047:古の王国ヴィンドゥング
――今の時代より千年程前、一つの巨大な王国があった。
その国の大きさたるや、現在の近隣五国を内包してなお有り余るほどだった。
広大な面積に数多の民を内包する国は発展も著しく、文化はもちろん、経済力も軍事力も拡大の一途を辿っていた。
例え他所の国から攻められようが、魔族が軍を率いてこようが、容易に落とせるものではなかった。
魔族すらも退ける強大な国力。長きに渡る繁栄が約束されたかに見えたが、この古代王国の敵は内部にこそ潜んでいた。
広大な国故、全土を一人の王のみでカバーするのには無理があった。そのため、王は信頼できる四人の者に各地方の管理を任せる事にした。
王が信頼するだけあって四人は非常に優秀であり、どの地域も王が治める中心部と同等か、あるいはそれ以上に目覚ましい発展を遂げていった。
しかし、それ故に地方を管理する彼らは野望を持ち始めてしまった。自分こそが、この王国を管理するのに相応しい――と。
王よりも良い成果を出した事で、自分が国を治めた方がより一層国を発展させられると思ってしまったのだ。
それらの者達と王とで五勢力による泥沼の争いが始まってしまう。不幸だったのは、皆の戦力が拮抗していたが故に、互いに限界まで削り合ってしまった事だ。
争いの発端となった王侯貴族はもとより、民までもが疲れ切ってしまった王国は、もはや外部からの侵略に対しても満足に戦えない程にまで力を落としてしまっていた。
このままでは国そのものが滅びてしまうと判断した王は、苦肉の策として争いを仕掛けてきた四人に治めていた領土をそのまま譲渡し、それぞれを『個の国』として独立させた。
元々彼らの領土では王よりも彼らを主君として崇める民の方が多くなっていたくらいであり、民にとってこの方針は願ったり叶ったりであっただろう。
しかし、それは周りの四カ国を壁にして中心に残した自分の領土を守ろうという、王の保身であった。
四カ国は例え王が自分達を壁に利用していると解っていても、自分達の国や民を蔑ろに出来るハズもなく、護るために戦うしかなかった。
今や四カ国は別の国。元々の状態であれば『自国の領土の損害』になっていただろうが、もう『他所で起きた出来事』に過ぎない。
領土を分割した事で国自体は小さくなってしまったが、その代わりにほぼ無傷でこの危機を乗り越える事が出来る。王はそのように考えていた。
「エゲつないな……古代王国の王」
「その王の直系がツェントラールの王家さ。古代王国における中心部、それがツェントラールなんだよ」
「そして、独立した国々の現在の姿が、ツェントラール四方の国々という訳だ」
「古代王国の復活を目的としていたからこそ、ツェントラールを執拗に狙っていたのか」
「うむ。中心を獲り、他の国を併合し、再びヴィンドゥングを復活させたかったのだ。しかし――」
皇帝がそこで一旦言葉を区切ると、再び俺達に向けて深く一礼をする。
「我らは完膚なきまでに敗北した。ならばこそ、せめて傍らでその夢の実現に立ち会わせてほしい」
「私からもお願いします。本来の形とは異なりますが、古代王国の復活は夫の夢なのです」
続けて、今までずっと無言だった皇妃が皇帝と同じように一礼し、言葉を発する。
「わ、わたくしからもお願い致しますわ! 父の夢を……どうか」
「「「「「よろしくお願いします」」」」」
皇女、続けて部下の魔導師達も続く。心底から皇帝の夢の実現を願っているようだ。慕われているな。
「どちらにしろ他の国も潰すつもりだけど、いいのかい? このままだと、あのティミッドが大国の王になるんだよ?」
「む……」
言葉に詰まったな。だが、その気持ちは分からんでもない。俺も正直、あの王は微妙だと思う……。
「そう思うのも仕方がないさ。ティミッドは小心者で頼りが無い。おまけに武力も知力も無い。キミもサミットなどの対談で実感しているだろう? 彼は実にちょろいと」
「ちょろ……。う、うむ……。その見解に相違ないとは思うが、そなたが自国の王をそうまで言ってしまって良いのか?」
ボロクソに言われるツェントラール国王ティミッド。リチェルカーレだからこそこうまで堂々と言える事だが、実際は国民からも同様に思われているらしい。
小心者で周りの侵略に対しても強く出られず、外交の場においても強く出る事が出来ず、不利な案件を手八丁口八丁で丸め込まれて飲まされてしまう事もあったとか。
大衆の場で行う演説も何処か頼りなさげであり、まるで大臣が作った原稿をそのまま読んでいるかのような求心力に欠けるもの――とはリチェルカーレ談。
「まぁ、その辺の問題はいずれ何とかするよ。他に何か質問はあるかい?」
おずおずとネーテさんが挙手をする。
「話を聞く限りではかなり大きな出来事のようでしたが、何故それが現在においてあまり伝わっていないのでしょうか?」
「そういやそうだ。この地方一帯が丸々大きな一つの国で、それが分裂したなどと言えば歴史上に残る大事件だぞ」
俺の居た世界で言うならば、歴史の教科書にデカデカと掲載されて、授業においてもかなり大きな扱いで触れられるレベルの出来事である。
「ウチの国の場合はティミッドが伏せたのさ。彼自身には野心がなくとも、過去を知った他の者が野心を抱くかもしれないしね」
「確かに、元々周りの国は自分の領土だったなどと言えば「併合して大国を復活させかつての威光を取り戻す」とか考える輩が現れるかもしれないな」
「……別の場所に現れたけどな」
俺の目線は皇帝の方を向く。あ、目ぇ反らしやがったな。
「分割された領土の側である皇帝ですら、真実を知って野心を抱いたんだ。領土を分割した側、いわば元々の国の支配者の側だった人間が野心を抱かないとは考えにくいだろう?」
ツェントラールにおいては、直系の子孫である王家にのみ古代王国について記された伝記が代々受け継がれていたという。
あの王は争いの元を世に出すのを良しとしなかったんだな。小心者ではあるものの、時にはそれが功を奏する場合もあるという事か。
「他にも民が選民思想に染まる事も懸念していたみたいだね。自分達こそ正統なる古代王国の民だ――みたいな考えを抱かれると恐ろしいからね」
「あー。確かに、自分達は選ばれし者だとか絶対的に正しいだとか思い込んでいる奴らほどタチの悪いものは無いな。それらを理由にしてやりたい放題やりやがる」
俺にとっては、元の世界で嫌と言うほどに見てきた人間の醜い部分だった。故に、想像も極めて容易……。
かつて世界を悪い方向へ傾けてしまった特定の人間達の恐ろしさを思い返してしまい、少々ばかり気分を悪くした。
「そもそもな話、その事実ごと葬り去ってしまえば良いのではないでしょうか。知らなければ野心も何も無いでしょうし」
「完全に忘却してしまったら、また人は過ちを犯すぞ。俺達の世界では『歴史は繰り返す』なんて言われてきたんだ。語り継ぐ事で戒めとした方が良いと思うぞ」
「ツェントラールの王家はまさにそれだろうね。ただ、市井にまで広めたら余計な混乱を招くだけだと考えているから表には出していないけどね」
「時には市井の者達が知らないままの方が良い事というのもある。トップがそれを正しく理解してさえいればいい」
俺達の世界にも間違いなくあるハズだからな。一般には公表されない、国の上層部だけが知るような何かが。
「事実を葬り去る……か。情けない話だが、我がコンクレンツ帝国の先祖はそれを行ってしまっていた。つい近年まで、真実が皇城の遥か地下深くに設けられた空間に封印されていたのだ」
地下深くの空間は通路や入口すら設けられておらず、さらには四方を壁に囲まれており、皇帝の言葉通りまさに『封印』されていたという。
魔導師団部隊長の一人、土属性のスエロの契約精霊であるルペスが皇城の地下に違和感を覚えたとの事で、調査が入った事で明らかになったんだとか。
「そこは書斎だった。その中に古代王国について触れられた手記があったのだが、それは筆者の恨みつらみで埋め尽くされていた。戦闘で疲弊した状況下への他国及び魔族による侵攻。自分の統治領域を守るためと王に切り捨てられ、援軍すら寄越されずに壊滅的状況へ陥った事に対する憎悪……加えて、自分の国が『無から興したもの』ではなく『不必要と切り捨てられた地』である事にも屈辱を感じたようだ」
「コンクレンツ帝国の始祖は面倒臭い人だったんだな……。戦闘で疲弊したのは反乱を企てたからで、自国内で王や同僚達と争ったのが原因じゃないか。確かに切り捨てた王も悪いが、ほとんどが逆恨みだぞそれ……」
まるで自分の子供が養子や連れ子で『血が繋がっていないから愛せない』とか言う親みたいだな……。その領地自体は切り捨てられる前から治めていたんだから、変わらず愛してやれよ。
「私もそう思う。おそらくは、先祖達も同様だろう。だからこそ、あの醜き逆恨みと屈辱の念に染まった書物の数々を見るに堪えなくなって封印したのだろう。しかし、リチェルカーレ殿の仰るように、完全なる忘却もまた罪という思いがあったのか、処分にまでは至らなかったと思われる」
いつか誰かが見つけてしまったとしたら、その時はやむ無しって感じか。けど、見つけた者は野心を抱いてしまった。
ツェントラールのようにしっかりと管理しておかないからこんな事になってしまうんだ。面倒事だからと、投げっぱなしは良くないぞ。
「以降は知っての通りだ。私は古代王国の復活という野望に取りつかれ、覇道を歩み始めてしまった……」
最高権力者が進む道だ。咎める者など、誰も居なかったんだろうな。おそらくは、皇妃も皇女も皇帝の進む道に理解を示してしまったのだろう。
覇道を突き進む皇帝の背中に『漢』を見てしまったのかもしれない。まぁ、確かにツェントラールの王よりは王らしい気はするが。
野望を抱く事自体は悪い事じゃない。ただ、今回は運が悪かっただけだ。何せ、リチェルカーレや死者の王を敵に回してしまったんだからな。
「今回の事では迷惑をかけてしまったな。ニギン、プリン、そしてベルナルドに部隊長の皆々よ」
「迷惑だなんてそんな。私は例え貴方がどのような道を歩もうとも、共にあり続けますよ。だって、私が好きになった人ですもの」
「そうですわ! どんな事になろうとお父様はお父様です! こんな事くらいで嫌いになったりなどしませんわ!」
「頭をお上げください陛下! 我々は陛下の下で戦えて幸せでした! 例え体制が変わろうとも気持ちは変わりませぬ!」
ベルナルドに続き、部隊長達も同意の声を上げる。そこには、誰一人としてネガティブな事や批判的な事を言う者は居なかった。
皇帝、慕われてんなぁ……。家族だけでなく、部下からもそう言ってもらえるとは……良い指導者だったんだな。
「いや、むしろ迷惑をかけてしまったのはこっちの方だ。いくら侵略をやめさせるためとはいえ、俺達は少なからずの民や兵を殺してしまった」
そう。そこだけはきちんとけじめを付けておかなければならない。俺だけでも騎士団一つを壊滅に追い込んでいる。
死者の王は三つの騎士団を消滅させ、リチェルカーレに至っては多くの人を巻き込む形でエンデの町を半壊させ、魔導師団にも壊滅的な打撃を与えた。
さらには皇城の上層を中に居る人間達諸共に吹き飛ばした。死者の数だけでも、間違いなく五桁に迫る勢いだろう。だが――
「咎めはせぬ。元を辿れば、我々も今までの侵攻においてツェントラールの者達を少なからず手にかけている。奪った以上、奪われる事も覚悟しておかねばならぬ。これらは私が事を起こした事によって生じた犠牲だ。責は私にこそある」
そういや俺が来る何年も前から侵攻が続いていたんだったな。その分を踏まえれば、こちらの犠牲も決して少ないとは言えない訳か。
皇帝は自国の犠牲のみならず、ツェントラールの犠牲をも『全ての犠牲は自分の行動が発端である』と言い切って見せた。即断即決が出来るその潔さは、まさに皇帝の器と言えるだろう。
「アタシとしても申し訳ないと思う部分はあるからね。可能な限りは復興に協力するし、ツェントラールからも人員を出すよ」
リチェルカーレの目線がネーテさんの方を向く。それはつまり『やれ』って事だ。意図を察してか、ネーテさんはため息をついた。
「魔導師団の派遣という事ですね。それは構いませんが、国の防衛はどうしましょうか。コンクレンツ帝国の脅威が減ったとはいえ、他の三国に対する備えを薄める訳には……」
「ダーテとエリーティはしばらく大人しいだろうから、騎士団を残しておけば問題無いだろう。ファーミンの件なら、宛があるからお願いしておこう」
「宛……ですか。わかりました。リチェルカーレ様が仰るのであれば、間違いなく頼りになるのでしょう」
皇帝達と俺達で、今後の復興についての打ち合わせが行われる。ツェントラール王家抜きで勝手に話を進めてしまっていい……んだろうな。リチェルカーレの事だし。
事後報告になって大慌てとなる王の姿が目に浮かぶな。今後は立場が下になるとは言え、敵国だった皇帝と対等にやり取りするとか出来るんだろうか。
「リチェルカーレ殿ぉっ! や、やっと見つけましたよ!」
一帯を震わす程の叫び声が響いたのは、そんな感じで話を進めようとしていた時の事だった。




