黒い雨
「逃がしただと!?」
城に戻り結果を言った瞬間、グランが叫び声を上げた。
呆れると言うより、怒りに近い。叫びと言うより、怒号に近い。そんな表情と声をグランは出していた。
ソフィアは黙って俺たちの様子を見ている。いや、観察しているのかもしれない。俺の言葉を、想いを、全てを確認するかのようだった。
そんなソフィアに続き、ホルドマンとムウも口を閉ざしていた。
「ああ。全員引き上げて行ったよ」
「大志殿!! 甘過ぎだぞ!!」
グランは俺に詰め寄り、更に声を大きくした。その顔は青白い血管が浮き出ており、隠すことなく怒りを露わにしていた。それは、人間界に対する深い恨みが現れているかのようだった。
「そんなに怒ることないだろ……」
「相手は敵だぞ!? 正気か!!??」
「敵なのは分かってる。甘いのも分かってる。だけどな、俺は、殺したくないんだよ」
「それが甘いと言ってるんだ!! お前が見逃した敵は、明日お前を殺す奴かもしれないんだぞ!?」
「……グランの憤りは分かってるつもりだ。それでも、俺は決めたんだ。
全てを救う。この歪んだ世界を、俺が元に戻す。その道に、死はいらない。いらないんだ。
……そう決めたんだよ」
「……話にならん!!」
グランは言葉を吐き捨て、俺から顔を背けた。
室内は、静まり返っていた。空気が重く、誰かが唾を飲み込む音まで聞こえてきそうだった。
今の俺の言葉は、決してグランに言ったことではなかった。
俺は、自分を肯定していた。
自分だってやってることが正しいとは思わない。だけど、殺して殺されて、それの先に何があるのだろうか……
殺した相手の知り合いは、俺を憎むだろう。そしてその相手は、いずれ再び俺を殺しに来る。
殺して、殺し合って、その先にあるのは、きっと破滅だけだ。
俺には力がある。世界を救える力が。だからこそ、俺が世界を照らすんだ。
(そう俺が―――)
「――た、大変です!!」
突然、使用人の女性の一人が、沈黙を破る様に部屋に駆け込んできた。その人は息を切らし、顔を真っ青にしていた。
「大事な会議中だ!! 用件なら後にしろ!!」
グランは抑えきれない怒りをぶつける様に怒鳴った。
そんな様子を見たソフィアは、少しだけ溜め息をつき、話す。
「グラン、落ち着け。……で? どうしたんだ?」
「はい! そ、それが……!!」
使用人は混乱しているようだった。話さなければならないことを、上手く言葉に出来ないでいるようだった。ただただオロオロとし、落ち着きがない。目は泳ぎ、顔中が汗にまみれている。
(いったい何だよ……)
その様子は、少なくとも尋常じゃないものだった。
「………混乱」
「お前さん、ゆっくりでいいんじゃ。……何があったのじゃ?」
ホルドマンが優しく、緩やかに訊ね直した。
そんな姿を見た。使用人は、少しだけ息を整えた。
……そして、その“出来事”を俺たちに報告した。
「――隣の村が、人間界の軍に襲われました!!」
「―――――!!!」
「な、何だと!!??」
(……え?)
全員が、驚愕に満ちた表情を見せていた。
再び、沈黙が流れた。重い空気は、一瞬で張りつめた細く鋭いものに変わった。
「………」
サラは、一際厳しい表情をしながら俯いていた。
「誰だ!! 誰の仕業だ!!」
グランが怒号のような声で叫ぶ。その目は、瞳孔が開き、今すぐにでも相手に飛びかかりそうだった。
「わ、分かりません!!」
「少しでもいい!! 敵の情報を教えろ!!」
次はソフィアが叫んだ。ソフィアもまた、汗を滲ませながら叫ぶ。その顔は、青ざめていた。
「て、敵の勢力は分かりません! ……ただ、その兵は、“赤い鎧”を身に着け―――」
「―――!!!」
俺は心を握り潰される感覚を覚えた。急に目の前が歪み始め、一瞬にして汗が滝のように流れ始めた。
そして無意識に部屋を飛び出し、廊下で浮遊術を使い外へ風のように飛び立った。
「大志!! 待て!!!」
ソフィアの声が聞こえた気がした。それでも、俺は振り返ることは出来ない。
森の上空を飛び続ける。村が近付くにつれ、胸が張り裂けそうになるほど高鳴り始めた。
(嘘だろ……嘘だろ……!!??)
俺は祈り続けていた。目に見えない何かに、全て嘘であることを願い続けた。
隣の村……最初にソフィアと見た村。
何の面白みもない田舎の風景。田畑には作物が実り、そこに住まう耳が尖った人々はそれを収穫する。雲1つない青空は、陽光が優しく降り注ぎ、大空を綺麗な白い鳥が自由気ままに飛んでいた。
実に平和な、俺が想像していた魔界とは全く違う、喉かな景色。
それが人間に襲われた? 赤い鎧の兵士に?
「――嘘だ、嘘だ!! 嘘だ嘘だ嘘だ!!
嘘だああああ!!!」
叫び声は、風の通り過ぎる音にかき消されていた。
~~~~~~~~~~
やがて、俺は村の上空に辿り着いた。
上空にも焦げ臭い匂いが充満している。黒い煙が空を覆い、辺りは薄暗くなっていた。
「………」
俺は、言葉を失った。
――そこで見た光景は、“地獄”そのものだった。
炎に包まれる村。あらゆる建物が、赤い炎を燃え上がらせていた。
逃げ惑う人々を平然と後ろから斬りつける兵士。家に押し入り、血を浴びながら食べ物や宝石を強奪する兵士。助けを求める人に容赦ない魔法を浴びせる魔術師。家や小屋に火矢を次々と放っていく弓兵。そして、それを高笑いをしながら見つめる指揮官。
次々と惨殺されていく。男も、女も、子供も、老人も、家畜も……
あらゆるものが血に染まり、炎に包まれ、悲鳴を上げ、泣き叫び……息絶えていた。
「………!!」
俺はさらに目の前が眩み始めた。吐き気を催し、誰もいない空で胃の内容物を吐き出した。
気持ち悪い口を、これ以上ないくらいに歯で噛み締めた。口の中には血の味が広がっていた。
俺は、ゆっくりとその中央に降り立つ。そして、この世の終わりのような風景を見渡した。
何度見ても変わらない光景。死の匂い。
俺は、再び吐いた。
ふと、右に誰かが倒れているのを見つけた。近付いて行くと、そこには、小さな人形を持つ少女が横たわっていた。
腹部と口からは血が流れ、四肢の力は抜けている。瞳孔が開き切った半開きの目、その目尻には涙の跡があった。
「………」
心が、砕けた音が聞こえた。自覚がないのに涙が止まらなくなった。震える手で少女の亡骸の瞳を閉じさせ、ゆっくりと冷たい手を握った。
「あれ? まだ生きてる奴がいたのか?」
兵士の一人が俺に気付き、背後で声を出した。
見なくても分かる。ニタニタと薄ら笑いを浮かべながら、ゆっくりと近づいてきた。
俺は、息絶えた少女の手を強く握った。
その兵士は、持っていた剣の刃を俺の首の横に置いた。
「ま、お前らに恨みはねえが、何か成果を残さねえと、俺らの立場がないんだよ。悪いけど、死んでくれ」
「………」
(そんな理由で……そんな理由で、お前らは……)
「……じゃあ、な」
兵士はゆっくりと腕を上げ、無機質な剣を振り下ろした。
「―――殺す」
そう呟き、背後に電撃を放出する。
その電撃を受けた兵士の腕は、肘から先が血塗られた剣と共に、血飛沫を上げながら宙を舞った。
「ギャアアアアアアア!!!」
叫び声を上げる兵士。俺はゆっくりと立ち上がり、両手を失いジタバタと暴れ回る兵士を見下した。
「―――殺す!!」
右手を兵士に向け、高出力の電撃を浴びせた。そして、兵士は一瞬にしてこの世から姿を消した。
「な、何だ!?」
音に気付いた他の兵士がゾロゾロと集まってきた。
「アイツ……雷鳴の魔王だ!!」
一人の兵士が叫んだ。その声を皮切りに、たちまち赤い鎧の兵士はどよめき、たじろぎ始めた。
その時、頬に雨粒が落ちてきた。その雨は煤を帯びて、黒く変色していた。
雨は次第に強くなり、辺りには黒い雨が降り注ぐ。
その下で立ちすくむ俺は、なぜか笑い声が止まらなくなっていた。
「アッハハハハハ……アハハハハハ……」
空に向かい、俺は笑い声を上げた。
それは、自分への笑い。
滑稽。実に滑稽だ。
俺の甘さがこの村の人々を皆殺しにした。全てを救うなどとほざきながら、俺は、無関係の平和に過ごしていた人々を殺した。
笑いが俺の砕けた心を支配する。どうすればいいか分からない。分からないのに、なぜか笑いは止まらない。
その姿を見た兵士たちは、怯えはじめていた。ある者が少しずつ後ろに下がり始める。それを見た他の者たちも、後ろ歩きを始めていた。
「……お前ら、ありがとよ。おかげで、目が覚めたよ。
俺がバカだった。愚かだった。お前らを生かしたことで、この村が死んだ。
お前らは、クズだ。でも、それ以上に、俺はクズだ……」
少しずつ、周囲に雷の光がバリバリと音を立てながら光り始めた。
それを見た兵士たちは、さらに恐れおののき、恐怖に満ちた声を漏らし始めた。
「……今日は記念日だ。魔王は、今この時を持って誕生したんだ。本当の意味で、誕生したんだよ。
……その目に刻め!! クソ野郎共!!
これが、誕生の光だ!!!」
「う、うわああああああ!!!」
逃げ始める兵士達。
「………死ね」
俺は、そんな奴らの背後に向かって、凄まじい威力を込めた雷を放出した……
~~~~~~~~~~~
やがて雨は止んだ。
村は至る所で火が燻り、灰色の煙を立ち昇らせていた。
周囲に赤い鎧の兵士の姿はなく、至る所に黒い焼け焦げた跡が点在していた。
その時、遠くからソフィア達が走ってきた。
ソフィア達は、村の惨劇を見て言葉を失っていた。
そしてその中心に立ち尽くす俺に気付き、声をかけてきた。
「おい!! 大志―――」
「大志!!!」
ソフィアが近づくよりも前に、グランが俺を殴り飛ばした。
俺は、力なく地面に倒れた。グランはさらに、そんな俺の胸ぐらを掴み上げる。
「……これが、これがお前の甘さの結果だ!! 目を見開いてよく見ろ!!
この村を消滅させたのは、お前だ!!!!」
「………」
「何とか言ってみろ!! 大志!!!」
グランは、再び俺を殴り飛ばす。
「グラン!! 止めろ!!」
ソフィアがグランを静止する。俺に向かい更に拳を振り上げていたグランは、一瞬だけソフィアに視線を送り、舌打ちをして踵を返す。
「……俺は、お前を絶対に許さない。お前が魔王だと? そんなもの、認めん!!
やはり我らの魔王様は、ただ一人だけだ……!!」
グランは言葉を吐き捨てる。そして今度は、サラの方に殺気に満ちた視線を送る。
「……貴様も消えろ!! 人間の顔など、見たくもない!!」
そしてグランは、崩壊した村の奥に歩いて行った。
「………」
俺は、ゆっくりと立ち上がり、一回だけ血が出る口を拭った。
「た、大志……」
ソフィアが、俺に声をかけている。でも、今はソフィアの顔を見れなくなった。
千鳥足になりながら、俺はソフィア達に声を発することなく村を離れ始める。
「………」
俺の隣には、終始無言のサラもいた。サラもまた、俺と共にソフィアの元を離れていく。
「……大志!!!」
ソフィアの叫び声が、もう一度聞こえた。
「………」
やはり俺は、何も話すことができない。
出来ないまま、俺は歩いて行った。
やがてソフィア達の姿は見えなくなった。
「………クソ……」
小さく、声が漏れた。
それが誰に対して言った言葉なのか……
……それは、俺以外にいなかった。
第2章 完




