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21.雨降って地固まる

 フリィ的には大満足の一日だったのだけれど、ピーナはその日から、妙に不安定になった。

 ある日はフリィから距離を開け、ある日は前触れもなく抱き着いて何を言うでもなく背を丸めていた。何度水を向けても悩みを打ち明けない。そのくせ、なんでもないとは言わないのだ。

 フリィの気は長くない。数日は待ったものの、一週間は待てずに痺れを切らせて対話の席につかせた。


「言いたいことあるでしょ。言って」

「……」

「言いなさい。できるだけ怒らないから」


 眉は寄せられ、口はむっつりと閉じられている。

 いつもは柔和な顔をしているからわかりにくいが、端正な顔が険しく歪められていると、まるでバリアが張られているかのように話しかけづらい顔になった。しかし相手はピーナなので気にせず何度も促せば、やがて根負けしたように重い溜息を吐き出す。

 落とした視線はあいかわらずこちらを見るまいとテーブルに固定されていた。そろそろ穴が開きそうだ。


「なあ、正直に言ってくれていいんだが……俺は邪魔になってないか?」

「はぁ?」


 早速ドスのきいた声が出た。いけない、できるだけ怒らないと言ったのだった。

 眉間の皺を解そうと努力するフリィを見ることなく、ピーナは続ける。


「このままいけば、フリィは人間の輪の中に入れそうだろ。おまえは優しいから、家族になった俺のことを優先しようとするはずだ。……人間だけの方が楽しくないか?」


 口を開かないように我慢をした。ピーナが主張を終えるまではと。


「おまえの邪魔になるなら……俺はここを出て行くから……」


 三十秒くらいは頑張ったのだが、しかしそれが限界だった。

 椅子を蹴倒しながら立ち上がる。古いテーブルを両手で叩けば、みしりと嫌な音がした。


「バッカじゃないの!?」


 ここまで全力で叫んだのは、ピーナに会ったとき以来かもしれない。

 突然始まった癇癪に、瓶の底で寝ていたリリリッタが魔法で器用に蓋を閉めた。恐らくうるさいという意思表示だが、知ったことではない。


「友達ができて、人間同士仲良くできそうだから家族(ピーナ)捨てようって選択肢ある? 私そんな素振り見せた? 見せてないでしょ? おかしいでしょ!」


 小さなテーブルに行儀悪く膝を乗せて身を乗り出した。

 一歩間違えれば竜に変化できそうなほどの激情を、とにかく思いつくままに言葉に直して彼にぶつける。こんなに怒るとは思っていなかったのだろう。うろたえる様が一層腹立たしい。

 怒るに決まっている。ピーナだって、フリィがそんな発言をしたらきっと怒るに決まっているのに、どうしてそんなことがわからないのだ。


「十二年よ、十二年。私が一人で燻って、一人で止まっていた時間! どうして突然動き出したと思う? どうしてあんなふうに踏み出せたと――」


 胸倉を掴んで揺さぶっても、大きな体はびくともしなかった。代わりにテーブルがぐらぐらと揺れる。そのたびピーナの意識はそちらに逸れるから、フリィはますます腹が立った。


「踏み出して、もし拒絶されたとしても、ピーナが絶対いてくれると思ったからに決まってるでしょッ!」

「わかった、わかったからとりあえずテーブルから降りろ! 壊れたら怪我するだろ!」

「絶対わかってないでしょー!」


 一層激しく暴れるフリィは、最終的に猫を持ち上げるようにしてテーブルからの退去を強制された。


「謝りなさいよ、謝りなさいよ! 何よ、家族になってくれるって、あなた了承したじゃない。ピーナをはいそうですかと見送って、のうのうと幸せになれるやつだと思ってるってこと? 馬鹿にしないでよ!」


 両手どころか両足まで振り回す。その姿は十四歳という少女の外見ですら滑稽だろう。

 ピーナの頭を殴って、足で蹴って、それでも全く気は済まない。


「ごめん……」

「ごめんじゃないわよ、私は傷ついたからね。ピーナは、わた、わたしのこと」


 ぼろぼろと両目から涙が零れ落ちる。


「ピーナは私のこと、捨てられるんだ」


 呟いた途端に、潰れそうなくらいに強く抱き締められた。

 勢い余ってピーナが姿勢を崩す。椅子を倒し、テーブルクロスを引っかけながら床に座り込んだ。どこもかしこも覆われていたフリィにはさして衝撃が届かなかったが、ピーナは痛くはなかっただろうか。

 肩に埋められた顔は見えない。


「ごめん、違う」

「……何が違うのよ」

「捨てるなんてつもりじゃない。そんなことできない。……やっぱり、フリィの傍から離れたくない」

「じゃあ、なんで出てくなんて言うの」

「おまえは……その方が幸せになれるんじゃないかと、思って」

「馬鹿じゃない。もう一回暴れるわよ」

「ごめん」


 今にも息絶えそうなか細い声だった。

 フリィの体に回る太い腕は縋りつくようで少しだけ気が晴れる。悔しいではないか、フリィばかりが執着しているだなんて。

 こちらからも背中に爪を立てるようにして抱き着いた。ふ、とこぼされた息は安堵に満ちていて、そんなに嫌だったのなら最初から口にするなと思う。


「竜は、俺しかいないんだ」


 ぽつりとした呟きに耳を澄ませる。


「千年探しても誰にも会えなかった。渇望して、色々やった。どこまでも探しに行って、馬鹿なことをして、命の危機に瀕したりもして、それでも見つけられなかった。だからもう、多分、俺しかいないんだと思う」


 ボロボロの翼と背中の傷を思い出した。とりとめのないもしもが頭を過って胸を痛める。

 小さな手が回り切らない広い背中を撫でると、体格差からただでさえ丸まっていた背中が、より一層丸くなった。


「他の種族がずっと羨ましかった。(りゅう)は一人なのに、同じ姿をした仲間がいて。同じ姿になってそこに入り込んでも、ふとした瞬間に俺は異物なんだって負い目を思い出す。そのたび同じもの(りゅう)に会いたくて堪らなくなった。同種族の中で笑う自分を夢見ていて、だから、おまえもその方がいいのかと思った」


 そんなはずがないだろうと改めて否定をしなくても、彼はもう手放す気はないらしかった。

 首筋に側頭部を擦りつける姿は、まるで魔物がマーキングをするみたいだ。同じような仕草を返せば、これ以上はないだろうと思っていた抱き締める力が更に強くなる。骨が軋むほどの抱擁はフリィに痛みを与えたけれど、文句を言う気にはなれなかった。


「初めてだったんだ。俺と同じかたちをしたものを見たのは。おまえは人間だから同じじゃなくても、それでも、今まで出会った中で一番(おれ)に近い存在だって浮かれて、引け目も感じずに取り繕わない自分のままで暮らして、楽しくて、心地よくて、気が付いたら」


 のどが鳴る。ぐるる、と獣じみた音がする。


「フリィが人間だって、竜だって、それ以外のものだって、もう……離れたくない。一緒にいたいんだ」

「じゃあ、それでいいじゃない」


 顔が上がった。水気を帯びて艶めく赤の目を見据えてフリィは笑う。


「私だって同じよ。あなたが例え竜でも、何者でも離れたくないわ。もしもあなた以外の竜が現れたって、私はこの位置を譲ってなんてあげないんだから覚悟しておいてよね」


 腰を浮かせて額に口づけを落とすと、ピーナは一瞬だけ幼子のように無防備な顔をして、それから泣きそうに顔を歪めた。

 再び覆いかぶさってきた彼が顔を寄せるのを、フリィは当然同じような親愛のキスだと思った。額でも頬でも口でもウェルカムと、やりやすいよう顎を上げる。

 けれど、迫ってきたのは大きく開いた赤い口腔だった。

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