第67話:予測
わたくしは執務室の椅子に座って、ペリクネン領から送られてきた膨大な報告書と、過去に見たペリクネン領の産業・経済のデータについての記憶と照合します。
耳に聞こえるのはシャッシャッとペンが紙を滑る音。
並べた隣の机ではレクシーが真剣な表情で新しい装置の製図をされています。普段は他の研究者たちと共に開発されているのですが、たまに自分の考えをまとめると言って、静かな場所で作業をされるのを好まれるのです。
今開発されているのは水中の魔素を集積するための装置でしたか。
水中にも魔物は棲息しますからね、それも海魔などといった途轍もなく巨大なものまで。そこから魔素が汲み上げられればということなのでしょう。
「……奥様?」
ふふ、真剣な横顔も素敵ですわ。先日の決起の演説の時のように正装されているレクシーも素敵でしたが、やはり彼の本質は研究者。思考の海に没頭している時が最も輝いているのだと思わせます。
「……奥様、ヴィルヘルミーナ様?」
レクシーがふと顔を上げてこちらを見ました。
まあ、見つめていたのに気づかれてしまったかしら?
「ミーナ、さっきからヒルッカが呼んでるよ」
レクシーが視線を脇にやります。そちらを見ると、あら。すぐそばにヒルッカが。
「やっとわたしに気づいていただけまして」
そう言ってこれ見よがしなため息をつきました。
「あ、あら。何かしら?」
「いえ奥様があまりにも集中できていらっしゃらない様子でしたので休憩でも取られてはいかがかと」
休憩? 休憩には早いのではないかしらと時計を見れば、思っていたよりも時間が進んでいます。
「旦那様が隣にいると、おちょろあそばされる奥様の作業効率が大変落ちますね」
「む、ひょっとして仕事の邪魔をしている? 俺は研究室に戻った方が良いか?」
レクシーが驚きの声をあげ、わたくしは慌てて止めます。
「そ、そんな!」
しかしヒルッカはおもむろに首を横に振り、レクシーに礼をとりました。
「いえ、旦那様はぜひできるだけこちらでお仕事を。奥様は……旦那様もですが必要以上に仕事をしがちなのです。こうして少々ぽんこつしていてくれた方が奥様のお身体やお心が休まるかと」
「ぽ、ぽんこつとは失礼な!」
「なるほど。奥様、そちらの報告書、今何枚目に目を通されていますか? 奥様はたいへん速読に長けた方ですが」
「2枚目です……」
ぷっとレクシーの口から笑いが漏れ、わたくしはがくりとうなだれました。
2人でソファーへと移動します。ヒルッカがお茶を淹れてくれている間、せめて少しでもできるところを見せておかねばという気持ちでぱらぱらと報告書を捲っていきます。
「それで理解できているの?」
「詳細に覚えられる訳ではありませんけど大まかなところは。それに報告書の書式を統一してくださっているので非常に読みやすいですわ」
魔術学校の方でなのか、オリヴェル氏が統一させているのかは分かりませんが、読みやすいのは確かです。
「お茶が入りましたよ」
ということなので書類を下げさせます。
レクシーはその間に砂糖壺を手に、わたくしのカップに砂糖を2杯、ご自分のカップに1杯の砂糖を入れました。
そうしてお茶を飲みつつ報告書の内容をお話しします。
「ダンジョンでの魔素吸収ですが、やはり王都で行うよりも明らかに大きな魔石が短時間でできる傾向にありますね。場所による濃淡はあれど下層の方が魔素濃度は濃いと。魔石の採掘量に関して影響は今のところなし。特に低階層でですが、魔物の出現頻度が一時的に減った傾向にあると」
「まあ、細かい数値は見ないと分からないけど、概ね予想通りかな」
「ですわね。ペリクネン公領を倒すのであれば、一番簡単なのはあの地の魔素を奪い続け、何もしない。ただそれだけですわ」
「どうなる?」
わたくしは予め考えていた通りの言葉をなぞるように言います。
「まずは新たに出現する魔物の数や質が減りますわね。そうするとA&V社の研究者も冒険者を雇わずにダンジョンの奥へと進めるようになりますわ。ダンジョンで採掘をする坑夫もそうでしょう。そもそも魔石狩りの効率も下がれば、あの地の冒険者の収入が激減することになります」
「ふむ……」
「冒険者には英雄と呼ばれるような方もいらっしゃいますが、その多くは食い詰めた傭兵のようなもの。野盗化、略奪、治安が大いに荒れるでしょうね」
「冒険者たちが新天地に移動した場合は? ペリクネンのダンジョンが最も多くかつ比較的安全に魔石が手に入るというのは知っているが、他の土地のダンジョンや辺境、隣国などで稼ぐこともできるだろう」
「その移動の苦労や資金を下位の冒険者が捻出できるとは思いませんが、確かにギルドが貸し付ける、移動の補助をする可能性もありますわね」
「ああ」
わたくしはカップをテーブルに置き、レクシーを見つめます。彼の茶色い瞳もじっとわたくしを見つめ返しました。
「簡単ですわ。彼らがいなくなった後に魔素の吸収を止めれば良いのです。ダンジョンからは魔物が溢れ、坑夫は、町は壊滅的な打撃を受けるでしょう」
驚きをのせた表情、わたくしはそれを見ていられなくて俯きます。
「け、軽蔑されますか。わたくしの頭はこんなことばかり思いつくのです」
レクシーはそんなわたしの背に手を回し、抱きしめました。
「そんなことはないさ。ミーナがそれを望んでいないのは分かっているから」
……見透かされてしまっている気がします。貴族令嬢であり、王太子の婚約者であったかつてはそうではなかったのに。
「うぅ……はい。できれば職にあぶれる冒険者をこちらで雇用したいなと」
「すればいいさ」
「これは不要な手筋です。それに裏切りの可能性も」
言葉を最後まで言う前に、レクシーは言葉を被せました。
「ミーナがしたいこと、全てしてもらって構わない。誰にも遠慮はいらないことだよ」






