460:大深度地下
『ところでお主、本殿の地下に『何』を持ち込んだ……?』
『地下ですと? はて、何の事ですかな』
唐突な死者の王の質問に、教皇は心当たりが無さそうに答える。
「残念ながら、とぼけるのは通じませんよ。たった今、私が直に大深度地下の様子を見てきましたから」
『見、見てきただと……? 何を言っている!』
しかし、フォル・エンデットは教皇の言葉を即座に否定する。
「私の手にかかれば、あの程度の場所など扉を開けっぱなしにされた部屋のようなものです」
封印からあっさり抜け出した死者の王と同じような事を言ってのけるフォル。
彼女は概念上の存在であり、何時でも何処でも見聞きする事が出来るし、何体でも自身の分体を出現させたりする事が出来る。
厳重な封印が施されている場所や空間ごと隔離されているような場所でも、彼女自身の魔術の技量で何とかできる範囲であればその問題も消える。
今回行ってきた場所は、言わば『封印』の類であったが、彼女もまた賢者ローゼステリアの弟子の一人であり、魔術的な技量は常人と比べ卓越していた。
本来であれば教皇でなければ立ち入る事が出来ないような最重要区画であったが、それすらも容易く抜けられてしまうのが、賢者ローゼステリアの弟子の魔術水準だった。
一人一人が常識を破壊するレベルの存在。この世界にとって幸いなのは、賢者や弟子達が表立ってあれこれ動こうとしていない事なのかもしれない……。
「勇者ヘルト。こう言えば伝わりますか?」
『っ!』
フォルがボソッと出したその単語を聞いただけで、教皇が固まった。
「大深度地下には、剣を地面に突き刺した状態で勇者ヘルトが石となって固まっていました」
『ほほぅ、勇者ヘルトとな。確か伝説的なSランク冒険者で、その功績から『勇者』と称されていた人物か。いつだったか、突然の失踪をしたと言われていたな。その勇者が石にされていたと……?』
「いえ、勇者は『封印』の禁術によって自らを石と化していました。勇者の背後には結晶体の中に封じられた女性型魔族の姿が見えました。間違いなく、強大な力を持つ上級魔族です。彼の石化は、それを封じるための自己犠牲でしょうね」
――勇者ヘルト。
レミアが所属していた冒険者パーティ『さすらいの風』とは別のSランク冒険者。
彼はパーティを組まず単独で活動しており、冒険者と言う言葉を体現するかのように未知の領域や遺跡・ダンジョンと言った場を探索する事を好む、言わば探検家に近いタイプだった。
その過程で降りかかる火の粉を払い続けているうちに己の実力が増していき、やがて困っている人達のために刃を振るうようになり英雄視されていった。
高ランク冒険者に至った後も、依頼者が非常に困っているような依頼であれば、ランクに見合わない難度と低額の依頼でも引き受けた。
また世間的に名が知られている怪物や魔族などの討伐なども行い、それらの積み重ねによって、冒険者にして『勇者』という称号で呼ばれるに至る。
その後も目覚ましい活躍をしたものの、ある時を境にして表舞台から姿を消してしまった――と言うのは、この世界においては有名な話。
「すまん。全く分からないんだが……」
「私も同じく」
手を上げたのは異邦人組の二人。それも当然である。この世界において有名な話であっても、違う世界の人間には未知の話だ。
むしろ有名な話であるが故に現地人組の中では知っているのが前提となっており、誰かにわざわざ語って聞かせるという機会が皆無であった。
そんな二人のため、自身もヘルトの同じSランク冒険者に至ったレミアが、同業者視点から分かりやすく解説してくれた。
「……なるほど。その勇者が、どういう経緯か強大な上級魔族を本殿の大深度地下に封印していると言う訳か」
「経緯を知りたい所ね。それを知ってるのが、この教皇――と言う事かしら」
一同の視線が教皇へと向く。居心地悪そうにしているものの、そう簡単に口を割るつもりは無いようだ。
『へぇ、その話……興味ありますね。話してくださいますね? お・と・う・さ・ま』
唐突に教皇の前に出現する、淡く光る緑色の人型。人間の領域を脱し、新たな姿となったエレナである。
その場で己が身を分解し、離れた場所で再び再構築するという手法が使えるため、もはや移動すら瞬間移動の如きものとなっていた。
『ひぃっ!? ま、まさかエレナなのか……』
『お久しぶりです、お父様。お互い、随分と変わってしまいましたね』
エレナは人間を辞めて『法力そのもの』という概念上の存在となり、ヴェーゼルは死した肉体を霊魂で操るゾンビのような状態。
偽の聖女を浄化し終えた事もあってか、エレナの心中は凪のように静かであった。父に対する負の感情は表出してこない。
一方のヴェーゼルも、激情の如き怒りは湧いてこない。死者の王――ご先祖様に睨まれた事で、既に当初の勢いを失ってしまっていた。
『さて、勇者ヘルトの件について詳しく』
『ふん、誰が話すものか。それは最重要機密だ。漏らしてはならぬ秘匿事項だ。決して表沙汰にする訳には行かん』
『そうですか。でしたら最終手段です。正直、実の父に対して気は引けますが……』
エレナはにっこりと微笑み――見た目としては光る人型なので分からないが、声質が穏やかで優しいものだった事から察せた。
そっとヴェーゼルの左肩に右手を置いた。ただそれだけの事であったが、直後――ヴェーゼルが拷問でも受けたかのように苦しみだした。
『ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! な、なんだ……身体の奥から業火で炙られるかのような痛みと苦しみ! こ、これは――』
現在のヴェーゼルは死体である。つまり属性としては負であり、邪悪なる闇の力の塊とも言える状態になっている。
一方でエレナは己が身を『法力そのもの』と化している。法力と言えば正の属性であり、言わば神官の象徴でもある聖なる光の力であった。
つまり、ヴェーゼルにとっては天敵とも言える力。本来はどちらにとってもダメージを受ける関係だが、今回の場合はエレナの方が圧倒的に力が強いため、ヴェーゼルだけが一方的にダメージを受けていた。
『ごあああああああああ! こ、このままでは……』
『話してくださいますね?』
『あ、あがっ、は、はな……ぎえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!』
エレナが優しく問いかけるが、ヴェーゼルはこの期に及んでも首を縦に振る気は無い――否。
「おいエレナ、その状態だと受け答えすらままないだろう。一旦手を離してやれ」
『あっ』
竜一に指摘されてようやく気が付いた。与える苦しみが強すぎて、相手がまともに会話すら出来ない状態に陥ってしまっていた。
答えたいのに答えられない状態で拷問を続けるのは、まさに鬼畜の所業としか言いようがない。竜一は改めてエレナの恐ろしい天然の部分を見つけてしまった。
後にヴェーゼルが語った所によると、エレナの肩ポンは焼き鏝を体内に突っ込まれてさらに猛毒を流し込まれたかのような地獄の苦しみだったという。
『はぁ……はぁ……。は、話せと言いながら話させようとしないのはどうかと思うのだが』
『……申し訳ありません。立場上、どうにも拷問に慣れていなくて』
「いや、別に慣れる必要はないと思うんだが」
基本的に神官が拷問をするという機会はほぼ皆無である。そう言うのは、教団関係者でも暗部の人間がやる事だ。
言わずもがな、ミネルヴァ聖教にも暗部と言うものがは存在しており、教皇自らがその闇を統括していた。
『……どうやら、背に腹は代えられぬようだ。いいだろう、聞かせようではないか』




