461:冒険者ヘルト
二十年程前の話。教皇ヴェーゼルは各地に現れていたネームド――つまり命名される程に強大なモンスターの対処に追われていた。
本来こう言った案件はギルドが担当するものだが、既に被害が世界各地に広がり過ぎており、世界中に根を張るギルドと同じく世界中で信仰されているミネルヴァ聖教がタッグを組んで対処する事となった。
ヴェーゼルは自ら高ランク冒険者や名のある実力者達にコンタクトを取り、ギルドでもまだ手が届いていない地域にも上手いこと人材を回していた。
『お、お父様がまともな仕事を……』
エレナのツッコミに苦い顔を見せるヴェーゼルだが、話す事が先決とばかりに続きを語る。
『そんな折だ。ネームドに混じって魔族の活動も見られるようになってきてな』
魔族の討伐において最も活躍したものがヘルトだった。単独で強力な存在はフットワークも軽く、魔族のような相手を狩るのにうってつけだった。
大型モンスターなどを相手にする場合は大抵集団戦となるが、魔族に対しては少数精鋭で挑む方がやりやすく、精鋭が当てられていた。
ヘルトは時にその場に居合わせた者達と組んだりしながら、着実に各地で暴れているモンスターや魔族を駆逐していき、活動は順調に見えた。
『しかし、ヘルト殿はその頃を境に長期間の失踪をしてしまったのだ』
「……その失踪から戻ってきたのが、地下で見てきたあの結果と言う事でしょうか?」
『ヘルト殿と突然連絡が取れなくなってしまってからしばらく、久々にヘルト殿から連絡が来たと思ったら『強大な魔族を封印したが、自分一人では手に余る』と言うものでな。切羽詰まった様子に、私自ら司教クラスを何人か伴って現場へ赴いたのだ』
ヴェーゼルが見たのは、森の中で結晶体に封じられた女性型上級魔族の姿だった。
一対の長い角にビキニスタイルと、コウモリのような黒い翼。鮮やかに赤い長い髪が結晶体の中でブワッと広がっていた。
あくまでも封じられているだけで死んではいないためか、睨み付けるような目つきからは圧すら感じる。
「わざわざ済まないな、教皇自らに来てもらうなど……」
「気にするな。ヘルト殿程の猛者をして『封印するしか無く手に余る』など、それはこの世界にとって尋常ならざる脅威が出現したという事だ。教団の代表たる私が動かずしてどうする」
ヘルトは今まで、個人の時も誰かと組んだ時も、強大なモンスターや並みいる魔族達を次々に倒してきた。
それは同じSランクパーティーですら苦戦するような相手も例外ではなく、ヘルトは冒険者においてほぼ最強格と言っても良かった。
そんな存在が『手に余る』と言うのは、端的に言って世界の危機である。もはや倒せる者が居ないに等しい事を意味するからだ。
「まさかとは思うが、こ奴は……」
「あぁ。魔界に居るという『真の魔族』だ。余りにも強大な力を持つため、次元を隔てる壁に阻まれて来られないのだが、著しく弱体化した個体に限ってはその制限から外れてしまうという」
「真の魔族とは、げに恐ろしき存在よな。著しく弱体化していて、その上でヘルト殿ですら倒しきれないとは――」
ヘルトは大きな怪我こそしてはいないものの、疲労困憊で座り込んでしまっていた。
ル・マリオンにおいて『魔族』を名乗っている者達は、元々魔界においては『魔物』と呼ばれる存在であり、本来の魔族からすれば身分を僭称されているに等しい。
この事を知っているのは冒険者の中においても魔族と戦う事が日常になっているような高ランクか、教皇のような権威を持つ者に限られていた。
「気を抜けば封印を破られてしまうだろう。故に、さらに強力な封印をかけようと思う。出来れば、聖なる力の強い場所があればよいのだが」
「それならば本殿の地下が良かろう。聖教の中心地であるし、聖性の強さは言わずもがな。聖人達の遺骸や遺物もあるし、聖性はさらに補強されているぞ」
「ありがたい。ではそこで、自分は命を賭してより強大な封印を掛けるとしよう――。この存在の封印には、それくらいしないとならないだろう」
教皇や司教達が側で封印を維持しつつ、結晶体を馬車に乗せて本殿まで運び、そこからは魔術も駆使して何とか地下にまで運び込んだ。
結晶体を最奥部に安置すると、ヘルトはその前に跪いたような姿勢で、己の持っていた剣を床へと突き刺した。
その瞬間、数多の魔法陣が結晶体を包み込み輝く。同時に、ヘルトの全身が石と化し、己が身を封印を維持し続けるための『楔』と変えた。
現場に立ち会ったヴェーゼルは、封印が発動した瞬間に中の魔族から感じていた圧のようなものが消え去ったのを感じた。
先程までは結晶体の中から睨み付けられていたような感覚だったのだが、現在はただの物言わぬ塊のように感じられるようになった。
これでようやく完全な形での封印が出来た――と、この時は思っていたのだが……
『そうして大深度地下にあの上級魔族が封じられたのだ。ヘルト殿が自らの身を使ってな』
『ふむ。それで最近になってその封印が綻び始めている……と言う事か』
『綻び……? それは一体どういう……』
『なるほど、自覚無しか。ヴェーゼルよ。どうやら貴様はしてやられてしまったようだな』
顎に手を当てて何やら思案する死者の王。少しして何かを思いついたのか、右手でガッシリとヴェーゼルの頭をつかむ。
『今のお主は死者。そして私はあらゆる死を統べる死者の王。つまり、お主を支配する事も容易いという事だ』
『は? あばばばばばばばば!』
ヴェーゼルの全身に、死者の王から送り込まれた闇の魔力が循環する。
自身も闇の存在と化したとはいえ、自身の力とは比にならない強大な闇の魔力が身体を駆け抜けた事で全身が痺れたかのように痛む。
『やはり、か。お主、どうやら漏れ出ていた瘴気に蝕まれていたようだな……』
『瘴気ですと?』
『上級魔族の封印は綻んでいた。フォル姉、石像と化していたヘルトはひび割れたりしていましたかな?』
「えぇ、まるでかなりの年月が経過した石像のように、所々に割れや欠けが見られました」
フォルの発言を聞いて、死者の王は確信する。
『ヘルトの生命力が尽き掛けているのだろう。故にヒビ割れや欠けと言う形で影響が出始めた。同時に結晶体から漏れ出した瘴気も、それをさらに加速させているだろうな。そして、その瘴気は知らず知らずの間に教団をも蝕んでいった――』
つまり、教皇の変心を初めとした悪影響の数々は、それを発端にして起こっていた――死者の王はそう結論付けた。
『な、何だと……。で、では私の野望と言うのは……そのような……』
全てを自身で考え行動してきたと思っていた教皇にとっても、それは寝耳に水。
知らずの内に考え方を変えられていたなど、唐突に聞かされて信じられるものではない。
『ちょっと待ってください。今の話も驚きですが、貴方は一体何者なんですか? やけにお父様と親しげなようですが――』
『おお、そうだった。まだお主には話していなかったか。端的に言えば、我はお主らの先祖だ。本殿にかつて即身仏が祀られていたであろう。アレが我だ』
本人に聞かれて、あっさりとカミングアウトする死者の王。
『即身仏――確か幼き頃に見た事があります。その後、お父様が信仰を自身にのみ集めようと、余計な信仰対象は要らぬと封じてしまったみたいですが』
自身の過去の小物じみた所業を口にされ、またも苦い顔になるヴェーゼルだが、エレナからすればそんなのは知った事ではない。
「本名ハイリヒ・フォン・アザマンディアス。彼自身はリッチ化の呪いで名乗れないので、代わりに私が伝えておきます」
『ハイリヒ……。あれ? ハイリヒという教皇の魂でしたら、アンティナートの中に居たはずですが……』
『それは残留物のようなものだ。言わば、分魂された我の一部だな。さすがにアンティナートから全て抜け出すのは不可能であったからな。多少を残して切り離させてもらった』
『さすがにそれはデタラメ過ぎませんか……?』
『アンティナートのような仕組みを作った初代教皇の方こそデタラメだと思うがな。魂が眠る場所と言えば聞こえはいいが、我のような存在からすれば極めて拘束力の強い牢獄のようなものであったからな』
エレナは正直どっちもどっちだと思った。
アンティナートのような仕組みを構築した初代も、魂を切り離してアンティナートから抜け出し、どういう訳かリッチになったご先祖様も大概だ。
とは言うものの、己の身体を捨て『法力そのもの』になるというデタラメをやらかしたエレナ自身も大概なのであるが……




