出動命令は翌日には撤回されている。

 ザイードから改めて渡された書簡には、いかにも渋々といった文面の命令撤回と共に、手紙が一枚添えられていた。


『父が厚顔で申し訳ない。いつかあなたに、友人になりたいと言える国にしたい』


 角ばった丁寧な字からは、短かろうともまだ見ぬ誰か(おうじ)の誠実さがよくわかる。もしかしたら魔女を留めたい打算かもしれないが、国の未来を信じてみたいと思えた。

 そして初報から二週間。兵士と民の間での緊張が極限に達し、いまにも爆発しそうになった頃。

 それは突如地中から現れた。

 酷く悍ましい見た目をしていた。皮膚はなく、剝き出しの肉は溶け、腐臭を撒き散らしている。肉が剥がれ落ちた場所には白い骨が覗いていた。

 勅令に記されていた、神殿に弔われていて蘇った魔物とやらなのだろう。しかしそのシルエットは。


「竜……?」


 誰かが呟いた通り、その骨格はまるで皆が絵物語で見てきた竜のようだった。頭には角が二本。大きな眼孔と、トカゲに似た口元。大きな体躯の背には、過去には羽があったのだろう。今は空しく骨が突き出している。

 ピーナが隣で息を呑んだ。長い時間探し求め、初めて目にした同胞の無残な姿に、彼は何を思うのか。

 ぽっかりと空いた左の眼孔。唯一美しく残る右の眼が、ぎょろりと人間を睥睨した。頭が軋むような不安定な叫びが轟く。知らない言語のはずなのに、返せ、と言っているように聞こえた。その声は、人への怨嗟に満ちていた。

 魔力の動きを感じて我に返った。腐竜の口腔に暗い火が灯る。咄嗟に結界を構築するが、十分には程遠い出来栄えだ。

 これでは駄目だと直感した。ブレスは結界を貫通して街を焼くだろう。

 オッシュがいる。ハルタがいる。小物屋の母娘がいる。フリィに挨拶をしてくれるようになった人々がいる、この街を。

 こんなにも腹の底が冷えたことはない。子供の頃に常に隣にあった冷たいものは、絶望などではなかった。今このときを、それと呼ぶのだ。

 無力な少女のように強く目を瞑った。最後だというなら、全てが消し飛ぶ瞬間を見たくはなかった。

 だが、衝撃に備えて固くした身は、いつまで経っても無事だった。恐る恐る目を開くと、周囲の人もフリィと同じように顔を背けて目を閉じていたり、頭を抱えて蹲っている。


「よかった。無事か?」


 高くから降りてきた苦痛に満ちた声に、弾かれたように顔を上げた。


「ピーナ……!」


 明るい灰色をした大きな竜。本性に戻ったピーナが、腐竜との間に立って人々の壁となっている。正面からでもわかるほど、その背が焼けて焦げていた。


「無事じゃないのはあなたでしょ!」

「すぐ治る。竜は治癒能力が高いんだ」


 慌てて太い前足に飛びつくと同時、背後で悲鳴が上がった。


「りゅ、竜がもう一体!?」

「でも今、ピーナって……」


 集中する嫌疑の視線にほぞを噛む。しまった、名前など呼ばなければいくらでも誤魔化しが利いたのに。

 うろたえるフリィの視界に、ふと腐竜が第二波を構えている姿が映った。

 ――人間相手の話は後だ。これ以上ピーナを傷つけさせてなるものか。

 焦りさえしなければ、フリィの魔力は生粋の竜にも劣らない。

 魔力を練り上げ魔法を成す。強い足踏みと共に、腐竜の足元から漆黒が迸った。溜めたブレスが射出されるよりも早く、闇の柱が顎を打つ。暗い炎が天を焼いた。

 フリィの一撃は、確かに腐竜にダメージを与えられた。顎からは肉が削げ、骨にはヒビが入って、崩れた欠片を落としている。

 眼孔に嵌る右の眼が、明確にフリィへの殺意を乗せた。


「フリィ、乗れ!」


 足に風を纏わせる。地面を蹴って飛び上がりピーナの背中に降り立つと、一対の翼が羽ばたいた。ボロボロの右翼には魔力が帆を張っている。

 飛び立つピーナを腐竜が追った。正しくは、ピーナの背に乗る、己を害したフリィを。


「竜の背に乗るだなんて、まるで英雄王みたいね」


 状況は違うが、竜の背に乗る王の絵物語を思い出す。剣を構え、空を駆ける英雄王。その原版はは神殿の地下に眠る古い壁画に残っているという。

 苦笑するフリィに、足元の竜は大きく笑った。


「案外、英雄王も竜と協力関係にあったのかもな」

「採用。それって敵対してるよりずっと素敵だわ」


 ピーナの言葉に目を丸くして、フリィは声を弾ませた。

 根拠は少しだけある。敵の遺体に、弔うなんて言うだろうか。敵である竜の目を用いた結界を、加護だなどと呼ぶだろうか。

 歴史は歪められるものである。これはそういう偏見を基にした、完全なるフリィの妄想だ。


 英雄王は竜と協力関係を築いて、共に強大な何かを打ち倒した。竜が亡くなり、遺体は丁重に弔われた。後世、暴虐の王により魔法の力が衰退し、国は外界から身を守る新たな手段を必要とした。研究の結果、竜の眼が魔法の媒介として使えると判明した。遺体を傷つけ眼を抉り出す正当性を持たせるため、竜と協力関係を築いて共に何かを打ち倒したという話を、竜を倒したということにした。

 遺体から奪われた片眼は、魔法の媒介となり国に結界を張り巡らせた。それが遺体になにがしかの影響を与えたのかもしれない。

 腐竜の魔力はとりとめがない。浮上しては沈み、別の魔力の気配に置き換わる。それは生物の魔力のような、自然に満ちる魔力のような、人のような、魔物のような。そしてその中でも最も強く感じることがあるのは、ピーナの魔力だ。

 ピーナが家に来て、ひいてはこの国に来て一年ほどになる。これまで、彼は疎外感を得るからと、ひとつの地に長く留まったことはないらしい。

 様々な魔力を眼を通して吸収していた竜の遺体は、同族の魔力を一年間浴びて不完全な復活を遂げた。味方であったはずの人の手で眼を抉られ、使われている。眼を取り返そうにも不完全な竜は脅威を弾く結界に阻まれ、過去に協力者であったはずの人間は竜を憎み倒そうとしてくる。

 重ねて言うが、全てが妄想だ。しかし万が一そうなのだとしたら哀れに思う。


「ねえ……ピーナは、いいの?」


 街からは随分と離れた。遥か眼下には、家からは離れているが、フリィたちが住む森が広がっている。……手荒なことをしても、人的被害は出ないだろう。

 言葉少なな問いかけに、彼は少しだけ無言を返した。後ろを飛ぶ、安定しない巨体をちらりと見る。


「俺はどんな形であれ、同族に会えたことを嬉しく思う」


 やがて返された声は、静かで優しい。


「でも、こんな形で蘇ったあいつは不幸だっただろう。……眠らせてやってくれないか」

「私でいいの?」

「俺にはできないんだ。大きな魔法はもう、使えないから。それならおまえにやって欲しい」


 事情はわからないが、願いは伝わった。大きく頷いて魔力を練る。

 竜の背の上で立ち上がった。風はピーナが制御下に置いてくれているから、落ちるような心配はいらない。

 追跡し続ける腐竜は、時折ブレスを吐き出した。ピーナはそれを危なげもなく避ける。飛べば飛ぶほど、腐った肉が落ちていく。そのたび巨体はぐらりと揺れて高度を落とし、けれどもずっと、ずっと、ピーナの後ろを追ってくる。

 ふと思う。千年焦がれた同族の姿。それはピーナだけでなく、亡くなった彼、あるいは彼女も同じだったのではないだろうかと。

 どれだけ思考能力が残っているかはわからない。何を求めているのかもわからない。だが、ピーナが求めた「共に飛ぶ」という行為。竜が本能的に求める、大事なことだったのではないだろうか。

 最後にそうして飛べたことが、双方にとっていいことだったと思いたい。


「あなたの仲間は私が幸せにするから、任せてね」


 エゴでもいいからと口ずさむ。風に紛れて、きっとピーナにすら聞こえなかっただろう。

 気のせいかもしれないが、腐竜の口の端が一瞬上がったような気がした。ぼろりと崩れて肉が落ちる。

 フリィは目を細めて、握った拳を突き出した。苦痛を齎さないよう、確実に一撃で終わらせられるよう。たっぷりと練り上げた魔力が形を成す。

 黒い風が腐竜を覆った。呑み込み、隠し、静かに包む。そして風が通り過ぎたとき、もはやそこには何もない。

 澄んだ青い空はこのとき、ピーナとフリィ、ただ二人だけのものだった。

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