091:失って取り戻せるもの、取り戻せないもの
「ははっ、お約束だな。オラァッ!」
子供を前に反撃の手が止まったゼクレの腹部を、容赦のない前蹴りが抉る。
人質を取られた時点で、抵抗出来ない状況下でいたぶられる事になるであろうと覚悟を決めた彼女であったが、さすがにダメージまでは無視できない。
よろめいた所をさらに容赦なく殴られ、眼鏡が飛ぶ。踏ん張りが効かない状況下での顔面への一撃は、彼女を転倒させるには充分だった。
「俺は優しいからよぉ……。ちゃあんと女子供でも遠慮なく殴ってやるぜ。男女平等ってやつだ」
「ふふ、笑わせてくれますね。そんなもの、ただのクズではないですか」
仰向けに倒れた身を起こそうとしつつ相手を非難するゼクレだが、そこへさらなる蹴りが叩き込まれる。
「おいおい、あんまり顔面ばっか攻撃すんじゃねぇよ。せっかくの綺麗どころが台無しになるだろうが」
「あぁ? 別に良いだろうが顔くらい。肝心の部分を潰すつもりはねぇよ。ちゃんと後で楽しめるように傷はつけねぇさ」
「俺ぁお前みたいに穴が開いていさえすれば良いって訳じゃねぇんだ。せっかくの綺麗どころなんだからよぉ……」
そう言った男が、ゼクレの左足に剣を突き立てる。容赦なく力が込められたそれは易々と肉を貫き、彼女の足を地へと縫い付ける。
「うあぁぁぁっ!」
殴られても蹴られても声一つあげなかったゼクレが、さすがに耐え切れずに声をあげる。
「いいねぇいいねぇ。お高くとまった女が乱れるってのはたまらないぜ!」
「バッカヤロウ。だから傷を付けるなって……」
「最終的に処遇を決めるのは隊長だ。隊長が止めろといえば止めるさ」
隊長と呼ばれた兵士は、子供を人質に取っている兵士の横で黙って推移を見守っていた。
少なくとも、この状況を止めようという意思は全く無いらしい。
「やれやれ。本当にうちの兵士達は血気盛んで困ったもん――いでっ!」
首筋に剣を突きつけてはいたものの、ゼクレがいたぶられる光景に目をやっていたため子供の動きに気が付かなかった。
兵士が自分の方を見ていないと気が付いた子供が兵士の手に噛みつき、拘束から逃れてしまったのだ。
「おーっと、いけない坊やだな……っと!」
しかし、すぐ横に居た隊長が子供の頭を鷲掴みにし、そのまま地面へと叩きつけてしまう。
子供の頭が地面に落とされたスイカの如く無残に砕け散るが、それは兵士達にとっては失策でもあった。
「う、うぉっ! この女、また抵抗を……!」
人質を取る事でゼクレの行動を抑えていたのに、人質を殺してしまえば、もはや彼女を縛るものは何もない。
痛みをこらえて上半身を起こし、先程と同じように炎の魔術で一人、また一人と兵士を屠っていく。
だが、失策はゼクレの方も同じだった。今の彼女は左足を地面に縫い付けられている状態であり、まともに動けない。
そんな状況下では、多数居る兵士をまともに相手出来るはずもなく、瞬く間に幾人かの接近を許してしまう。
「クソがぁ! 全く、手癖の悪ぃ女だぜ!」
兵士の一人が、ゼクレの右腕を斬り飛ばす。
「おい! そっちも斬っとけ! また魔術飛ばされちゃかなわねぇからな」
指示を受けた兵士も、躊躇いなく左腕を斬り飛ばす。
「あ……――」
頭が真っ白になるゼクレ。目の前で、自分の両腕が切り飛ばされた光景が一瞬理解できなかった。
しかし、その直後に襲い来る想像を絶する痛みによって現実を思い知らされる事となる。
「ああああああああああああああああああああああ!!!!!」
痛みに悶絶し、ジタバタと身体を動かすが、その度に剣が突き刺された左足がズタズタになっていく。
「全く、うるせぇな……。これだから女って奴ぁよぉ……」
声を出させたのが自分達であるにもかかわらず、酷い責任転嫁ぶりである。
「けど、そろそろ終わりだな。さすがにそうなっちゃ、もうどうしようも……うぐっ!?」
見学に徹していた兵士がゼクレの近くまで寄って様子を窺おうとした所、ゼクレが残る右足で脛を蹴ってきた。
痛みに苦しく顔を歪めながらも、その瞳から自らを害そうとする者に対する敵意は消えていない。
「……どうやら、まだ足りねぇみたいだな!」
気怠そうだった兵士が急に激高し、背から抜き放った大剣をゼクレの足に叩き付ける。
当然の事ながら、鋭く重い金属の塊を叩きつけられた足は、その衝撃に耐えられるはずもなく……。
「これで本当に終わりだな。じゃあそろそろ締めと行くぞ。村中に火ぃ放っとけ!」
指示を受けた何人かが、様々な方向へと走り去っていく。
それから数分もしないうちに、村の各所で爆発音と共に火の手があがる。
殺し尽くした上で焼き尽くす。実に容赦のない徹底した虐殺ぶりだ。
「で、どうすんだコレ? 和国名物のダルマみてぇになっちまったぞ」
別の兵士が右手でゼクレの髪をつかんで持ち上げると、左手で身に纏っている服を一気に剥ぎ取った。
もはや生きているのが不思議なくらいの惨状で、既にゼクレの表情は死者のように虚ろなものとなっていた。
「誰か、こういうのが趣味のやつは居るか? くれてやるぞー」
「良かったら俺にくれないか?」
「よし、じゃあ受け取りな。ほらよ!」
背後から声をかけてきた主に対して、四肢を失ったゼクレを放り投げる兵士。
しかし、相手がゼクレを受け止めたのを確認した所で、兵士は異変に気が付いた。
「……って、お前誰だ!?」
ゼクレを受け止めた人物は、全く心当たりのない人間だった。
村人達とも兵士とも異なる軽装鎧の少年――第三者がいつの間にか出現していた。
「まだ生きてる! エレナ、治療を頼む!」
「は、はいっ!」
ゼクレをそっと地面に寝かせると、エレナは全身全霊の力で法力場を展開し、彼女を包み込む。
ハッキリと緑色の球体が見える程に濃密で強力な法力が、瞬時に四肢からこぼれる血の流れを止め、ゼクレの顔色をも良くしていく。
「あ、貴方は……一体……」
「ツェントラールの神官長エレナと申します。無理には喋らないでください。貴方はまだ……」
「!?」
ゼクレの意識がハッキリとしてきて、己の惨状を自覚する。
今更になって、子供を人質に取られてから受けてきた暴虐の数々を思い出し、無意識に涙が溢れてくる。
その様子で彼女の心中を察したエレナは、ゼクレを優しく抱きしめる形で治療を続行する。
「……優しいのですね、貴方は」
・・・・・
爆発の直後、俺達はリチェルカーレの空間魔術でその現場へと飛んだ。
目の前に広がったのは、想像を絶する地獄絵図。暴虐の限りを尽くされたであろう、人間の負の部分を凝縮したような世界。
燃え盛る村と、原形を留めない程に壊し尽くされた死体。そして、その傍らで祭りのように騒ぐ兵士達……。
戦争における死者は損壊状態こそ酷いものの、重火器や兵器によって機械的に殺された、いわば作業感の漂う淡々とした殺しのイメージが強い。
中には強い憎しみを抱いている者もいるが、大抵の場合は特に誰々がターゲットという訳ではなく、淡々と敵の数を減らすために武力を行使している。
俺は仕事柄、そういう形で犠牲になった人々を数えきれないくらい見てきている。当然、そんな人々を見るのはつらいものがあった。
だが、目の前に転がっている死体の数々は、悪意と欲望を以って人の手で過剰なまでにいたぶり尽くされている。
この場で死んでいる一人一人を明確にターゲットとして定め、殺す事そのものよりも、それに至る過程を楽しんだかのような形跡が伺える。
まるで猟奇殺人犯のような……。この手の犠牲者を見るのは、つらいのを通り越して憤りを感じる。怒りが溢れてくる……。
「誰か、こういうのが趣味のやつは居るか? くれてやるぞー」
俺達の出現に気付かぬ兵士が、周りに向けてそんな事を言う。
よく見ると、兵士は四肢を切断された女性を、髪を鷲掴みにする形で持ち上げていた。
女性は既に虚ろな表情だが、目や口はまだ動いている……生きている!
「良かったら俺にくれないか?」
俺は、女性を助けるべくとっさにそう口にする。
「よし、じゃあ受け取りな。ほらよ!」
案の定、声の主が誰かも分かっていないまま、兵士は俺に向けて女性を放り投げてきた。
「……って、お前誰だ!?」
「まだ生きてる! エレナ、治療を頼む!」
「ひっ!? は、はいっ!」
俺は兵士の言葉など無視して、エレナにすぐさま女性の治療を要請する。
切断された腕を繋げられる程に規格外の法力の使い手であれば、この状態ですらも命を維持できるだろう。
「誰だって言ってるんだ! 貴様ら、ファウルネス大公に逆らうつもりか!?」
むしろ、ファウルネス大公とやらが誰だよ? 大公という以上、この国におけるかなりのお偉方なんだろうが。
「……俺達は冒険者パーティ、流離人だ!」




