062:白き宮殿
「レミア、間違っても飛び出すんじゃないよ」
リチェルカーレはそう言いつつも既にレミアを拘束しており、彼女が飛び出す事を阻止していた。
レミアは目の前で繰り広げられる陰惨な光景を今すぐにでも止めに行きたいようで、身体を必死に動かして抵抗している。
「何故止めるのですか!? このような非人道的な所業、見逃せるはずが……」
「けど、これは無法の行為じゃない。国が定めたルールだ。法の下に正しく行われている事を妨害すれば、キミこそが悪逆非道の侵略者として非難されるぞ」
「ですが、貴方達は悪逆非道の侵略者としてコンクレンツ帝国を蹂躙したではないですか!」
「コンクレンツ帝国に対してはそれが適した方法だっただけさ。それに、キミが目指しているのは悪逆非道の侵略者なのかい?」
「……それは」
騎士団の人間として痛い所を突かれたのか、レミアが言葉と共に抵抗するのを止めた。
「けど、アタシは正義の味方なんかじゃない。見て気にくわないものがあれば状況なんて知ったこっちゃないね」
そう言うと、毎度おなじみ手を叩くしぐさと共に、床に開いた穴から死者の王が顔を覗かせる。
「……頼めるかい?」
『承知』
顔だけ覗かせた王が、少し力を込めてその気を解き放つ。微量な死の気配が、その場にいた人間の意識を手放させ、無理矢理に活動を止める。
瞬く間に広場に居た者達がその場に倒れ伏し、この場で立っているのは俺達を残すのみとなった。もはや以心伝心だな、この二人。
「ほら、今のうちだよ。あの三人を助けたいんだろう?」
「あ……。は、はい!」
レミアがすばやく三人の下へと駆け寄り、拘束を外して下ろしにかかる。俺達もそれに続き、磔にされている者達を救出する。
中年の男性と若い男性はまだ何も手を付けられていないため手足の杭を打たれた部分に損傷があるだけだが、女性は目も当てられないような状態となっていた。
下半身から徐々に手を付けられていたためか、膝下がもはや原型を留めていない。身を削ぎに削がれた生ハムの原木とでも言えばいいのだろうか。
リチェルカーレはエンデの町の時と同じように手紙を一筆したためると、空間の穴に三人を放り込んだ。
死に至るであろう重傷を負わされた者であっても、即座に高度な治療が出来る場所へと送られる。ほんと便利だな、空間転送。
それに治癒魔術が合わされば、俺達の世界の最先端医療でもどうにも出来ないような事すら解決してしまえる。
俺の世界で高度な文明によってこの緊急救命のシステムを作り出す事なんて、とてもじゃないが実現できるとは思えない。
「困りますね。貴方達自身が仰っていましたが、これは国が定めた法の下で正しく行われている事です。それを妨害したとなると……」
「妨害? とんでもない。ちゃんと刑の執行は続けさせるさ」
リチェルカーレがまた手を叩くと、今度は空間の中から異形の怪物が姿を現した。
肉の塊と言うか、粘液状の生物と言うか、あちらこちらに目が開いているのが非常に不気味だ。
これはあれか「いあいあ なんとか~」って唱えた方が良いやつか?
「きゃああああ! な、なんですかこの怪物は……」
「これはアタシが有する次元の狭間に住まう者の肉体の一部だよ。こいつは面白い能力を持っていてね」
怪物が異音を発して鳴いたかと思うと、その身が三つに分割され、それぞれがウネウネと蠢いて徐々に形を変えていき……瞬く間に、刑を執行されていた三人へと姿を変えた。
中年の男性、若い男性、若い女性。先程の三人が遜色なく再現されている。女性に至っては、刑によって負わされた無残な足の損傷までも完全に再現されている。
女性に再現された足の損傷はこの怪物にとっては単なる飾りでしかないのか、痛そうな見た目とは裏腹にそれを感じさせる事も無く軽快な足取りで磔台まで歩いて行くと、自ら磔台に身をゆだねた。
裏拳を叩きつけるような要領で刺さったままの杭に手を叩きつけ、足も同様にして強引に磔状態になる。元々不定形の生物故か、そんな事をしたところで全く痛みはないのだろう。
三人が所定の位置へスタンバイすると、磔状態のままこちらに向けてサムズアップしてきた。しかも満面の笑顔で。とてもじゃないが磔台でする顔じゃないぞ。怪物達、どれだけ代役に乗り気なんだよ……。
「これで良し。後は皆が目覚めたら何事もなく刑の執行が続けられるだろうさ。これなら、妨害した事にはならないと思うよ」
「……正直、目の前で起きている事が信じられないです。まさか、身代わりを用意するとは」
「そちらとしては穏便に済ませたいんだろう? さすがにその意図は汲むさ」
「恐れ入ります。これほどの芸当が出来る方々とあれば、安心して我が主も事を起こす事が出来るでしょう……」
(……事を起こす、だって?)
最後に案内人がつぶやいた言葉。それが意味する所とは一体何なんだ……?
・・・・・
俺達は公開処刑の場から離れ、再びオーベン・アン・リュギオンに向けて歩いていたが、案内人が歩を止めたのはそれより少し前の場所だった。
身分の高い貴族が住んでいそうな、白い石材で構成された大きな宮殿だ。バッキンガム宮殿を思い出させるその造りは、いかにも金をかけましたというアピールを感じさせる。
まるであの塔へ行くに当たって通過しなければならない試練のように、行く先を塞ぐ形で建っている宮殿……豪華さからしてこの国の幹部でも住んでいるのだろうか。
案内人に続き宮殿の中へと足を踏み入れると、そこは豪華絢爛極まりない内装に彩られた、まさに華美としか表現できない回廊が広がっていた。
白き石で作られた壁や柱。その柱には芸術的な意匠が施され、高さにして三階分くらいはあろうかという吹き抜けの天井には、芸術家が手掛けたであろう絵が一面に広がっている。
こんな所まで『偉大なる指導者の絵』とかだったらどうしようかと思ったが、幸いにもその辺の空気は読めているようで、花や木々といった風景画が採用されていた。
もはや明かりとしてではなく魅せるためだけに作られたかのようなシャンデリアもいくつか吊り下げられ、回廊の端には実用性よりアート色の強い燭台が多数並べられている。
ネオ・バロック様式を思わせる造りは、まさに国家の威信をかけたアピールなのだろう。対外的には非公開なのに、よくぞここまで……。
「こ、これは凄いですね……。我が国の王城でもこれほど豪華な内装は見た事がありません」
「小心者のティミッドがもしこんな豪華な所で暮らす事になったとしたら、全身がむず痒くてたまらないだろうね」
「予算のことごとくをブッ込んだって感じがするな……」
少しでもその金を荒野に……と思ったが、荒野は荒野でゾンビや魔族化人間の実験場として利用されているんだったか。違う意味で金が使われているな。
そういう事に全振りしないで、開拓して人の住まう領域を広げようとは思わないんだろうか。まぁ、その必要が無いほどこの国に残っている人間は多くはなさそうだが。
まともな人間が住んでいるのは国境沿いの見せかけの町とこの首都くらいだろうし、あとは国内各地の軍事拠点に居た兵士くらいか。
そんな兵士達もゾンビによって大半が異形化させられた上、魔族と俺達によって完全に滅された。あれだけでざっと万単位の人間が減っただろう。
「この回廊の先、階段の上にある大扉の向こうにわが主はおられます」
俺達はそのまま案内人の後ろをついて歩き、階段をのぼり、ついに件の大扉が開かれる。そこに広がったのは――
「……劇場?」
数百人は収められるであろう広大なスペースに、所狭しと並べられている赤い椅子。オペラなどを鑑賞する劇場で見られるような、座り心地の良さそうな椅子だ。
天井は先程の回廊よりも遥かに高く、壁際には貴族が使うであろう個室の観覧スペースがズラリと並んでいる。階数で言えば四階分はあるだろうか。
豪華絢爛な劇場は見ているだけで心を震わせるものがあるが、それでもやはり椅子を埋め尽くすほどの観客と、舞台で繰り広げられる見世物が無ければ芸術としては完成していないと俺は思う。
そんな劇場に何故呼ばれたのかと疑問を抱きつつも足を踏み入れると、それを見計らったかのように照明が落とされ、同時に荘厳な音楽の演奏が始まった。
「まさか、これは……」
舞台の幕が開く。どうやら案内人の主とやらは俺達にまず舞台を鑑賞させたいようだな。自信アリと言う事だろうか。
せっかくだ、疲れた身体を休める意味で腰を下ろさせてもらおう。リチェルカーレとレミアも俺を挟むようにして腰を下ろす。
案内人は立場の違いからか、腰を下ろそうとはせず、俺達の横に立ったまま幕が上がる舞台に目を向けている。
そこに現れたのは、まるで装飾品が付けられたビキニ――とでも言わんばかりに露出度の高い衣装を身に纏う女性達。
人数にしてざっと三十人以上は居るだろうか。まだ子供と思える容姿の者から、既に家庭を持っていそうな雰囲気の女性まで、年齢層は様々だ。
いずれもが目を見張る程に美しく、可愛らしい女性達ばかり。竜一も思わず見た瞬間に「ほぅ」と感心するようなつぶやきを漏らした。
そんな美女美少女達が、一糸乱れぬ踊りを披露する。荘厳な音楽に合わせた、緩やかでありがながらも見ている者がつい目で追ってしまうようにダイナミックな動きだ。
「ダンスや踊りという軽い表現では似合わない……舞踊とでも表現するべきか。凄いな、これは」
「リューイチさん。ただの舞踊ではないみたいです。音楽に合わせて、ほら――」
音楽が軽快なリズムを刻み始めると、踊り手達もその音楽に適応し、今度はサンバの如きノリにノったダンスへと切り替わる。かと思いきや、タップダンスのように足のステップで爽快な音を響かせる素早い動きへと変化。さらに、近代のダンスのようなアクロバティックなものへと移行する。
ありとあらゆるジャンルの踊りを取り入れたかのようなプログラム構成。それらを一切のブレもなくこなす麗しき女性達。踊り子としての練度の凄まじさを感じさせる。
俺もレミアも、いつしかただの観客となって拍手を送っていた。案内人の表情は伺い知れないが、よく見ると身体が小刻みにリズムを取っており、舞台に見入っている事が察せられる。
リチェルカーレは不敵な笑みを浮かべ腕組みの姿勢を崩さない相変わらずの様子だ。少なくとも楽しんではいるのだろう。そうでなければ、この時点で動いているハズだしな……。
「お、どうやらさらに趣向が変わるみたいだな」
音楽が一旦止まったかと思うと、女性達は何処からかチアリーディングで使うようなポンポンを取り出した。
直後、どういう仕組みか舞台の後方に階段がせり上がっていき、階段が完成したと同時にマーチ調の軽快な音楽の演奏が始まる。
一斉に踊り出す女性達。その動きは何処か見覚えがあるような……これはもしやあれか、国民的なお笑い番組の――
「……これは、階段の上から五人降りてくるやつだな」
「リューイチさん、もしかしてこの演目を知っているのですか?」
レミアの質問に答える間もなく、本当に階段の上から五人が並んで降りてくる。
五人のいずれもが黒いマントに身を包み、顔を仮面で、頭をフードで隠しているため、その容姿は伺い知れない。しかし、下で踊っている女性陣より上の立場である事は間違いないようだ。
踊りを続ける女性達の隙間をスルスルと抜けて前へと出てきた五人はその場で並んでリズムを取って軽い踊りをしつつ、何やら歌い始めた。
『我ら~♪ 鮮烈な~♪ エリーティ歌劇団~♪ 我ら~♪ 国のため~♪ 巨大な悪を討つ~♪』
歌詞の内容からするに、どうやら自己紹介と目標アピールを兼ねた劇団歌のようだ。
これで隣組のメロディでも流れたらどうしようかと思ったが、幸いにもミュージカル路線で安心した。
「私達はお国のために戦います!」
「例えそれが死と隣り合わせであろうとも!」
「私達は絶対に身を退きません!」
「それがエリーティ歌劇団なのです!」
いや、やっぱ安心出来ないわ。まるで浪漫の嵐が吹き荒れそうな口上じゃないか。
五人のうち、中心の人物を除く四人がそれぞれ物騒な武器を取り出して天に掲げたかと思うと、中心の人物がこちらを思いっきり指し示す。
「なぁ、もしかしてこれって……」
「ゴーサイン、だろうね」
「そ、そんな事言っている場合じゃないのでは」
リチェルカーレの予測通り、四人が舞台を飛び出しこちらへと迫ってきた――!




