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22.私の翼

 口を捕食するように覆われる。ほんの僅かに歯が立てられて、驚いて悲鳴が出かけた。震えて緩んだ唇を、分厚い軟体がずるりと抜ける。

 目を見開いたまま硬直してしまったフリィの尻を、彼は大きな手のひらで持ち上げた。後頭部に回った手は、支えるというよりは固定するためのものだった。丁度よい高さを模索して調整をされる。やがて手頃な位置を見つけたらしい。不法侵入をしていた舌がズルズルと動き出す。


「ん」


 フリィのものとは全く違う長い舌だった。適当な変化だから人になりきれていないのか、それとも体が大きいから舌まで長く分厚いのか。突然の事態に怯えて引っ込む薄っぺらい舌を撫であやし、のどの近くまで入り込む。


「んむ、ぐ」


 歯をなぞり、顎の裏をくすぐり、また舌へと戻ってくる。ぐちゃぐちゃに揉まれて翻弄された。舌を伝って注がれた唾液が口の中に溜まる。息苦しさに朦朧とした意識の中で、呼吸を阻む邪魔な液体を嚥下する。

 涙の膜が厚くなる。膜越しに目が合った。ぱちりと瞬きをすると、目尻から涙がこぼれる。フィルターがなくなった視界に、ピーナの縦に割れた瞳孔が映った。その瞳はいつにない熱を帯びてフリィの脳を焼く。

 湿度の高い時間は、長く、長く――とても長く続いて。


「――苦しい!」

「ぐっ……」


 なおもしつこく絡みついてくる舌を強めに噛み、怯んだところを押し退けた。

 意表を突いても離れた距離は極僅か。再び顔を寄せてきたから、急いでピーナの口を手で覆った。べろりと舐められて反射的に離しそうになったが、そうはいかない。もうフリィの息は限界なのだ。


「よ、欲情しないんじゃなかったの!?」

「欲情?」


 名残惜し気にフリィの手のひらをついばんでいたピーナが首を傾げた。


「ああ、これ、そうか。そういえば人間のそういうのってこんな感じだったな」


 竜の目を晒したまま、彼は下方に視線を走らせた。

 何を見ているのだろうと同じく下ろしかけて思いとどまる。フリィの尻は未だ彼の手に支えられているが、その下にあるのはピーナの下半身だ。この話の流れでそちらを向く気にはなれなかった。

 性欲がわからないと言っていた彼はどこへ行ったのか。フリィの記憶が確かなら、その、今確認したであろう場所の様子が変わったことはないと言っていたように思うのだが、はたして今は――いや、特に答えを得たくはない。浮かんだ問いを放棄するべく、ぶんぶんと首を振る。


「突然おまえに凄く触れたくなったから、つい、いつもの感じで」


 あ、と言葉を区切ってピーナが声を上げた。


「うん……?」

「欲情ってことはこれ、相手の許可取らないといけないやつだな。悪い。……嫌だったか?」


 眉を下げてこちらを窺う目には、随分とナリを潜めこそしたものの、未だ燻る火が見える。

 返しにくい問いかけをされて、ぐ、と言葉を詰まらせた。

 あまりに唐突過ぎて混乱したが、嫌悪感は全くなかった。もしも嫌だと感じたなら、例え家族と決めたピーナでも、今頃は黒焦げになっていただろう。しかし嫌じゃなかったと口にするのは、家族と思っていたからこそ、物凄く抵抗がある。

 有体に言って恥ずかしい。


「……」

「…………」


 機微に鋭いピーナだけあって、黙り込んだフリィの心境はすぐに察したらしかった。嬉しそうにはにかんで、今度は宝物にするように優しく抱き寄せて頬擦りをされる。


「なあ、提案があるんだが――ちょっと移動するな」

「わっ」


 しばらくじっとしていたかと思えば、言うが早いか立ち上がり、椅子に腰かけてフリィを膝に置いた。


「わ、私も普通に椅子に座りたいんだけど」

「もうちょっと堪能させてくれ。さっきみたいなことは、ひとまずしないから」


 横向きに座らせたフリィが暴れるのを軽々と押さえて、彼は真面目な顔をする。

 つられて居住まいを正したが、そんなに真面目な顔で話すなら、それこそフリィは自分の椅子に戻った方がいいのではないだろうか。

 悩んでいる間に話はあっさり進行された。視線を合わせてピーナは言う。


「俺と双翼になってくれ」

「……というと?」

「夫婦になりたい」


 今更そこに戻って来るとは思わなくて言葉を失った。

 いや、でも、考えてみるとそうなるのかもしれない。フリィとピーナが家族という形に落ち着いたのは、互いにそういう欲がなかったからだ。一緒にいるのが心地よいというだけなら家族でいいんじゃないのか。そういう流れで着地した。

 そこにどちらか一方でも欲望を覚えたのであれば話は変わる。まして、相手が嫌がっていないのなら、なおさら。


「続きの行為については俺はまだよくわかってない。でも、また口づけはしたいと思うし、欲情もしてる。それならフリィと夫婦になりたい」

「そんなに性急に変わらなくてもよくない……?」

「だって、今のままじゃ誰かにフリィを奪われるかもしれないだろ。例えば俺とおまえが兄妹なら、妹は他の男のものになる可能性があるんだ。それは絶対に嫌だ」

「ないわよ。私をなんだと思ってるの。黒髪を見れば一目でわかる竜の魔女よ」

「そんなのわからないだろ。竜の魔女だって人間だ。俺だって人と家族になるなんて思わなかったし、こんなに人を、フリィを好きになるなんて思わなかった。だったら人が強くて優しい(まじょ)を好きになる可能性なんていくらでもある」

「……優しくなんてないわ」

「優しいよ。悪意を受けながらもおまえは人を見捨てなかった。たまに悪態を吐くだけで、報復もせず、腐らず、突然押しかけた俺を受け入れた。そういうフリィの優しさや強さが、俺は凄く好きなんだ」


 目を細めるピーナこそ優しいと思うのだけれど、そう言って貰えることは嬉しかった。

 掠れた低い声が、囁くように届けられる。甘い声は懇願しているようだった。


「なあ、フリィ。夫婦だって家族だろ。きっとそんなに変わらない。ただ確約が欲しいんだ。おまえの未来とずっと共にある権利が欲しい」


 両手を持ち上げられる。爪の先に唇が落ちた。


「俺と一緒に飛んでくれないか」


 彼の千年の孤独を思う。その重みをフリィが癒せるのかと考えると自信がなくて怖気づきそうだった。

 けれど――そんなのは今更の話だ。乞い願う彼の熱量を手放す気はないのだと、少し前に自分こそが口にしたばかりだった。例え他の竜が現れたって離れる気はないなんて、それはつまり、告白したのと同じようなものではないか。

 前言を撤回するなど女が廃る。そもそも撤回する気も毛頭ない。照れるからと返事を引き延ばしても、ピーナが悲しむだけである。ならば、フリィがするべきことは決まっている。

 ゆっくりと深呼吸をして気持ちを落ち着ける。……落ち着けているのに、温度の高い目と視線を合わせると心拍が速度を上げた。

 無性に逃げたくなる自分を引き留めて、取られたままの手で指先を握る。


「ええ、いいわ。喜んで。ピーナの孤独を埋めるのは私でありたいと思っていたところだもの。……てっきり家族愛だと思ってたけど、口づけしても嫌じゃないんだから、きっとそういうことなのね」


 額に口づけをひとつ。


「愛してるわ、ピーナ」


 それから頬に。続けて、口に。


「竜の魔女と呼ばれるたびに(あなた)の魔女だと思えるのって、面白いんじゃないかしら」


 空気に逆らってにんまりと笑ったフリィに、ピーナは輝くような笑顔を見せた。男らしい顔をしているくせに、表情ひとつで可愛らしく見えるのも愛ゆえなのだろうか。


「俺も愛してる」


 俺の翼、という呟きと共に、再び唇が塞がれた。

 遅まきながら、独特の求愛の言葉だなと思う。一緒に飛ぶ、翼を合わせて双翼になる。それは竜の本能なのか、はたまた一人で飛んだ彼の憧れだったのか。


 私の(ピーナ)。心の中でそっと返して、フリィは深い口づけに没頭した。

あと4~6話くらいだと思います。よろしくお願いします。

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