067:指導者の側近
「さて、師匠達の紹介も終わった所で、そろそろ出てきたらどうだい?」
ジョン=ウーが、劇場の入り口扉の方に向かって声をかける。
「気付いておられましたか。さすがお坊ちゃまです」
出てきたのは眼鏡をかけた高齢の男性であった。年相応に額は後退しており、若干髪の毛が寂しい印象だ。
しかしながら、軍服を身に纏い背筋を伸ばした様は歴戦の将としての風格を感じさせるものがあった。
「感謝するよ、スオン=ティーク……。この日を迎えられたのは君のおかげと言っていい」
「何を仰います。立ち上がる事を選ばれたのはお坊ちゃまで御座います。私もこの日を迎えられた事、至上の喜びにございます」
「不甲斐ない僕に代わり魔族の駒となり、その上で魔族を討つために水面下で動く……つらい役割を任せてしまったね」
「運命を捻じ曲げられた先代先々代の無念を晴らせると思えば安いものです。あと、申し訳ありませんが、坊ちゃまにもつらい役割を任せねばならないようです」
「つらい役割……? それって、どういう……」
「どうやら私はここまでのようです。ですが、最後にお坊ちゃまと話せたのですから、心残りは――」
直後、スオン=ティークが胸を押さえて苦しみだし、うめき声をあげつつ激しく体をくねらせる。
徐々にその身体がドス黒く変色していくと同時、枯れ枝のようだった老人の肉体が質量を増し、目に見えて筋骨隆々な姿へと変化していく。
さらにその身は肥大化を続け、しまいには身の丈五メートルになろうかという黒き巨人が劇場の中に誕生していた――。
「な!? なんだ、これは……」
信頼する側近の突然の変貌に、ジョン=ウーも驚きを隠せない。
「……魔族化!」
いち早く反応したのはレミアだった。この現象は荒野の集落で人々が変化した時の状況と同じものだと察したのだ。
ただ、その時と異なるのは目に見えて巨大化した事と、圧倒的なまでに増大した魔力の量。それだけで、あの時と同じようには行かない相手だと感じさせるには充分だった。
もはやスオン=ティークとしての意思は無いのか、その巨体で容赦なく暴れ始める。もはや特定の誰かを狙い定めるという知能すら失われているようだ。
無作為に振り回された腕が劇場の二階席や三階席の一部を砕き、その振動が装飾品を揺らす。当然、その振動は天井にも伝わり、デリケートな扱いが必要なシャンデリアにとっては致命的なダメージとなる。
「座長! ボサッとしてるんじゃないよ!」
スオン=ティークの変貌に呆けてしまっていたジョン=ウーが横合いからリュックに蹴り飛ばされる。
直後、ついさっきまで彼の居た場所に劇場全体を照らす程の巨大なシャンデリアが落下する。
「あの人が最後に何て言ってたのかもう忘れたのかい!? ――『坊ちゃまにもつらい役割を任せなければならない』。それは、他ならぬアンタに魔族化した自分を討って欲しいって事じゃないのかい?」
「僕が、スオン=ティークを……」
ジョン=ウーの頬に一筋の涙が零れる。彼はそれを拭うと、すぐさま立ち上がり、歌劇団の一同に発令した。
「ここで勝てなければ、国を支配する魔族になんて絶対に勝てないぞ! みんな、僕に続け!」
「支援します! 私が魔力で身体能力にブーストをかけますので、その状態を加味して動いてください!」
サージェの支援と、自身の力による強化を掛け合わせ、肥満体からは想像出来ない程の瞬足でジョン=ウーが駆ける。まだこちらに意識を向けていないスオン=ティークの足元へともぐりこみ、脛の辺りを一閃する。
スオン=ティークの足が斬り裂かれ、血が噴き出す。痛みには敏感なのか、雄叫びと共に右拳が足元へと叩きつけられる。まるで落下する巨岩の如き勢いの拳をジョン=ウーは素早く飛び退いて回避する。
「……切断するつもりで行ったんだけどなぁ」
彼が想定するよりもダメージが浅かった。苦笑するジョン=ウーを尻目に、今度はリュックが飛び出す。大剣で狙うのは、叩きつけた右拳に繋がる手首だ。
彼女もまた、自身の力による身体強化とサージェによる身体強化を重ねており、レミアと打ち合った時には比にならない程の力で大剣を振り回す。
刃が黒い皮膚に抵抗なく入り込み、そのまま勢い任せにして拳を切断してしまう。ジョン=ウーとは違う、経験を積み重ねた騎士の一撃は重かった。
『グオォォォォォォォォォォッ!!!』
スオン=ティークが痛みに悶絶して叫ぶ。しかし、その巨体から全力で発せられる叫びはもはや攻撃に等しい。
耳をつんざく声量に多くの者が耳を抑えてうずくまるが、そこへ物理的な衝撃波が押し寄せ、姿勢を崩していた者達はその場から飛ばされてしまう。
竜一達一行は平然としている。リチェルカーレや死者の王は言うまでもなく、レミアも何とかその場で衝撃波に耐えきっていた。
「おや、意外だね。防御障壁も何もないのに平然としているなんて」
「いやぁ、まぁ何と言うか……職場慣れ?」
竜一はと言うと、元々の世界で主要な活動現場が戦場だった事もあり、轟音や衝撃波程度では動じる事が無かった。
自身のわずか横を銃弾がかすめ、近場にミサイルが落ち衝撃波に巻き込まれる事すらある領域だ。その上でしっかりとカメラを回さなければならない。
動揺などしている暇はないのだ。銃弾の一発、ミサイルの一発で現場は大きく様変わりする。チャンスを逃せば二度と撮れない画も多々ある。
「これくらいでワーワー言ってたら飯食っていけないんだよ」
「想像以上に過酷な現場に居たようだねぇ。キミの世界の戦場も見てみたい所だ」
「この国のゴタゴタが片付いたら映像を見せるよ。あんまり見て楽しい映像では無いだろうが……」
「よし、そうと決まればとっとと片付けてしまおうか」
「いやいや、さすがにそこは空気読もうぜ。ジョン=ウーが乗り越えなきゃいけない試練ぽいぞこれは」
「ならレミアに介入させようか……って、どうしたんだい?」
衝撃波に耐えきったレミアだが、その身は細かく震えており、顔も何か恐ろしいものを見たように怯えた感じとなっている。
「おや、どうやらまだ克服できていなかったみたいだね」
「い、いえ……私は……」
「いいのかい? また、護れないよ?」
「! 貴方は、もしかして全てを知って――」
「アタシは知識の探究者。見知らぬ第三者ならともかく、身近な者の事なら全てを調べ尽くしているのさ。それこそ、キミのお尻のあんな所にあるホクロとかもね」
「ほほぅ。それは是非とも知りたい情報ですな」
「ホクロって何ですかホクロって! リューイチさんも乗っからないでください!」
レミアが勢い良く剣を振り回しつつ叫ぶ。それを見てニヤリと笑むのはリチェルカーレだ。
「元気が出たのなら行っておいで。せっかく見つけた先輩だ。失う訳にはいかないだろう?」
「え? あ……。は、はいっ!」
自らの頬を強く張り、その場で地団駄を踏んでいるスオン=ティークに向かって駆けていくレミア。
「……煽ったな」
「さぁて、何の事やら」
「俺達は介入しなくて良いのか?」
「これは彼らの戦いだからね。アタシ達の戦いは最後の親玉を討つ事さ」
「親玉を討つ事も、彼らにとっての戦いだと思うが……」
「もちろん最初は戦ってもらうさ。でも、それは最初だけの話だよ。今の彼らでは、どうせ上級魔族には勝てないからね」
全てをおんぶにだっこで竜一達が片付けてしまっては、何のための革命なのか分からなくなってしまう。
自分達の目的のためだけにさっさと敵を討つ事も出来たのだが、わざわざ他国から人員をさらうという悪行をしてまで準備してきた革命をかっさらう野暮はしなかった。
国の中に良い方向での変革の兆しがあるのなら、今後のためにもそれを強く成長させるのも重要な事――少なくとも竜一はそのように判断していた。
倒れ込む歌劇団の面々に対して容赦なく振りぬかれるスオン=ティークの左拳。そこへ割り入ったレミアが、剣を盾にして拳を受け止めるも勢いを殺しきれず、足が床を抉りながら後ろへと押し出されるが、自身の持てる闘気を出し切って何とか強引に押し止めた。
レミアはその状態のまま全身を包んでいた闘気を全て剣に流し込み、闘気の流れをスオン=ティークの方に向けて自身諸共に炸裂させる。凄まじい気の爆発がスオン=ティークの左拳はおろか左腕までも木っ端微塵に吹き飛ばし、レミアも後方へと弾き飛ばす。
「っと。さっきといい今といい、随分荒っぽいやり方だけど……もしかして、それが『素』だったりするのか?」
飛ばされたレミアを受け止めたのはリュック。咆哮によってダウンさせられていたが、つい先ほど復帰したばかりだった。
「さすがに対魔族では手段など選んでいられませんから……。死力を尽くして、出来る事を何でもやらないと」
その言葉に、思わずリュックは唾を飲み込んでしまう。それを語ったレミアの表情が騎士のものではなくなっていたからだ。
自身を打ち負かす程の後輩がそこまでいう魔族。今まで魔族と戦った経験がロクに無かったリュックは、今更になってスオン=ティークが恐ろしくなってきた。
そんな恐ろしい相手に対し、ジョン=ウーの背を押したのは他ならぬ彼女だ。今の言葉を聞いた後だったら、絶対にやっていなかった。
レミアの言葉には、そう思わせるだけの重みがあった。飛び出したジョン=ウーも、それに続いた自分も、一歩間違えれば死んでいたかもしれないのだ。
右拳を失い、左腕が消し飛んで吹っ飛んだスオン=ティークに対しても、レミアは警戒を一切緩めてはいない……。




