078:その声に耳を傾けろ
エリーティ共和国を支配している魔族ホイヘル。十メートルほどの巨体で、赤黒い身体と角と翼を有し、額に第三の目を持った異形の奴だ。
それでいて顔の造り自体は俺達人間と同じような感じで、奴の場合は割とイケメンとも言える面構えをしていたが……。
「なんだありゃ、まるで一つ目の巨人じゃないか……」
ホイヘルが怒りと共に額の第三の目を顔の上半分が埋まるほどに巨大化させた。押し退けられた二つの目は何処へ消えたんだ?
おまけに、口も端まで広がり鋭い牙の並んだおぞましいものへと変貌する。イケメンは何処へやら、完全に化け物と呼べる姿になってしまった。
これも一種の変身と言うやつだろうか。魔力の質の変化と共に、肉体も不気味に蠢き肥大化し、巨体がさらに一回りほど大きくなった。
『グルオォォォォ……。喰ラウ! 貴様達ヲ、喰ラッテヤルゥ!』
声の質まで変わっている……。重みを感じさせながらも若々しさのあった声が、重みを増して響く低い声となっている。
これはアレだ。ワイドショーなどで悪徳金融業者にモザイク越しのインタビューをしている時のような。
再び有毒な瘴気を伴う衝撃波が俺達を襲う。俺は正直これをまともに受けて死んだところで問題は無いんだが……使い所を考えないとな。
知られているのといないのとでは、戦略に大きな差が出る。いざと言う時のために、可能な限りは何とか自力で凌がないと。
俺は瘴気を防ぐためのバリアを展開しつつ、身体を楽にするため力の一部を法力へと変換し、自己治癒を施しながら相手の様子を窺う。
「さぁて、どうするかな……」
そんなやつを相手にどう出るかを考えようとした時、俺の横で一歩、また一歩と前に進む人影――レミアだ。
歌劇団の面々が瘴気の影響を受け一様に苦しい顔をしているのに対し、彼女だけは笑っていた。
「そう、そうなんですよ。私達は、こういう戦いをいくつも潜り抜けてきたんです……。いくつも、いくつも、いくつもいくつもいくつも」
レミアの身体からはギラギラと闘気が溢れ出ている。もしかして、逆境で燃え上がるタイプなのか?
「そして私は、こんな強い相手との戦いが楽しかった。気を抜くと負けるかもしれない、そんな相手に対してどう勝つのか」
一体誰に話しているのか、レミアの言葉は続く。
「みんなで共に強敵に立ち向かった日々……。嗚呼、戻れるものなら、戻りたい」
『だったら戻ればいいじゃない!』
ん? 今のは……
しかし、レミアは何事も無かったかのように歩を進め、ホイヘルとの間合いを詰めていく。当然の事ながら、間近に来た人物に対してホイヘルが仕掛けないはずがない。
右手に魔力を集中させ、足元のレミアに向けて叩き付ける。しかし、レミアはそれを飛んで回避し、ホイヘルに向けて剣を振り下ろす。
その剣を、ホイヘルが左手で受け止める。硬質な音と共に斬撃が止まり、逆にレミアが弾かれてしまう。どうやら肉体の強度がさらに増しているようだ。
弾かれたレミアに対してすかさず口からの魔力砲撃で追撃が放たれるが、レミアは不自然な軌道で真下へ素早く落下してそれを回避。
ホイヘルの目線が余所へ逸れている隙に、足元に向けて思いっきり剣を薙ぎ払う。だが、脛の部分を浅く抉ったのみで致命傷には至らない。
浅くとは言え決して無視できない痛みを受けたホイヘルが、怒りからその場を足で踏みつけるが、レミアは後方へ飛んで回避し、俺の横へ戻ってくる。
「おいおい、急にどうしたんだ……? まさか、リチェルカーレの言うように、ついに真の力が……」
尋ねても反応が無い。レミアはヘラヘラと笑いつつ、再び剣を構えて走り出そうとする。
『あーもう、忘れてた! 人間には私の声が聞こえないんだった―!』
……気のせいじゃないな。
『せっかく目覚めたんだから、私を使えー!』
確かに少女のような声が聞こえる。しかも、レミアから……。どれ、ちょっと試してみるか。
「ふぎゃ!」
俺はレミアに足払いをかけてすっ転ばせると、声の主に語りかける。
レミア当人は顔面から床に倒れ込む事になってしまったが、今は謎の声の方が優先だ。すまん。
「さっきから何処かで騒いでいるガキんちょ。俺はお前の声が聞こえるぞ。要件は何だ?」
『が、ガキんちょってもしかして私の事!? ってか、なんで声が聞こえるのよ! 持ち主でも聞こえないのになんで!?』
「いや、俺に聞かれても良く分からんのだが……何故か聞こえるんだ。ってかお前は何者だ?」
『ふふん、聞いて驚くがいいわ。いい? 私はね――』
……そういう事か。
「痛たたた……。あれ? 私はいったい何を……」
「目覚めたかレミア。さっきまでお前は何か気持ち悪い笑みを浮かべながら奴と戦っていたんだ」
「き、気持ち悪い笑み……」
どうやら、レミア曰く先程壁に叩き付けられてからというもの、意識が朦朧としていていたらしい。
「良く覚えていないようだったから思い出させてやる。お前は、奴との戦いを心底から楽しんでいたぞ」
「私が、あの魔族との戦いを楽しんで、って……そんな事」
「それがお前の本心ってやつだ。考えてみれば、俺と初めて戦った時もそうだったよな」
「リューイチさんと……そうですね。そう言えば、あの時は――」
ハッ、となるレミア。どうやら、自分が戦いを楽しむ質である事を認めたようだ。
「異世界から来たという貴方が繰り出す未知の武器、未知の戦術。確かに、私はワクワクしていました。私は……」
レミアがさらに何かを言いかけた所で、俺の懐に忍ばせておいた青い光球が眩い輝きを放つ。
『グウゥッ、何ダソレハ! 吐キ気ヲ催ス程ノ聖性ガ……』
ホイヘルが苦しみを訴える。そう言えばエレナが言っていたな、この球は凄まじい聖性があると。
上位存在であるミネルヴァ様から頂いた球だ。邪悪なる魔族であるホイヘルが、聖なる力の塊みたいなコレから放たれる光を嫌うのも頷ける。
しかし、なぜこのタイミングで発動するんだ……。あの時も思ったが、これは一体何のためのアイテムなんだ……?
『きゃあ! いきなりビックリするじゃないの! 少しは考えて行動しなさいよ!』
「わ、私の胸が喋って……。こ、これは一体どういう事でしょうか!?」
『私はあんたの胸じゃない! ……って、レミアにも私の声が聞こえてるの?』
「き、聞こえてます」
謎の声もプンプン怒っている。だが、その怒りをレミアも耳にしているという不可解な事態が起きている。
『良く分からないけど、それなら丁度良いわ! ようやくあんたも目が覚めたようだし、久々に私を使う事を許可してあげるわ! 光栄に思いなさい!』
「は、はぁ……。ところで、使うというのは、一体何を?」
『あんた、その若さで早くもボケたの? 長年共に戦ってきたパートナーをド忘れするなんて、罰当たりね』
「パートナーって……まさか。そんな、貴方は……」
どうやら、俺が間接的に伝える必要はなくなったようだ。このアイテムのおかげか?
エレナの時はミネルヴァ様の記憶を取り戻し、レミアの時は対話できなかった存在との対話を可能にした。
少なくともエレナが驚き、魔族が不快に思う程の聖性を秘めている事だけは分かっているが、まだまだ謎が多いな……。
ミネルヴァ様がアイテムの役割を教えてくれなかったのには何かしらの意図があるのだろうが、何故だ?
『そーよ。思い出したのなら、あの頃を思い出して私を使いなさい!』
「分かりました。私のせいで長い間貴方を使ってあげられなくて申し訳ありませんでした……。また、力をお借り致します!」
『ドーンと大船に乗ったつもりで行きなさい! あんな目玉オバケ、私がちょちょいのちょいで片付けてあげるわ!』
レミアが懐に手を突っ込み、取り出したのは小さな銀色の十字架だった。
眩いばかりに輝くそれを天に掲げると、一面を丸々呑み込むほどの凄まじい光が放たれる。
「顕現せよ! シルヴァリアァァァァァァァァァァス!」




