459:抜け道
『太陽』
淡く光る緑色の人型となったエレナが、一言だけそうつぶやくと、自身の身体を中心に全方位へ法力が放たれる。
その力は全て障壁内にのみ照射され、障壁内で蠢く多量の肉塊はモロにその光を浴びる事となった。
闇の力の極みとも言える『死』そのものの集合体でもある肉塊にとって、対極にある聖なる力を体現する法力はまさに天敵。
浴びた側からどんどん肉塊が焼かれて体積を減らしていく。まるで高熱に晒された水が蒸発していくかの如き光景だ。
もはや戦いにすらなっていない。肉塊はもはやただ蠢く事しか出来ないため、一方的な蹂躙となっている。
◆
「うぉっ! なんて光だ……。これが今のエレナの法力なのか……」
エレナ自身が『太陽』と称したように、傍から見ていた竜一達も目を閉じなければならない程に強烈な光だった。
「アンティナートによって歴代教皇の宿す法力を全て己の物にしたからね。人間の器だった頃とは比にならない程の力さ。法力という概念そのものとなった今のあの子なら、さらにそれ以上の法力を集める事だって可能だ」
「もはやあの偽の聖女も単なる死霊の塊に過ぎません。法力の化身となったエレナに対しては、何をどうしようが対抗できるものではありませんね」
『我ですら危うい程の領域に入っておるな。今やあの子は歴代の後継者の中では他の追随を許さぬ圧倒的最強に至ったであろう……』
今のエレナは、既に人の領域を超えた『賢者ローゼステリアの弟子達』が手放しで褒める程にまで至っていた。
しかし、人外の領域に至った者達とっては、これはまだ始まりでしかない。ここから先、エレナはさらなる高みを目指すのか否か――
◆
『『『『『ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛……』』』』』
数多の呻き声が重なり、異形の肉塊が体積を削られていく。その浄化速度は早く、瞬く間に並々とあった肉塊は数メートルほどの球体にまで縮んでしまった。
エレナは自らを光の矢と変えてその球体を撃ち抜く。矢が肉塊を突き抜けると同時、肉塊は木っ端微塵に砕け散る。矢の姿から人型に戻ったエレナの手には、一人の小さな女の子が抱きかかえられていた。
明らかに成年の女性だった偽の聖女とは異なり、年端も行かぬ少女としか思えない背格好。この少女こそが――
『……聖女に改造される前の『元々の姿』という事でしょうか』
サラサラの長い金髪を揺らしていた青き瞳の美しき女性。それが聖女――つまりエレナの姿である。
孤児院から似た雰囲気の少女を選んだというだけあって、セミロングではあるものの金髪である事は同じだ。眠っているが故に今は確認できないが、おそらく瞳も同じ色なのだろう。
この少女を、教皇は地獄とも言える狂気の改造を施してエレナの代わりにした。表情の無い『光の人型』となったハズのエレナの顔に、怒りが見えたような気がした。
◆
「エレナさんが抱えている少女って、まさか……」
「あぁ、アレが『偽の聖女』だろうね。小さくなっているようだが、まさか『時』の概念に触れずにあぁしてしまうとは、エレナは恐ろしい領域に至ったものだ」
「時の概念――確か『魔術の三大難題』だったか。重力、空間、時間の三つは難度が高く、特に時間は事実上不可能とされているとか」
『仰る通りです。重力や空間くらいならまだしも、時間まで自由にさせてしまうとこの世界が滅茶苦茶になってしまいますからね。それが許されているのは、現時点では私の同胞たる存在のうち一人のみです』
竜一が疑問をつぶやくと、遠隔で様子を見ていたミネルヴァが補足を入れてくれる。
魔術の三大難題においては重力を扱う領域にまで至った者はちらほら、空間を扱う領域にまで至った者は少数、時間を扱う領域に至った者は未だ存在しない。
それはミネルヴァが言ったように『扱う事を許されていない』ためであるが、世間一般に置いてはその事実は知られておらず、未だに探求が続いている。
「じゃあ、偽の聖女が子供の姿になってるのはどういう原理なんだ?」
「アレはあの子の『現在を構成する要素』を完全に取っ払ってリセットしたんだろうね。つまり『今』という結果を無かった事にしたんだよ」
『これは法則の『抜け道』みたいなものですね。時間という概念に干渉せずして、実質『巻き戻し』のような事を行ってしまう。やはり人間の可能性は無限大で面白いですね。創造者冥利に尽きるというものです』
時間を操作する事が禁止されている中で、別の手段を用いて実質『時間を操作したに等しい』事を行うのはセーフであった。
『さて、偽の聖女の方は片付いたが、残る問題は……』
死者の王が見下ろしているのはミネルヴァ聖教の教皇ヴェーゼル・フォン・アザマンディアスであった。
不用意な発言によって偽の聖女の地雷を踏み抜いてしまい、反旗を翻されてしまった哀れな男。
心臓をえぐり出され、胴体に大きな穴が開いており、血の海に沈んでいる肉体。それを死者の王が踏みつけた。
『……いつまで寝たふりをしている。言わば『死』そのものである我を前に、死を誤魔化せるとでも思ったか?』
踏む足に力が入り、死の力を内包した魔力が集まってくる……。
『ぐぅ……わ、わかった! 起きる、起きるからやめてくれ!』
胴体に大きな穴が開いたままのヴェーゼルが起き上がる。身体だけを見ると、どう見ても死んでいる致命傷である。
「端的に聞くが、アンタさっき心臓を抉られてたよな……? なんで、生きてるんだ?」
『残念ながら肉体的には死んでいるよ。今の私は霊体で無理矢理肉体を動かしているに過ぎない』
「つまり、自分自身に憑依してるって訳か……」
霊体が死者の肉体に憑依して操るという事例は存在するが、ヴェーゼルはそれを自分自身で行っていた。
偽の聖女に心臓を抉られて死に瀕した時点から既に法術を行使しており、命が尽きると共に霊体となって己の肉体に潜んでいた。
そしてそのままこの場をやり過ごし、誰も居なくなった後で密かに活動を再開させるつもりであったのだが――
『何とも小狡い男よ。このような者が当代の教皇とは……情けない。ミネルヴァ聖教も地に落ちたものよな』
『き、貴様にミネルヴァ聖教の何が……って、その姿。何処かで見たような気が――』
『ふむ。この姿では少々わかりづらいかもしれんな。ではこちらの姿であればどうだろうか』
死者の王は闇の力を前面に押し出している時は不気味なリッチとしての姿だったが、光の力を前面に押し出すと大きく印象が変わる。
そして、その時の姿は教皇ヴェーゼルにとって良く見覚えのある姿であった。何せ、かつて本殿にあったのだから……
『ま、まさかご先祖様!? 即身仏として本殿に祀られていた……』
『祀られていた……か。自身にのみ信仰を集中させるため、奥底に封印しておったくせに何を言うか』
『封印……そうだ。封印していたんだ。何故のうのうと外に出て活動している!? と言うか、何故復活している!?』
ヴェーゼルは一気に混乱に襲われた。今の今まで先祖の即身仏が外へ出て活動していた事を知らなかったのだ。
実の娘や増長した偽の聖女が自分にとっての野望の阻害となる事は認識していたが、ここへ来て新たな聖教関係者が現れてしまった。
『あの程度の封印を封印などとは呼ばんよ。我にとっては鍵の掛かっていない扉も同義。実に無意味であった。何故復活している云々は、今のお主自身が一番良く分かっておろう。歴代教皇が伝えた法術の中には、死すら超越するものがある。お主が霊体となって肉体を操っているように……な』




