051:砂漠の国ファーミンの精鋭部隊
――砂漠の国ファーミン。
ツェントラールの南西にある国で、周りを囲む四国の中では最も広い面積を持っている。
しかし、その大半が生活には適さない砂漠や荒野であるため、面積に反して居住区は小さく、また人口も少ない。
故に、軍事力という点でも周りと比べて最小の規模だ。人数で言えばツェントラールにすら劣るだろう。
それを補うために、ファーミンでは『個』の能力を重視し、少数精鋭の部隊を編成して各国へ潜入させていた。
そんな部隊の一つが、今まさにツェントラールの森を駆けていた。
若い者から年配の者まで、男女問わずに編成された四十人ほどが、中東の盗賊のような衣装を身にまとい、各々武器を手に目的地を目指す。
まるで平原を駆けるかの如く森の木々を障害とも感じさせずに走り抜ける身のこなしは、確かに並の兵士とは次元が違っていた。
途中でツェントラールの兵士達と出くわすが、兵士達はロクに何も出来ないままあっさりと致命的な一撃を決められては沈んでいく。
露出した首などはもちろんの事、鎧などの隙間を的確に突き、確実に沈める。もし深く傷付けられなかったとしても、保険として塗り込まれた毒が作用する。
ファーミンの精鋭部隊によって沈められた人数は、他の国の軍との戦いによるものよりも遥かに多い。
と言うのも、彼らに相対する際は『加護』がないからである。あくまでも『加護』は、敵の大部隊を退けるため味方側の軍に授けられるもの。
敵の来訪が解っていて、かつ事前に準備できるからこそのものなのだ。しかし、ファーミンの精鋭部隊に関しては事情が異なる。
少数精鋭故に侵攻が察知されにくく、迎撃する部隊も彼らを狙って出撃した訳ではなく、たまたま警邏中だった兵士達が遭遇するなどした突発的な場合がほとんど。
つまり、対抗する準備が何も出来ていない。その状況下で『個』の力が突出した相手と戦う。そこにはもはや無謀としか言えない戦力の差がある。
だが、その戦力の差を埋める事が出来る者達も存在する。それが魔導師団の魔導師達だ。
身体能力の差を魔術で補い、森という闇に紛れて襲い来る精鋭部隊に先んじて魔術による一撃を与えたり、障壁で相手の攻撃を弾くなどして、致命的な一撃を許さない。
障壁によって攻撃が弾かれた事で一瞬止まってしまった相手に対し、仲間の魔導師達から容赦のない魔術の攻撃が降り注ぐ事になる。
しかし、それは精鋭部隊の反撃の合図となる。魔術を行使する瞬間に動きを止めざるを得ない魔導師達……精鋭部隊は決してその隙を逃さない。
仲間が倒されるその瞬間すらも機とし、倒された者の復讐を遂げるかの如く幾人もの精鋭部隊が同時に刃を突き立てる。
致命的な一撃による殺しではない、過剰とも言える滅多刺し。その光景は他の魔導師達に恐怖を想起させ、激しく戦意を削ぐ事にもなる。
そうなればもう精鋭部隊の思う壺だ。まともに立ち回りの出来なくなった魔導師など、兵士達以下の存在へと成り下がってしまう。
怖い物知らずだった精鋭部隊が恐怖を感じたのは、兵士団や魔導師団を排除してさらに進んでいた先での事だった。
先頭を進んでいた三人が何の前触れもなくその場に崩れ落ちた。不審に思った後続が駆け寄ると、崩れ落ちた者達は既に息絶えていた。
外傷もなく、魔術的な何かをされた様子もない。だが、間違いなく自然死などではあり得ない。何らかの形で殺されている。
状況は良く分からないが、少なくとも自分達を害する敵が居る事は確定――そう判断した精鋭部隊一同は、分散して付近に身を隠す事にした。
しかし、その直後にあちこちから悲鳴が聞こえ始める。悲鳴を聞いた者達は察した。彼らは既に攻撃を受けている……。
精鋭部隊の最年少である十八歳の少女は、その齢にして既に完成された精鋭部隊の一員であった。
躊躇いなく人を殺し、身体に苦痛を受けても悲鳴をあげたり表情を変える事も無い、徹底的に感情を殺せる域に達していた。
また、気配により敵を察知し、闇の中でも的確に不意打ちに対処できるなど、戦闘能力も一線級のものだった。
――そんな少女が、訓練を始める前の普通の少女だった時以来、久々に恐怖を感じさせるものに出会ってしまった。
「おや、意外と可愛らしいお顔が出てきましたね」
何の前触れもなく頭を覆っていたターバンが剥ぎ取られ、顔を隠していたマスクも気が付いた時には消失していた。
褐色の肌にショートの銀髪が似合う、健康的な少女の顔。褐色肌は、ファーミンに多く見られる人種である。
同時に声が響いたかと思うと、闇の中からにじみ出るように女性が姿を現す。その手に握られているのは、間違いなく自身の装備品だった。
女性は腰まで届く程の長い黒髪をなびかせ、黒一色のワンピースを身に纏っている。その姿はまるで闇の化身だと少女は思った。
「何か失礼な事を考えてはおられませんか? 私はただの人間ですよ?」
まるで内心を読んだかのような言動に恐怖した少女は、反射的に『逃げ』を選んだ。
踵を返すとチーターもかくやと言う程の勢いで飛び出すが、その瞬間には既に捕らえられていた。
背後から襟首の部分をつかまれたため、飛び出した勢いで首が締まり、苦痛にすら声をあげないハズの少女が思わず「ぐえっ」とえずく。
その姿はまるで親に運ばれる仔猫のよう。屈辱を感じた少女はその姿勢のまま器用に体を捻り短剣を振るうが、空しく空を切るのみ。
攻撃を空振りしたのではない。そもそもそこに、倒すべき敵が存在しなかった。今や先程姿を見せた闇の化身――少女曰く――は、影も形もない。
にもかかわらず少女は頬をぷにぷにとつつかれたり、鼻先をグイグイといじられている……。間違いなく相手は眼前に居るハズなのだ。
二度三度と短剣を振り、時には魔術を唱えて眼前に解き放ってみるが、それらの攻撃のどれもが全く手応えを感じさせない。
そう足掻く間にも、少女は両頬をグイッと押しつぶされタコみたいな顔にされてしまう。徹底的に感情を殺せる域に達していたハズの少女に、久々に苛立ちが生じた。
(絶対! あの女は! 目の前に! 居るっ! なのに!)
「残念ながら、そんなお間抜けな顔で殺意を向けられても全く怖くないのですが……」
(うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!)
少女の顔をお間抜けな状態にしている本人が突然眼前に現れ、よりにもよってそんな事を言う。
自身の中の何かが切れてしまった少女だったが、腐っても精鋭部隊。そんな状況下でも、相手が出現した瞬間をしっかりと観察していた。
やはり、初めて姿を見せた時と同様に闇の中からにじみ出るようにして目の前に現れている。少女は様々な推測を巡らせる。
彼女の中で目の前の状況を説明できそうな事例は『空間魔術』であった。人間では到底扱えないような次元の魔術とされているが、何事も例外はある。
今、自分と相対している女こそがその例外という可能性も否定は出来ない。生き残るためにはありとあらゆる可能性を想定する必要があるのだ。
しかし、少女は肝心な事を失念していた。仮に相手が空間魔術の使い手だったとして、それをどう攻略するのか。
精鋭部隊と言えど、所詮は常人を上回る超人なだけ。人の域を超えるような埒外の存在を相手取れるようには鍛えられていない。
少女が気付いた頃には時既に遅し。全く自覚しないうちに、いつの間にか簀巻き状態にされて担ぎ上げられていた……。
「ふふふ、友人の頼みで迎撃に出たついで、思わぬ収穫がありましたね」
ピクリとも動かない身体。張り上げようとしても出ない声……。全く以て訳が分からない状態である。
少女には、今の一瞬でどうして自分がこのような状況に陥ってしまったのかが、いくら考えても理解できなかった。
・・・・・
気が付けば、少女は簀巻き状態のままでとある部屋の一室に寝転がされていた。
周りには木箱や樽、使われていない机や椅子が並べられている。何処かの物置だろうか。
「おや、気が付きましたね」
声がした方を向くと、森の中で対峙した闇の化身とも思える姿の女性が立っていた。
「遅ればせながら自己紹介を。私はツェントラール王城のメイド長フォル・エンデットと申します」
「メイド……嘘だ! お前は化け物だ!」
その瞬間、左手でガシッと顔をつかまれ、再びタコみたいな顔にされてしまう。同時に、右拳が思いっきり腹部へと叩き込まれる。
容赦のない一撃は少女を軽々と吹き飛ばし、その身体を天井へと叩きつけてしまう。少女の顔には明確な苦痛が見て取れた。
苦痛に対しても決して表情を変えず、声一つあげないための過酷な訓練を課されてきたハズなのに、それが意味をなさないほどの一撃。
「どうやらまともな教育を受けてこなかったようですね……」
再び床に叩きつけられた少女からは涙がこぼれ落ちる。自分が今まで受けていた教育の成果の全否定、精鋭部隊としての矜持が崩れ落ちた瞬間だった。
「さて、私は名乗らせて頂きましたが、貴方も名乗って頂けますか?」
「……スゥ」
「それが貴方の名前ですか?」
スゥは必死でコクコクコクと頷いた。また手痛い一撃を貰ってしまってはたまったものじゃない。
そのためか、メイド長の尋問に関しては驚くほど素直に答えていた。
「私は拾われた子。部隊の人間は、記号的な名前でしか呼ばれない」
曰く、他のメンバーも同じような感じで、まともな人間のような名前で呼ばれている者は一人も居ないという。
明確な出自が存在する人間も少なく、ほとんどがスゥのような拾われた子であったり、表舞台から消された者であったりする。
そのため、国側としても非人道的な領域に至る過剰なまでの戦闘訓練を施す事に躊躇いが無い。
「ファーミンは人が少ない。だから、一人一人を強くする」
メイド長が戦った感触では、確かに一人一人がツェントラールの者達よりも圧倒的に強い感じだった。
今回は地形の不利や不意打ち気味であった事などもあるだろうが、仮に平原で正面から対峙させても精鋭部隊には勝てないだろう。
とは言え、もし大軍で攻めれば多少の個の強さであれば問題なくなってしまう。ファーミン側もそれを分かっている。
「だからこそ、私達は策を弄してきた。国内で王に対する不満を高める風聞を拡散したり、地方のモンスターや野盗に村を襲わせるように誘導したり」
「なるほど。最近になって国内でデモが発生したり、地方でモンスターや野盗の被害が増えていたのはそれでですか」
「手が回らなくなれば隙が生まれる。さらに他国の侵略も利用すれば、ファーミンの人員もツェントラールの奥深くに潜り込ませられる」
スゥによれば、計画が滞りなく進んでいれば王城内にも既にファーミンの手の者が潜んでいるとの事。
メイド長は近いうちにそれらをあぶりだして排除する算段を立てつつ、スゥの拘束を解いていく。
「いいのか? 私を自由にすれば、お前に歯向かうぞ」
「どうぞご自由に」
簀巻き状態から解放されたスゥは、早速忍ばせていた短剣でメイド長に突きかかる。
しかし、それを右人差し指一本で止めたメイド長は、左手でスゥの襟首をつかんで地面に引き倒す。
直後、床に黒い球状の穴が広がり、スゥはその中へと沈められていく……。
「いっ、いやだぁぁぁ! 死にたく……ないっ!」
もはや精鋭部隊としての顔は何処にもなかった。そこにあるのは、ただ年相応の少女の顔。
泥沼のような闇へと沈められていくその間に感じるのは、恐怖と絶望のみ。
「……貴方は生まれ変わるのです」
スゥが闇の中へと完全に沈んだ後、闇がまるで軟体生物のようにブヨブヨと蠢き、しばらくした後で何かを吐き出した。
「あ、あれ? ここは……」
それはメイド服に身を包んだ少女――スゥだった。
薄汚れた戦闘服は何処へやら、先程までの身体の汚れも綺麗サッパリ落ちている。
まるで入浴を済ませ、新しい服を着たばかりのような美しさに満ちていた。
「貴方にはこれからメイドとして働いていただきます」
「へ?」
「私は貴方を有能だと感じました。このまま手放すには実に惜しい……」
「そ、そんなの嫌だへぶっ!」
ゴキブリの如きダッシュで逃げ去ろうとしたスゥだったが、何もない所で壁にぶつかったようになってしまう。
「拘束の術式を施しました。私から一定距離離れるとそうなります」
「だったらお前を倒して逃げる」
「襲撃は歓迎しますよ。ただし、一回負けるごとに一つ労働をして頂きます」
「ふぇ!?」
……そう宣言した直後、早速スゥの労働が決定した。




