第四百三十三話(カイル歴515年:22歳)二つの事件
皇帝から暇を言い渡された皇妃が後宮から出た翌日の夜、後宮では事件が起こった。
既に自我を失い皇妃の操り人形と化していた皇帝は、傀儡子が不在となり薬が切れたことで我を失い、夜半になって狂乱して暴れまわった。
錯乱状態に陥った皇帝は数人の侍女を切りつけ、暴れ狂ったあと卒倒し、そのまま昏睡状態に陥った。
これにより後宮は大混乱となったが、そこに詰める官吏たちは皇帝を治療する術もなく、不名誉な事態を公表することもできず、ただ右往左往していただけだった。
一夜明け翌朝になってやっと、側妃である実母を通じて第三皇子のグラートにも、後宮での騒動を知らせる報告が入った。
そして……。
報告を聞いたグラートが慌てて後宮に駆け付けたとき、皇帝は既にこと切れていた。
「どういうことだっ! 後宮は何故このような事態を隠しておった!」
側近の者たちはこぞって後宮を取りまとめていた官吏たちに詰め寄ったが、グラートだけは冷静だった。
彼の中では既に『起こってしまったこと』より『これから対処すべきこと』が重要だったからだ。
下手を打って事態の収拾に失敗すれば、彼も三日天下になりかねない。
「浮足立つな! 直ちに後宮を封鎖し出入りを禁じろ! 人も物もだ、一切を動かすな!」
そう言ってからグラートはアストレイ伯爵に向き直った。
「やってくれるわ! 奴らめ……、俺を道づれにするために、まさか皇帝陛下まで害するとはな。
直ちに事態の収拾に動け、対応を誤ると我らを貶めるために奴らが掘った穴に落ちるぞ!」
この時グラードは、この事件の裏に第一皇子派の者たちが絡んでいるとみていた。
単純に考えれば皇帝の死で最も利益を受ける者はグラートに他ならない。
もし彼の支持基盤が盤石なら……、の前提ではあるが。
だが、客観的に見ればこの時点の帝都で実権を握っていたのはグラートであり、彼が即位するのに邪魔な現皇帝を暗殺した、そう見られる可能性も十分にあった。
いや、多くの者がそう判断するだろう。
何故なら敵対する第一皇子自身と彼の親派は投獄されており、陰謀に手を染める余裕などないからだ。
「この際だからやむを得んな。反乱に関わり罪を問う予定の者や放逐する予定の者たちも、取り急ぎ不問に付すしかなかろう。彼らは座して滅びを待つより、一斉に俺を糾弾するため動き出すだろうからな」
「はっ、それにしてもここに来て……、無念ですな」
「仕方あるまい。今の時点で帝都の治安を守る責任は俺にある。皇帝陛下暗殺の疑惑は抑え込んだとしても、治安維持の不備を衝かれれば俺もまた責任を負わねばならなくなる」
苦悶の表情でそう言う第三皇子に対し、配下の者たちはただ項垂れるだけだった。
この日より帝都を取り巻く状況は一変した。
第三皇子たるグラートは、これまでの予定を変更して慌ただしく動き始めた。
帝国内の中立派を取りまとめるだけでなく、第一皇子に寄っていた貴族たちを取り込むため、免罪符を用意してアストレイ伯爵は宮廷工作に走り始めた。
客観的に見れば皇帝が錯乱のうえ急逝したことは、自然死とは考えられない。
そうなると皇帝暗殺の主犯はグラートと考えられても無理な話ではない。
そうなっては帝国は再び割れ、捕縛した第一皇子の処刑にも公然と異を唱える者が出てくることは目に見えていた。
加えて処罰が確定していた貴族たちも一気に勢いを吹き返す事態にもなりかねない。
そうさせないために、グラートたちは懸命かつ慎重に対処を進めていたが、その際に隙が生まれた。
そこに……、闇の氏族が放った第二手が発動した。
※
突然皇帝が崩御したとの知らせに帝都が混乱するなか、グラートたちは懸命に事態の収拾を図っていたが、虜囚として囚われていた第一皇子に対する警備と注意がその瞬間だけ緩んだ。
その隙を衝き何者かの手引きによって牢が破られ、第一皇子だったグロリアスはいずこかへと消え去った。
この第二幕で帝都は更に混乱することになった。
「どういうことだ! 衛兵たちは何をしていた!」
「そ……、それが、グラート殿下の命によって囚人を安全な場所に移送すると言われ……、兵たちは何故かあの時、それらが事実だと思い込んでしまったようで……」
グラートは激怒して監獄の警備担当者を面罵したが、彼らの返答はどうしても要を得なかった。
結果的に脱獄を手引きする形になった兵たちも一様に記憶が曖昧で、当時のことを朧げにしか覚えていなかった。
まるで何かに洗脳されていたかのように……。
「関わった者たち全員が、今なら『おかしい』と思えることを、あの時は『それが正しい』と信じ込まされていたようでして。なぜ牢を開いたのか自分でも信じられないと……」
「何を寝ぼけたことを……」
グラート自身、この余りにも異常な事態に言葉を詰まらせていた。
ただ、もしこの場にタクヒールが居れば、明らかにおかしい事態にも解を導けたかもしれない。
彼を始めカイル王国に所属する一部の者たちは、これまでにも似たようなことを経験をしていたからだ。
・不自然な暴走をした第一子弟騎士団の参加者たち
・異様なまでの敵愾心をもってテイグーン側の関門を攻めたヒヨリミ子爵軍の民兵たち
・本来なら蚊帳の外であったにもかかわらず、身の丈に合わない野望を抱き処刑されたゴーヨク元伯爵
彼らは一様に闇魔法によって『洗脳』を受け、自身の意思や器とは異なる事態を巻き起こしていた。
だが不幸にも帝国では闇魔法による効果や、それによって巻き起こされた事件について知る者はいない。
少なくとも、この時点の帝都グリフィンには……。
「やむを得ん、諸刃の剣となるが事態を帝国内に公表し、奴の首に懸賞を掛けよ!」
グラートが恐れていたのは、第一皇子派の貴族たちが『神輿』の生存を知り息を吹き返すことだ。
彼らが皇帝暗殺の真犯人として自身を糾弾し、それを糾すためという大義名分と神輿を手に入れれば……。
おそらく帝国は国を割った内乱に突入する。
このままでも未来のない彼らは、一縷の望みを抱いて大同団結する可能性は十分にあった。
『私利私欲で反乱を起こし、帝国領を他国に売り渡そうとした元第一皇子グロリアスは、捉えられ自身の命運が尽きた時点で皇帝陛下を弑逆し、その混乱に紛れて逃亡した。
重罪人の生死は問わないゆえ、捕縛または討伐に成功した者は功績を高く評価し報酬を与える』
このように記された布告が帝国内に発せられた。
さらに布告には、補足として一文が付されていた。
『捕縛または討伐に協力した者が反乱に組した者や意図せず反乱に関与した者であった場合は、その功績により罪を相殺するだけでなく、協力者として褒賞を与え篤く遇するものとする』
これによりグラートは、彼らに逃げ道を与えるよう配慮した。
だが同時に全く異なる噂も並行して貴族の間を流布し始めた。
『第三皇子たるグラートは、第一皇子グロリアス殿下の助命を願う皇帝陛下のご意思を妨げ、こともあろうか処刑に反対する陛下を亡き者とし、帝位を我が物にしようと動き始めた。
心ある貴族諸君、今は亡き皇帝陛下の意思に従って意を決し時を待て。いずれグロリアス殿下が帝国を正しき道に導くため、兵を挙げられる日まで……』
全くの濡れ衣であり事実無根の噂であったが、悪意のある噂は帝国中に伝播していった。
これによりグラートが断行しようとしていた処分や改革は中途半端なものへとならざるを得ず、帝国は混迷したまま次期皇帝の即位も覚束ない状態に陥っていった。
ある男が急遽前線から召喚され、事態の収拾に動き始める日まで……。
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次回より新章、列強同盟編に入ります。
次回の投稿は12/13『初めての帝都』の予定です。
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