便箋33 無題 その3
俺はポケットに入れた白紙を取り出して見せた。
折りたたんだそれを広げて、魔女に渡す。
「たしかになんも書いてない……って、ちょっ!」
魔女は目を丸くした。
驚きの声。
「これ魔導録になってる! すっご!」
「ま、魔導録?」
「魔力でメッセージを記録してあんの。その魔力を読み取ったら、記録されてるメッセージが解読できるわけ」
「……そんなのがあるのか。え、これはアダンが書いたのか?」
「そうだと思うよ。なんか魔力が人間くさいもん。ていうか、人間で魔導録の術ができるってマジですごい。どれどれ……」
目を閉じた魔女が、広げた白紙に左手を乗せた。
すると―――
パアアア……!
紙がうすぼんやりと光りはじめたではないか。小さな光の群れが、羽虫のように動き始めた。光のひとつひとつが、文字のような形に見える。
そして小さな一文字一文字が、魔女の手のひらに吸いこまれていくではないか。
魔女が口を開く。
「魔女殿へ。我が名はアダン」
「数日中に食料その他を用意して戻ると言ったが、一週間ほど遅れることになった」
「ワケあって私は、魔族の女10人と契約することになってしまった」
「サキュバス、アルラウネ、ハーピー、ダークエルフ、デュラハン、ラミアなどなどだ」
「けっこうな数のモンスター、それも高位の魔族までもが職探しをしていた」
「どうやら魔界では現在、労働者の非正規化が進んでいるらしい」
「かなりハイランクの魔物でも正規職に就けないほど、魔界の就業率はよくないらしい」
「とくに私が今いるケプロスの町では、失業者のコミュニティがいくつもあるようだ」
「本来なら無職であるなど考えられないような能力の魔族までもが、職を求めてギルドに参加していた」
「さきに前述した魔族の女たちは、かなり生活に困窮しているらしい」
「雇ってくれるなら誰でもいい、とまで言っていた」
「だから雇用してやることにした」
「私としてもこんな大勢の上級モンスターを使い魔にできるのは、願ったりだ」
「ゆえにこの哀れな魔物の娘らと契約するため、私はしばらく戻れない」
「そこで私の代わりに、聖鎧に食料その他を持たせた」
「いまさらだが、魔女殿はこの手紙を、動く鎧から受け取ったはずだ」
「この鎧は、私の命令どおりに動く神器である」
「砦に入るように聖鎧に命令したので、魔女殿は物資を受け取ってくれ。布袋に入るだけ持たせてたつもりだ」
「ここからがお願いになるのだが、もちろん我が鎧も砦から出られなくなってしまう」
「すまないが、そのまま砦で保管しておいてほしい」
「後日、契約したモンスター娘をつれて砦に戻るつもりだ」
「なので、そのとき魔女殿を砦から解放しよう。鎧もそのときに回収させてもらう」
「それまでに約束の手紙を書きあげていただくよう、よろしく頼む」
「追伸……」
「聖鎧に対しては、ひとつだけ注意してほしい」
「絶対に私の悪口を言わないでほしい」
「その鎧は持ち主に対して忠実すぎるあまり、私の敵と判断したものに容赦しない」
「暴走したが最後、私、もしくは私の認めた代理人以外には制御できなくなってしまう」
「くれぐれもその点に注意してほしい。私への脅迫や誹謗、偽証など、たとえ言葉のあやでも言ってはならない」
「では、ごきげんよう」
「あなたの友、アダンより」
アダンのメッセージを読み終えた魔女。
すごいもので、白紙だったはずの紙に、文面がずらりと書きこまれているではないか。どうやら魔導録というのは、一度でも解析したらただの手紙に戻るらしい。
「……終わりか?」
「うん、これで終わり。ほかには何も……むっ! こ、これは! そうきたか!」
魔女が叫ぶ。
ポウ……
魔導録の手紙が、ふたたび発光しはじめた。
するとどうだ、文字がうっすらと消えていくではないか。どんどん真っ白な紙になっていく。
「なんだ? え? あ、字が……」
「させないわよ! むん!」
魔女が手紙をにらむ。
まだ布を巻いたままの右手を、はげしく動かしはじめた。なにもない紙面上で、なにかのスイッチを操作しているような動きだ。
「むむむ……アダンめ、デリート魔法まで使えるとはやるじゃないの! でも私のペースト魔法に勝てると思わないでよ! ぬおお!」
「なにが?」
手紙に向かってわめく魔女。
それを見守る俺。
さっきからなにを見せられてるんだ、いったい。
やがて手紙の発光はおさまった。
いや、わけがわからない。
さっき文面が消えていくように見えたが、ぜんぜん消えていない。なにがどうなってるんだ?
「……あの。魔女、あの」
「ふうやれやれ。ギリギリ間に合ってよかった」
「いや、いったい何だったんだよ。デリート魔法とかペースト魔法とか、なんのことだ」
「誰かの目に触れたら、文字が自動的に消える魔法があんの。それを魔導録のさらに上から設定してあったの」
「え、す、すごい……」
「魔導録は解読したらふつうの手紙になっちゃうからね。まあ魔導録に限らず、機密文書を削除する魔法をしかけとくって手はよくあるよ」
「……アダンのやりそうなことだ。じゃあペースト魔法っていうのは……」
「文面が消える前に、私の魔法でコピーしたの。消えてしまう文章を、もっかい貼付したってわけ。ホラ、もう元通りになったでしょ?」
たしかに手紙はふつうに読める。この少しだけ左に傾いた癖字、間違いなくアダンの字だ。
手紙の内容をあらためて読み返し……ムカムカしてきた。
なんでこんなに、なにをやらせても楽しそうなんだ。魔界にいるというのに余裕たっぷりではないか。
俺なんかモンスターの目を避けて、橋の下とかで寝てたのに。カピカピに干した芋とか齧ってたのに。
まーたアダンだけ美味しい思いしてやがる。しかも、いつもいつも勝手に周囲に持ち上げてもらえるんだ。
「……なんでアイツばっかり」
「は?」
「アダンばっかりズルいと思わないか? 不公平だ、兄弟なのに」
「……へぇ」
「なんだよ」
「べつに? そんなに魔物娘とハーレムしたいとは知らんかった。弟も、嫁入り前のモンスターを食い散らかしたいんだ、へぇ~」
「はあ!? いや、そんなこと言ってないだろ! というか食い散らかすなんて下品な言いかたはやめろ」
「ふん。男なら、誰でもアダンになりたがるだろうね。魔界でも竜王は、男の子のあこがれだもん」
「おい……ふざけるなよ。お前までアダンを英雄視するようなこと言うな」
「はあ? なにそれ、もしかして言いがかりつけてるつもり?」
「手紙の最後に、あなたの友とか書いてあったな。お前、アダンの友達だったのか」
「そうだよ、私とアダンは親友だもん。イチャイチャのラブラブ」
魔女はするどい目で俺をにらむと、魔導録を4つに畳んだ。
そして、ポイと自分の袖に入れる。
「おい、なにするんだ。まだ最後まで読んでないぞ、貸せよ」
「ヤダ。これは私の友達から来た手紙だもん」
「いい加減にしろ」
「やーだもん」
「ちッ……!」
「フン」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……魔女、お前の手紙のせいだぞ。手紙Bでアダンを脅迫するような文章書いたから、鎧が怒ったんだ。どうりで魔女魔女と怒鳴ってたわけだ」
じろり。
魔女をにらむ。
「バカ言わないでよ。鎧が怒ったのは、聖剣折ったことを弟が白状したからじゃん。鎧もジバンジバンって喚いてたし」
じろり。
魔女も俺をにらみ返す。
「ジバァアアン! 魔ァ女ォオオ!」
空気を読まず、床のカブトが俺たちの名を呼ぶ。
「うるさい!」
「うるさい!」
どなる俺たち。
怒鳴ったものの、顔を見合わせてため息をついた。
「バカバカしい……」
「私たち、鎧をキレさせる条件をいくつも満たしたってわけね。図らずも」
「図らずもと言えば、魔女。アダンが来なかった理由を聞いてどう感じたんだ」
「どうって何が? アダンはいまごろ、モンスター娘10匹とハッスルしてんじゃない?」
「そんなこと言ってるんじゃない。上級モンスターですら、勇者の使い魔なんかに身を落とすほど貧困してるそうだぞ」
「だから?」
「それもこれも、お前が奴隷ギルドなんか作った影響じゃないのか?」
「奴隷ギルドじゃない! 派遣ギルド!」
「とにかく俺が言いたいのはだ。めぐりめぐって、アダンの代わりに鎧なんかが来るハメになったじゃないか。おかげで散々な目にあったぞ」
「ふふん。はたしてそうかな?」
「どういうことだ?」
「この鎧、使えそうじゃない? 分解して2階の窓から外に捨てんのってどうかな」
「捨てる? それで?」
「飲みこみが悪いわね。鎧に、外から扉を開けてもらうのよ」
「あ……なに?」
「実際こいつは、外扉を開けて入ってきたわけじゃん? たとえば籠手を外に投げ捨てたらさ、地面を這いずって、外扉のノブを回してくれたりしないかなと」
「……本当にそんなことできるのか?」
「まだわかんない。いまその実験中」
「はあ?」
「……弟、ホントに飲みこみよくないね。なんのために、ここにカブト持って来させたと思ってんの?」
「どういうことだ? 本当にわからん」
「聖鎧の首から下のパーツが、ここに集まってくるか実験してんの!」
「な、なんだそりゃ? ここ部品が来るっていうのか?」
「特級神器には、自動修復機能が備わってるのもあるからね。廊下にバラバラ状態で放置しといたけど、もし自分で自分を修繕できるなら、そろそろここに来るころじゃないかな」
「ちょ、ちょっと待て! どういうことだ!?」
「だ、か、ら! 鎧に修復機能があるかの実験だって! ここに兜があるんだから、それを取り戻すために、全パーツが集まってくるはずでしょ!?」
「そんなこと言ってるんじゃない! もし鎧が復活してここに来たら、いまの俺たちは袋のネズミだろ!」
「……」
固まる魔女。
急に黙りこんで、キョロキョロと玄関室を見回している。
「おい!」
「……そこまで考えてなかった。これはマズい、逃げないと」
「ちょっ……! 何てことしてくれたんだ!」
「しまった」
パニックになる俺。
腕組みして考えこむ魔女。
―――と。
ガシャン。
ガシャン、ガシャン……
「!」
「!」
砦の奥から、足音が近づいてくるのが聞こえた。




