69、感動の街中と役所へ
この時間に外から街中に入る人はほとんどいなくて待つことなく兵士のチェックを受けると、いつも会っている兵士の男性は私たち家族を見て瞳を見開かせた。
「もしかして、街中に引っ越すのか?」
「はい。家族皆で引っ越せることになりました」
「スラムから家族で引っ越すとか、凄いな……」
「嬢ちゃんがどうやったら街中に入れるかって聞いてきたのは、そんなに前じゃないよな? あの時スラムの子は入れないって言ったんだけどな〜」
もう一人の男性が苦笑しながら言ったその言葉に、確かにそんな時もあったなと懐かしく思う。
まだそこまで昔のことじゃないんだけど、最近は毎日が濃すぎるから、瀬名風香の記憶を思い出した初期の頃のことは遠い昔のように感じるのだ。
「入れるように頑張りました」
「普通は頑張ったって無理なんだけどな、嬢ちゃんはすげぇよ。嬢ちゃんは市民権があるよな? 家族はなければ一人銀貨一枚だ」
「ありがとうございます。家族の分は用意してあります」
私は服の袖を捲って市民権を見せ、皆の入街税として銀貨三枚を支払った。そして兵士の男性たちに手を振って門を通過する。
「やっと皆で街中に入れたね!」
外門広場の入り口で皆のことを振り返ると……三人は、瞳を輝かせて街中を見回していた。
「すっげぇな! なんか、すげぇよ!」
「お兄ちゃん、凄いしか言ってないよ?」
「だってそれ以外に言葉が出てこないんだ!」
「こんなに大きな建物がたくさんあるなんて、凄いわね」
「どうやって建ててるんだ? これって石で作ってるのか?」
楽しそうな皆の様子に私も心が浮き立つ。やっぱり私一人じゃなくて、皆と一緒に街中に引っ越すことを目指して良かった。
「石と他にもいろんな建材が使われてるんじゃないかな。スラムの家は木造だから全然違うよね」
「ここから見えてる建物が家だって言うなら、スラムのあれは家じゃないな……」
お父さんが思わずという様子で呟いたその言葉に、私は頷いて同意を示す。スラムのあれは小屋だよね。しかもうちは特に、そろそろ取り壊した方が良いんじゃないかって感じの小屋だった。
「壁の中と外でここまで違うなんて……」
「距離的にはすぐ近くなのに不思議だよね。――じゃあ皆、街の様子を見て回るのは後にして役所に行こうか。引っ越しは約束の時間があるから、その前に市民権を買わないと」
「そうだったわね。役所はどこにあるの?」
「ちょっと距離があるんだけど、うーん……うちから森に行くのと同じぐらいかな」
外壁の近くには役所がないので、前にギャスパー様に連れて行ってもらった役所まで行かないといけない。あそこはロペス商会より街の内側だから、結構距離がある。
「それぐらいなら問題ないな」
「そうね。荷物も重くないし大丈夫よ」
「それなら良かった。じゃあさっそく行こうか」
よく考えたら毎日森まで歩いたり畑まで歩いたりしてたんだから、このぐらいの距離は問題ないよね。スラムだと歩くのが当たり前だと思うんだけど、街中だとちょっと遠いなとか思ってしまう。
やっぱりリューカ車の定期便とかが出てるからそう思うのかな。他に移動手段があると、歩きだと時間がかかる気がするよね。
「レーナ、あれがリューカか?」
私がリューカ車のことを考えていたら、ちょうどお兄ちゃんが道路の真ん中を進むリューカ車を指差した。
「そう。あれはどこかのお店が個人で持ってるやつかな。定期便はそうだと分かるように、車部分に定期便って大きく書かれてたりするから」
「そうなのね……凄く大きな動物ね」
「そういえばレーナ、街中にはミューっているのか?」
「もちろんいるよ。でも野良のミューはほとんどいないかな。基本的には家の中で飼われてるんだ」
スラム街でのミューの扱いは、害虫を食べてくれる討伐しても旨みのない動物って感じだったけど、街中では完全に愛玩動物だ。日本での犬猫と同じような感じ。
農家や畜産をやってる家では、本来の役割でも活躍してるらしいけどね。
「家の中で飼うのか?」
「そうだよ。家族の一員なの。だから街中でミューを見かけても、捕まえようとしたりしちゃダメだからね。どこかの家から脱走したミューかもしれないし」
「分かった。気をつける」
それからも皆の疑問に答えながら大通りを歩いていると、目の前にロペス商会が見えてきた。私はそこで一度足を止めて、皆に私の職場を紹介する。
「皆、あれがロペス商会。私はあそこで働いてるの」
「マジか、あんなに凄そうな場所で働いてるのか。レーナは凄いな」
「予想以上だったわ……」
「さすがレーナだな!」
お兄ちゃんとお母さんは呆然とロペス商会の本店を見つめ、お父さんは私の頭をガシガシと撫でてくれた。
「ちょっとお父さん、もう少し優しく撫でて!」
「ははっ、悪い悪い。それでレーナ、商会に寄ってから役所に行くんだよな?」
「うん。市民権を買うお金を持ってこないといけないから。ここでちょっと待っててくれる?」
さすがに金貨三枚をスラム街に持ち帰る勇気はなくて、役所に向かう前に取りに寄ろうと決めていたのだ。
「私たちは挨拶しなくて良いの?」
「今は忙しい時間だし、また後で時間を作ってもらうよ」
「分かったわ。じゃあ待ってるわね」
「すぐ戻ってくるよ」
三人を大通りの端に残してロペス商会に向かった私は、皆のことが心配で駆け足で裏口に向かった。そして休憩室にいる皆に挨拶をして、更衣室にあるロッカーを開く。
一、二、三、ちゃんと三枚あるね。金貨を三枚握り締めたら、さらにロッカーの中に畳んで置いておいた上着と靴を四つずつ取り出す。
これは事前に買っておいた、街の中でも浮かない質のものだ。さすがにスラム街の服装で引っ越すのは目立ちすぎるからね……子供である私だけならまだしも、家族全員がスラムの格好は目立つ。
「皆お待たせ」
「……凄い荷物ね。お金だけを取りに行ったんじゃなかったの?」
「上着と靴も持ってきたの。私たちの服装は目立つでしょ? 全部着替えなくても上着を羽織るだけで違うと思うから。あと靴も履き替えて欲しい」
大通りを路地に入って人通りが少ないところに荷物を置き、皆に着替えてもらうと……印象がかなり変わった。
薄手だけど裾が長い上着にして正解だったね。ボロい服はほとんどが隠れてるから、じっと服装を観察されない限りは大丈夫そうだ。あとやっぱり靴が変わると全然違う。
「これって革の靴か?」
「そうだよ。中古の安いやつにしたから、サイズが合うやつは後でまた買おうね。履けないと困ると思って大きめにしたの」
「なんか、街中の人になったみたいだな!」
「うんうん、お兄ちゃん似合ってるよ」
私は嬉しそうなお兄ちゃんを横目に、自分も上着を羽織った。私は制服に着替えても良かったんだけど、一人だけ明らかに上等な服を着てるのも微妙かなと思って皆と同じにしたのだ。
「この時期に上着なんて暑いと思ったけど、意外と大丈夫ね」
「防寒というよりもおしゃれ重視の薄い上着だからね。でも色が濃いやつにしたから下の服は透けないし、良いでしょ?」
「ええ、着心地も良いわ」
「父さんは似合ってるのか?」
不安そうに自分の体を見下ろしてそう言ったお父さんに、私はすぐに頷けなくて曖昧な返事になる。お父さんはこういうオシャレな格好より、もうちょっとワイルドな感じの方が似合いそうだね……
「似合ってなくはないけど、もう少し違う系統の服の方が良いかも。服を買うときに色々と見てみようよ」
「そうだな」
それから脱いだ靴を袋の中に仕舞って隠し、私たちはスラムの住人から街人に生まれ変わって役所に向かった。そしてしばらく歩くと、やっと役所が目視できるところまで来た。




