13.理解者
「あっ!」
今日もギスギスギルド前。ピーナのご機嫌もそこそこ真っ直ぐに戻ってきたので出向いたが、ここは本当に寛大な彼を斜めに向けるのが得意なようだ。
フリィに向かう恐れの視線に、ピーナはむっつりと唇を引き結んだ。どう宥めるかと頭を悩ませていたところに、前触れもなく高い声が響き渡る。
思わず向けた視線の先、満面の笑みを浮かべて駆けてくる姿を見て、正直なところ幻覚を疑った。
「先日は助けていただいてありがとうございました!」
「なんにもしてないけどね……」
それは、トートドードのところへ行った折に会った、シスターの格好をした冒険者だった。ユメルはなんの曇りもない眼差しでフリィに向けて礼を言い、相変わらずニコニコと笑みを浮かべている。
フードをかぶった女がフリィだとわかっているなら、黒髪であることを知っていて、つまりは竜の魔女であることも理解しているはずなのに。
「私、色々な街を転々としてる冒険者なんですけど、次はトレッカをホームにすることにしたんです。これからよろしくお願いしますね」
こんな普通の対応をされたことがなくて困惑した。反対に、ご機嫌を直したらしいピーナが笑みを浮かべた。
「よろしくな、ユメル。ほらフリィも」
「え、あ、よ、よろしく?」
「はい、よろしくお願いします!」
勝手に手を取られて差し出された。ユメルはそれを遠慮なく掴んで上下に振る。
「怖がりなのに、私のこと怖くないの?」
「怖くないですよ」
尋ねた声は情けなく震えていた。ユメルはにっこりと笑って答えた。
「とはいえ冒険者になりたての頃は怖かったんですけどね。でも魔女さんって結局薬とかつくって助けてくれるだけで、何も悪いことなんてしないでしょう。なんなら魔法使いさんの方が権力あるからって威張ってて怖いですよ。あんまり怖くて私」
ぎゅっと両手を握り締める様こそ怖いので止めて欲しい。魔法使いを殴りたくなったのか、それとも殴ったのか。
おののくフリィを見て、彼女は両手を解いた。
「理不尽に怒る人は怖いです。何もしないのに襲いかかってくる魔物も。でも、フリィさんは別に私に怒ってないし、暴力を向けたこともないです。フリィさんは私を助けてくれたんです。だからなんにも怖くありませんよ」
「そう、なの」
声を潜めることもない言葉に人々の視線が集まる。フリィは気まずさに身じろいだが、通ずるものがあったらしく意気投合したユメルとピーナは何も気にならないようだった。
以降、彼女は会うたび無邪気にフリィに声をかけてくれた。
普段は何をしているのか。魔法でどんなことができるのか。魔物の生態について。希少素材を調達するのにあった苦労。ピーナとの関係。矢継ぎ早に振られる話題は多岐に渡り、フリィはしどろもどろにひとつひとつ答えを返した。
こんなに色々聞かれるのは初めてだ。聞いてくるような人の知り合いといえばオッシュだが、彼はできるだけ傷口に触らないよう気を遣うタイプだったから。
ユメルは妖精に憧れがあるようで、家に住まう妖精の話では特に目を輝かせた。
「水の妖精で、髪が水でできていて、羽みたいになってるの。魔草を入れた水で水浴びをするのが好きみたい」
「かわいーい! お話できたりするんですか!?」
「何言ってるかはわかんないわね。ニュアンスでなんとか……」
「異文化コミュニケーションってやつですね!」
妖精に貰った宝石は革紐を巻きつけてペンダントにしたが、傷つくといけないので服の下につけている。引き出してユメルに見せると手を叩いて喜んだ。
楽しい、と思う。日常に色がついた。街に行き、ユメルと会えることが楽しみになって、遠退いていた足が向くようになった。もしかしたらピーナは嫌がるかと思ったが、ユメルと会ってからはまた街に出るのが嫌いではなくなったようだった。
そうして街中で語らっていれば当然人々の耳にも入る。また、オッシュという強面のギルド長とは違い、相手が一見可憐なシスターだということも人々の心を動かしたようだった。
ある日、細い路地から声をかけられた。
「ねえ、ちょっと」
街中でフリィに声をかけるといえばユメルしかいなかったので、最初は風邪でもひいたのかと思った。けれどどう考えても別人の声で、暗がりからフリィを招く腕は女性らしくも逞しい。聞き覚えはあるのだが。
ピーナと顔を見合わせる。敵意はなかったものの、念のため警戒しつつ近づくと、覚えのある顔が見えた。
隠れるようにして路地にいたのは、何度も買い物をしたことがある小物屋の女主人だ。彼女は怯えを隠してきちんと接客をしてくれる人だったから、買い物の際に嫌な思いをしたことがない。
彼女の腰元から、ひょこりと子供が顔を出した。女の子は目が合うと隠れてしまう。けれどまたそっと片目を出して覗いているから、怯えているわけでもなさそうだ。
視線を女主人に戻し、小道に入って近づくと、彼女は手にした袋を差し出した。
「これ、貰ってやってくれないかい」
開けて開けて、と下方から期待の視線が飛んでくる。圧力に負けて受け取った袋を開けると。
「髪紐……?」
「娘と編んだんだ。あんたはたまにうちで髪紐を買っていったけど、洒落た柄はなかっただろう」
仰せの通り、フリィが使うのはシンプルな髪紐ばかりだ。オシャレなどしようと思ったことがない。どうせ誰も見やしないのだし。
「いい男がいるんだからオシャレくらいしないと駄目だよ。なんでも求婚中なんだって?」
「いえ、それは」
「そうなんだ。応援してくれ」
否定しようとしたフリィを、ピーナはにこやかに遮った。
家族になろうと言ったのに、最近はまた人前での口説き文句が復活している。大事な家族に男を近づけないための牽制だと彼は言うが、そもそも男どころか人間自体がそうそう近づいてきたりしないのに。無駄な努力である。
女主人の太い腰から、女の子が声を上げた。
「女の子には、かわいいものをプレゼントするといいのよ」
「お、それじゃあその内店に寄らせて貰うから、フリィにぴったりなものを教えてくれよな」
膝を折ったピーナが言えば、彼女はうんうんと頷いてフリィを見上げた。早速似合うものを頭の中で物色しているようだ。
子供の真っ直ぐな視線など初めて受けた。うろたえて、突然泣き出してしまったりはしないかとピーナの背に半身を隠す。
女主人がアハハと笑った。
「その格好、まるでうちの子みたいだね。普通の……女の子みたいだ」
姿勢を正し、彼女は頭を下げる。母の姿を見て、少女も同じように小さな頭を下げた。
「魔物が暴れたとき、助けてくれてありがとうね。酷い暴言を受けているのも見ていたのに、表立って庇ってあげられなくてごめんよ」
「いえ」
街が魔物の襲撃を受けたとき、子供を庇っていた夫人はこの人だったのか。急いでいた上に顔が見えなかったから気づかなかった。
顔を上げて欲しくて、急いで首を振った。
「いいんです、そんな、当たり前だから……」
当たり前なのだ。力があるから目の前で起きたことに対処しただけだし、力があるから暴言を受けた。魔女を迫害するのが当たり前の土地で、よりによって一番危ないとされるフリィを庇うだなんてとんでもない。
「助けてもらったら、お礼を言うのはあたりまえなのよ!」
「そうさ。それに力があるからって助けるのは当たり前じゃない。それができるのは、あんたの心が強くて、あんたが優しいからだよ」
前のめりに否定したフリィの肩を、優しい手がそっと撫でた。
「表通りでお礼を言うこともできない、弱いあたしでごめんよ」
「上等だろ」
ピーナはひどく満足そうだった。目深にかぶったフードを払い、フリィの黒髪を露わにさせる。
目の前の二人は、それを見ても少しも怯えず、動揺することもなく、ただただ瞳には感謝の色を映していた。
「おまえたちが魔女に礼を言ったと糾弾されたらフリィが気に病む。だからこうして隠れるのは悪くないことだ。それより、フリィを認めて、助けられたことに礼を言ったことこそ――なあフリィ、嬉しいだろ?」
「うん。……うん、とても」
反射的に答えて、少し考えて再度頷く。じわじわと込み上げる熱は喜びだ。
どちらも等しく嬉しくはあるけれど、怖がりではあれど強いユメルがフリィを怖がらないでくれたのとは、また違う種類の喜びだった。魔物に手足も出ない弱い人がフリィを怖がらないでくれる。行いにふさわしいレスポンスを返してくれる。
街に来ると顔が強張る。オッシュやユメルの前ではたまに口角が上がるようになったが、人間の前では笑えなどしなかった。けれど今は。
自然と浮かんだ微笑みに、女主人が両腕を広げる。がばりと抱き着かれて目を丸くしていると、胸元に再び衝撃があった。小さな娘も抱き着いてきたらしい。
「ど、どうしたの。ねえ」
震える婦人は泣いているのだろうか。おろおろしながら掠める弱さで背を撫でると、より一層震えが増す。
助けを求めて視線を送れど、ピーナは楽しそうに笑うばかりでいつまでも助けてはくれなかった。




