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474:安寧の破壊者

 ――セリンが誕生してから数年。


 この時までは何事もなく、親子三人で穏やかな時を過ごす事が出来ていた。

 ヘルトもミスカティアも闘いの日々から遠ざかり、長い時をかけて心身の疲労を癒していった。

 特に精神の疲労を癒したのが、娘セリンの存在に他ならなかった。


 二人とも子育ての経験などなく手探りの状態、時に喧嘩もしたりしながら試行錯誤の日々。

 一般的な家庭であれば、時間を問わない赤子の癇癪にストレスを抱えたりもするのだろうが、激戦を生き抜いてきた二人にとってはそれすらも愛おしく感じられた。

 お互いに『愛』だの『家族』だの考えた事もなかった存在が、いざそれを手に入れた途端に何よりも大切なものへと変わっていく。


「……ヘルト、気付いてる?」

「あぁ。どうやら君の『同族』のようだな」


 二人にとっての愛おしき時間が終わりを告げる。彼らの探知範囲内に、不穏な気配が入り込んできたのだ。

 気配の感じからしてミスカティアと同様の『上級魔族』と判断。彼女と同じくこちらの世界へ飛ばされた存在であろう。

 ミスカティアと異なるのは、明らかに『敵』であると言う事。何故なら、ミスカティアには心当たりがあった。


「この気配、私達が敵として戦ってきたコープセスベルク家に連なる者だわ。レーゲンブルートとは違う毒々しさを感じるもの」

「……どうするつもりだ?」

「迎え撃つ。あんなのがここに来たら、絶対に貴方もセリンも抹殺の対象になる。ヘルトは隠蔽の結界を展開してセリンを守って。私はここを感づかれないようになるべく離れるから」


 言うや否や、ミスカティアはすぐに家を飛び出していった。


「くっ、ここはセリンを守るしかないか」


 ヘルトとしては大切な妻を一人で行かせたくはなかったが、彼女は上級魔族であり数年の休憩である程度は回復している。

 元々が強大な存在であるが故に数年程度の休息では完全復活には程遠かったが、相手が『こちらへ飛ばされてきたばかり』であれば満身創痍だろう。

 楽観的ではあるがそう思う事にして心配を振り切り、娘の守護にのみ全力を尽くす事に決めた。



 ・・・・・




「まさか我以外にも『迷い人』が居たとはな。しかもその姿、レーゲンブルートか」

「ご名答。ミスカティア・シェーンハイト・レーゲンブルートよ。情けなくもこちらの世界へ放り出されてしまった身よ」

「これはご丁寧に。我はヴァザル・ナーハツークラー。コープセスベルク家に連なる者だ。こうして対立する者同士が出会ってしまった以上、分かっているな?」

「えぇ。対立する家の者は消させてもらうわ。貴方はこちらに来たばかりで満身創痍かもしれないけど、だからって手加減はしない」


 ミスカティアが消えたかのような速度で移動しパンチを打つ――が、ヴァザルもそれを見切って回避する。

 空ぶった拳が森の木々の一本を打ち、そのままドミノ倒しのように次々と木々を薙ぎ倒していく。


「この身体には喰らいたくない拳だな。こちらに来てからそれなりの時間が経って回復していると見える」


 ヴァザルが爪を伸ばしつつ、追撃をしようと迫ってきたミスカティアを薙ぎ払う。

 しっかりかわしたつもりだったが血が飛び散った。怪訝に思ったミスカティアは自身の身体を見るが、傷は全く付いていない。


「失礼。ここへ来る前に少々ばかり『ゴミ掃除』をしていたものでな」

「ちっ、既に現地民と出会ってしまっていたか……」

「そちらはこちらへ来てからそこそこ長いと思われるが、今までに一度も現地民と接触すらしなかったのかね?」


 ミスカティアは問いかけに無言を貫いたが、ヴァザルはその無言から現地民との接触があったと確信する。

 しかもネガティブな意味合いではない。何かしらの友好的な関係性――。ゴミ掃除発言に対する嫌悪の言葉から、そこまで察した。

 そこに思い至ったヴァザルは攻める方向性を変えた。ミスカティアを挑発し、木々の奥へと逃げるようにして身を消した。


「ちょっ! おい、待てぇ!」


 脳筋気味なミスカティアはつい追ってしまう。しばし追うと、開けた場所で魔術を詠唱するヴァザルの姿を発見。

 この術を発動させてはマズいと思い、さらに速度を上げてこの一撃でヴァザルを始末するつもりで掌に魔力を集めて顔面に叩き付けた。

 飛散する顔面。しかし、手応えが感じられない。直後、全身が霧となって霧散し、ヴァザルの声が響いた。


『引っかかったな。しばらく結界の中で大人しくしていてもらおうか。その間に、貴様の『弱み』を見つける――』

「(!! 感付かれたか……くそっ、やらかした!)」


 ここへ来てミスカティアもミスを悟る。先程のやり取りから、ミスカティアにとって無視できない現地民の存在が居ると伝えてしまったようなものだった。

 しかし、その後悔も空しく、霧散したヴァザルだったものから広がった魔術がミスカティアを取り込み、その場から彼女の姿を消してしまった。



 ・・・・・



 それからヴァザルは森の中に不自然な個所を発見した。

 全体的に淀んだ空気で、ハッキリ言えば穢れていると言ってもいい辺境の森において、ある地点だけ不自然に清浄な所がある。

 これは端的に言ってヘルトのミスであった。セリンを気遣うがあまり、過剰なまでに清浄な環境を作ってしまっていた。


「(高度な結界の技術が仇となったな。何者かは知らんが、あのミスカティアを下す鍵になってもらおう)」


 不自然な個所に向けていくつもの魔力弾を放つ。魔力弾の数だけ爆発が起きるが、やはりその地点だけ全く傷付いていない。

 近辺を巻き込む勢いで撃った他の魔力弾は森や大地を傷付けているのにもかかわらず、無事な個所。その地点こそミスカティアの弱み。

 結界を破壊してしまおうとさらに力を込めた魔力砲撃を用意しようとしたが、そんな彼に向けて闘気の奔流が飛んできた。


「(あれだけの結界を展開できる存在だ。少なくとも、我にとって『敵』となる存在であろうな)」


 ヴァザルはその闘気を弾き飛ばす。弾き飛ばした手応えで察する。これから対峙する存在は掃除しなければならない『ゴミ』などではない。

 自分の目的を達成するにおいて障害となる敵。彼の前に現れ、剣を構えた『人間』に対し、ヴァザルはそのような評価を下した。


「ふふ、まさかこれ程の人間が存在するとはな。先程掃除したゴミとは雲泥の差だ」

「ゴミ掃除か……。どうやら、既に幾人もの人間を手に掛けていたか。ならば我が本来の使命『魔族退治』をするとしようか」


 ヘルトは結界から出てきており、闘気を高めて現れた敵に対してすぐさま仕掛けた。

 ミスカティアの気配が不自然に消えた事から、何らかの搦め手で撒いてきたのだと判断し、自分が戦わなければならないと察した。

 初めてミスカティアと相対した時と同様、ヴァザルもまた見た目からは想像も出来ない程の力で自身の闘気を上乗せした身体能力に張り合ってくる。


「(さすがに強い。だが、ミスカティアと比べれば若干はマシか……)」


 競り合う二人、ヴァザルが傷を付ければ、今度はヘルトが傷を付ける。二人の勝負は互角――かに思えた。

 しかしヘルトは分かっている。これはヴァザルが満身創痍であるからこそ何とか成り立っているだけだ。気を抜けば押される。

 焦りの心情をわずかに覗かせてしまったその瞬間。ヴァザルの蹴りがヘルトの腹部を痛打し、その身を結界に叩き付けた。


「ぐあっ!」

「パパーッ!」

「ダメだセリン! 出てくるな!」


 結界に衝突する音と、ヘルトの呻き声。中にいたセリンを引き出すには充分だった。


「成程成程。そういう事か――」


 そしてそれは、ヴァザルにとってミスカティアの『弱み』を握らせるには充分過ぎた。

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