458:存在昇華
『お互いこれではやりづらいでしょうし、やりやすいように姿を変えましょうか』
球体を中心にさらに法力が収束していき、やがて淡く緑色に光る『人型』の存在が形成された。
『……これが今の私です。アンティナートの力を全て物にし、新たな次元に至りました』
「確かに、凄まじいまでの法力を手に入れたようね。でも、私は既にその次元に至っている事を忘れたのかしら?」
偽の聖女は食屍鬼として死体を喰らう事で己の質量と許容量を増した上で、さらに力や知識を取り込んでいる。
言わばエレナがやろうとしていた事を先んじてやっていた。ならば、エレナのやった事は単に聖女に追いついただけに過ぎない――
『私は肉体と言う器から解放され、魂は法力そのものと一体化しました。故に、このような事も出来ますよ』
エレナが右手を前に出してかざすと、聖女の身体から淡い緑色の光が浮かび上がり、それが掌に向けて吸い込まれていく。
「小賢しい、私の法力を吸い取るつもりか!」
『吸い取るのではありません。今の私は法力と言う概念そのもの。故に、この世全ての法力は私の手中にあります』
「何ですって!? くっ、法力のコントロールが効かない……。止められない……」
『言ったはずですよ。今「この世全ての法力は私の手中にある」と。それは貴方の有する法力すら例外ではない』
やがて、聖女から吸い取られていた法力の流れが途絶える。
法力と言う概念そのものと化したエレナは、彼女が有していた法力を全て奪い去ってしまった。
「くそっ、そんなデタラメな力が……うぐっ! があああああああ……」
聖女の右側頭部あたりから、禍々しくも巨大な目玉が生えてくる。
その目玉に連なるようにして大小様々な目玉が出現し、反対側の左側頭部には鋭い牙の大口が開く。
さらには手足の肉が異様に盛り上がり始め、その肉から我先にと幾本もの手足が生える。
「『死』の力が……抑えきれな……」
聖女が今までに取り込んできた死者の怨念やその力は、完全に御しきれている訳では無かった。
後付けで得た莫大な法力によって中和する事により、都合良い部分だけを使えるようにしていただけに過ぎない。
しかし、その抑えを失った事で、彼女の中に渦巻く死者達の怨念が表出しようと暴れ始めてしまった。
一つ一つは大した事の無い力であっても、それが群体ともなれば一人では抑えきれない程のとてつもない力と化す。
ましてや彼女は個としての力も強い歴代聖人の力も取り込んでしまっている。そんな者達が一斉に蜂起したとなればもはや手が付けられない。
故に、内側から溢れ出る死者の力を抑えきれず、聖女は何とも形容しがたい異形へとその姿を変えていく――。
『こ、これは想像以上ですね……』
聖女はすっかり山のように盛り上がった肉塊の中へと埋もれてしまった。
肉塊からは大小様々な手足が生え、目玉や口、鼻と言った部位があちらこちらに散見される。
一斉に言葉にならない不気味な呻き声を発し、それが呪詛となって辺りに響き渡る。
巨大な肉塊の足元からは濁流のように新たな肉が生まれ続けており、辺り一面へと広がり続けている。
その肉の表面を埋め尽くすように不気味な顔が表出し、怨嗟の声を上げ、呪いとなって聞く者全てを蝕もうとする。
エレナはとっさに四方を囲う障壁を展開し、町全体にまで広がらないように予防線を張ったが――。
◆
「おいおいおい、何か良く分からない事になってるぞ……誰か解説頼む」
「端的に申しますと、エレナさんは私と同じ『概念上の存在』へと昇華致しました。今までのエレナさんとは別次元の存在です」
唐突に姿を見せたフォル・エンデット。彼女もまた世界と一体化した概念上の存在である。
故に『何処にでも存在し何処にも存在しない』という特異な状態となっており、好きな場所に好きなだけ分体を生み出せるようになっている。
彼女にかかれば極秘の場所であろうと容易く出現出来るし、その気になれば自身の存在そのものを完全に忘却させる事も出来る。
「エレナさんが一体化する事を選んだ概念は『法力』ですね。精霊達の頂点が『各々の属性そのもの』であるように、エレナさんは『法力そのもの』となったのです」
「そう言えば、炎の精霊のシャフタがそんな事言ってたっけな……。炎と言う概念そのものだから、他人が炎を扱う事すら禁止できてしまった」
「おそらくはその応用なのでしょうね。エレナさんは偽の聖女の扱っていた法力を全て奪い取ってしまい、あの者の内側に蠢く『死』の力を表出させた」
「表出させた結果があの異形……って事か。けど、あれはどう見ても暴走してしまっているが、それで結果オーライなのか?」
竜一から見た構図としては、緑色に光る小さな人型と、それに対峙している巨大な肉塊。肉塊は巨大化を続け、さらに多量の肉を放出し続けている。
放出された肉は呪詛を撒き散らしながら拡大を続けていたが、エレナによって展開された法力の壁によってそれ以上の拡大は阻止された。
しかし、横に広がらなくなった代わりに縦に盛り上がるようになってしまった。このまま盛り上がり続ければ、結界内の肉塊がタワーのようになってしまう。
「おそらくそれも計算の内でしょう。あの肉塊にとって、今のエレナさんは身を焼く太陽の如き存在。聖女の姿であった頃よりも御しやすいかと」
一方、広がる肉塊を見て物思いに耽るのは、フォルと同じく唐突に姿を現した死者の王。
『偽の聖女の在り方は、まるで我に至る過程で失敗したかのようだ……』
「君は『死と言う概念が形を成した存在』、言わば無数の『死』を内包したと言う点では良く似てるね」
『うむ。我は力を御する事が出来たからこそこのような形で存在出来ているが、一歩間違えれば我もあのようになってしまうのかもしれんな』
死者の王と称されるハイリヒ――ハイリヒ・フォン・アザマンディアスは、エレファルーナ・フォン・アザマンディアスの先祖である。
かつて殉教の果てに即身仏となった存在であり、ヴェーゼルが教皇の座に就くまでは女神像と並び信仰されるシンボルとして本殿に安置されていた。
しかし、ヴェーゼルが自身以外の存在へ信仰が向く事を嫌い、封印が掛かった箱に収められて表舞台から隠されてしまった――
だが、彼は紆余曲折を経て蘇って亡骸に魂を宿し、聖なる法力を身に着けたまま『死』いわば闇の力を得るという、真逆の属性を同時に内包する特別なリッチへと転身を遂げた。
変貌を遂げた後、教皇に知られる事なく密かにあっさりと封印から脱すると、以降は聖人としての生き方を捨て自由に活動するようになる。
「ま、そうなった時はアタシが責任を以って滅してあげるよ」
『その時は、どうか頼む――』
「個人的には、その時が来ない事を祈りたい所だけどね」
◆
『偽の聖女――自身の本当の名すら知らぬ、哀れな被害者……。そんな貴方すら、私は救済しましょう』
最初こそ被害者であったが、富と権力によって歪んでしまった偽の聖女。
自らの意志で動くようになってから教皇に便乗して行ってきたであろう悪行の数はもはや計り知れないであろう。
しかし、そんな彼女を生み出してしまった原因は教団を出奔してしまった己にこそある。
そう考えたエレナは、偽の聖女を最終的には『被害者』であると断じた。
聖女の性格を考えると、こう言った同情の気持ちは侮辱と受け取るかもしれないが、そんな事は関係ない。
これは相手がどう思おうが、自分がやりたいからやるという我がままに過ぎないのだから。




