057:ゾンビパンデミック
ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――!!!!!
その日、国中に響き渡るような凄まじいサイレンが鳴り響いた。
サイレンの意味を知らなかったためか、この時ばかりはシェーナの民達も本分を忘れ素に戻ってしまったという。
そしてそれは、シェーナに限らず共和国の各地においても同様であった……。
各地、とは言っても共和国にはそんなに多くの町が点在しているわけではなかった。
対外用に作られた町が三つ――コンクレンツ側にはシェーナ、ツェントラール側にはスケーナ、ファーミン側にはビューネ――と、他は対外秘な首都のリュギオンのみである。
それ以外は自然に乏しい荒涼な大地が広がっており、軍の施設や収容所、最下層貧民が細々と暮らす集落がある程度だ。
サイレンの意味を知っているのは、首都リュギオンに暮らす事を許された者――選ばれし上級民達のみ。
軍関係者であっても、リュギオン外で活動している兵達には何も情報が伝えられておらず、荒野の施設に居る者達も突然の爆音に驚くのみ。
彼らがその意味を知る事になったのは、首都の本部から通信が送られてきた、まさに今この瞬間の事であった。
『緊急警報が発令された。この警報は、我らが聖域に他国の者が侵入した事を意味する。全軍を以って直ちに排除せよ』
その指令に対して、誰一人として『了解』以外の言葉を返す事はしなかった。本部からの命令は指導者からの命令にも等しい。仔細を伺う事さえ許されない。
にもかかわらず、軍施設では兵達のやる気に満ちた雄叫びが轟く。彼らにとって、国を護るために戦う事は何よりも喜ばしい名誉なのだ。
共和国が今の体制になってからというもの、ツェントラールやコンクレンツ帝国への進軍は度々行われていたが、自国を防衛するという局面は初めてであった。
侵攻してきた敵から国を護る、背後に守るべき者達が居る。彼らは今この時こそが『本当の意味での戦いの機会だ』と思っていた。
――しかし、希望に満ちた彼らの瞳は間もなく曇る事となる。
敵の詳細も規模も分からない。とにかく共和国にとって排除すべき存在としか伝わっていないため、兵達はどんな敵が来るかを全く知らないのだ。
それでも、この時の彼らは胸に熱いものを滾らせていた。国を護るための兵士は共和国の中でも特に選ばれた存在、まさにエリート。
そんなエリート達による大軍勢が展開している。何せこちらを万を超える数なのだ。例え何者が来ようとも、負ける要素などありえない。
この時までは、皆がそう思っていた……。
『こちらに迫る集団を確認、数はおよそ数百! 全力でこちらに駆けて来ます……が、様子がおかしいです!』
「様子がおかしい? それではわからん、ハッキリと報告しろ!」
『姿形がまともではありません! 見た目は人間のようですが、腕や足が欠損していたり、正視するのもためらう程著しく損壊した者もおります!』
「なんだ、その異様な姿は……。まさか、ゾンビが出現したとでも言うのか!?」
『ゾンビ……と言いますと、あの『死者が蘇って襲ってくる』というアンデッドのモンスターですか?』
「特徴を聞く限りそうとしか思えん、だとすれば非常にまずい……。魔導師や神官を前に出して、兵達を下がらせろ!」
『了解しました!』
最前線からの報告を後方で聞いていた上司は、特徴からゾンビだと判断し、対応を指示した。
(しかし、なぜこのタイミングで大量のゾンビが……? いや、この国には腐るほど死体がある……まさか、な)
彼は兵の中でも立場が上の方であったが故に、指導者の気まぐれによる処刑にも何度か立ち合い、後処理にも携わった事がある。
処刑による犠牲者は、まるでゴミでも処理するかのように僻地へまとめて捨てられる。彼の知る限りでは、間違いなく数百では利かない死者が眠っている。
そこに濃厚な瘴気が蓄積すれば、やがて死体達はゾンビとして動き出すだろう。こうなる可能性があるのに、国は何故無造作に死体を放置したのか。
(……それ以上考えるのはよそう。とりあえず今は目の前の危機だ)
内心では『実は意図したものではないか』と考えかけたが、この国の在り方に異論を唱えるのは自身の死に直結する。
たとえ心の中に留めておいても言動に出てしまうかもしれない。上司はこの件を考える事自体をやめた。
・・・・・
上司の指示もむなしく、最前線は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
後ろから神官や魔導師を移動させる間もなく、想像を超えた素早さでゾンビが迫ってきてしまったのだ。
実は本来の身体能力を遥かに超えた力を付与されているからなのだが、彼らは知る由もない。
やむなく前線の兵士達でゾンビ達を迎え撃つ事にしたのだが、この選択が彼らの命運を決定づける悪手となってしまう。
「こうなったら後方から神官や魔導師が来るまで時間を稼げ! ゾンビは殺せない、決して無理をするな!」
皆が「おう!」と勢いよく返事をするも、見た目からして異様なゾンビ達が、その風貌とは裏腹な高速で迫る事に腰が引けてしまっていた。
一人の兵士が破れかぶれで剣を振り下ろすが、ゾンビは華麗なスウェーで回避すると共に、その拳を顔面目掛けて叩き込んできた。その威力たるや人間の拳の比ではない。
まるで砲弾でも受けたかのように吹っ飛ばされた兵士は、後続の兵士達の群れに突っ込み将棋倒しの如く二次被害を生んでいく。
それによって動揺した隙を突き、ゾンビ達は次々と侵攻していく。とても本能で動いているとは思えない巧みな動きに、兵は一人また一人と倒れる。
しかし、倒れた兵達にはさらなる追い打ちが待っていた。足のないゾンビ達が、彼らをめがけて匍匐前進するかのように迫ってくる。
剣で頭を潰すが、瘴気によって動かされている死体であるゾンビはそんな事では止まらない。口から上が潰された状態の異形でなおも兵士に迫る。
そして、彼らの上にまたがるようにして乗っかると、その驚異的な力で鎧を引き裂いて肉体に腕を突き刺し、中身を引きずり出す。
ゾンビは瘴気を原動力にして動いているが、動くにあたっては死体に残されている本能に従って動く。その本能とは基本的に『食欲』であり、相対した相手に襲い掛かるのも、全ては欲を満たすべく喰らうためである。
身体機能が死んでいるので食は無意味に思われるが、ゾンビ化した者は食らったものを瘴気で吸収してエネルギーに変えているため、一般的な概念から形を変えているとはいえ『食事』は成り立っている。
あちらこちらで起きている凄惨な光景に、もはや最前線の兵士達はエリートだという誇りすら忘れて恐慌状態に陥っている。
首を繰り飛ばしても胴体を両断しても動きが止まらない。時には手だけが飛来して首を絞めにかかる……。崩れたゾンビの臓物の蠢きも止まらない。
そして、さらに悪夢とも言えるのが……そんなゾンビに倒されたはずの同胞達が次々と起き上がっている事である。
最初は同胞達がまだ生きていたのだとして喜んだ者達も居た。しかし、その直後に蘇った同胞に身体を喰われ、数分後には自身も同一の存在と化してしまった。
ゾンビに喰らわれた者はゾンビと化す。この情報が兵士達の間に拡散した事でパニックは最高潮に達した。もはや前線の兵士は見栄も外聞もなく逃げ回っている始末。
「ためらうな! 光を放つ事が出来る者は光を! 出来ない者は他の属性でいい、とにかくゾンビの数を減らせ!」
神官達が放つ光に飲まれたゾンビ達は、まるで糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちる。光で瘴気がかき消されたためだ。これが、ゾンビを倒す上では一番の理想。
だが残念な事にそれが出来る者はそんなに多くはない。光を扱えない魔導師達は、炎によって跡形もなく焼き尽くしたり、氷の柱に閉じ込めて動きを止めるなどして奮闘している。
だが、炎に焼かれてもゾンビはすぐには止まらない。さすがに全てが燃え尽きれば動きようがないため止まるが、それまでの間に暴れるため、二次被害が出てしまっている。
兵士達からすれば炎の塊が集団目がけて飛び込んでくるようなものだ。動き回られれば当然の事ながら次々と火は拡散していき、一帯が大きな火柱となって燃え盛る。
それでも、炎を扱う魔術師は術の行使を止めない。多少ばかりの兵を巻き込んででもゾンビを止めなければ、そう遠くないうちに駆り出された兵の全てがゾンビと化してしまう。
雷の使い手も炎の使い手と同じように電撃でゾンビを焼き尽くし、風の使い手は相手を細切れにする事で物理的に動けなくしている。
土の使い手や木の使い手は動きを封じる事で、他属性の者達が攻撃するまでの時間を稼いでいる。しかし、それでもネズミ算的に増えるゾンビには追い付かない。
ゾンビ側も本能的に術者が危険である事を察してか、同胞を盾にして攻撃をしのぎつつ、別の個体が対象を仕留めるなど徐々に適応してきている。
どう足掻いても絶望的な状況に、残り少なくなってきた兵士達は現場を放棄して逃げ帰りたかった。
しかし、この国において命令に反してそのような事をすれば、戻った先で処刑されてしまうのが末路である。
例えそれが、想定外の事態が起きた事による大パニックであれど、対応が変わる事はないだろう。
幾人かの者達は絶望のあまり自ら命を絶った。ゾンビと化して味方を殺すくらいなら、人間として死んで迷惑をかけないようにしたい。
そう思っての事だったが、ゾンビ達が大暴れしている事によって濃厚な瘴気に満ちた空間が、彼らの思いを容赦なく踏みにじる。
ゾンビによって直接殺されていなくても、瘴気が多量に流入すればそれでゾンビは誕生してしまう。その光景が自殺という選択肢すら奪い去る。
・・・・・
一時間もしないうち、その場には沈黙が訪れていた。
残されたのは、もはや判別もつかない程に細切れにされた肉片や臓物、焼け焦げた肉や血痕などのみ。
この場にて待ち構えていた兵士達は全てゾンビと化し、欲に従い次の獲物を求めて首都に向けて歩を進めている頃だろう。
『むむ。ちょっとゆっくり来すぎてしまったか……誰もおらぬではないか』
死者の王は、既に激戦が終わった跡地を前に、気まずそうに肉のない頬をポリポリと掻いた。




