451:召喚の禁呪
何が何だか分からずただただ混乱していた民衆達は、一様に凄まじい怖気と寒気を感じて震えあがった。
特に寒くも暑くもなかったような状況から急に氷点下に放り込まれたような感覚。そして、絶対逃げられない圧倒的な捕食者にターゲットとされたかのような感覚。
その気配の発信源は聖女が演説をしていた檀上だった。今は聖女が奥に引っ込んでおり、姿が見えないため下からは状況が分からない。
しかし、同じ高さから見学していたギャラリーは違った。先程まで演説していた聖女の前に、瓜二つとも言える存在が割り込んできた。
聖女が教団関係者を粛清した直後の事だった。生き残っていた大司教も交え何やらやり取りした後、信じられないような禍々しい気配と共に本性を現した。
再び手から光の鞭を伸ばして山積みされた死体に突き刺す。死体から鞭を伝って淡い光が流れる光景は、無知な者が見てもどういう事かが察せられた。
聖女が死体から力を吸い取っている。明らかに常軌を逸したその能力、そして彼女自身から解き放たれる不気味な赤黒いオーラ。
その力の奔流を浴びるだけで死を予感させる程の濃密な負の力。この時点で民衆は察した。今、自分達の目の前で聖女を名乗る存在は何処かおかしい。
そして、その聖女と対峙する女性。民衆の一部は動画で見て知っていた。自身こそが本物の聖女であると名乗る――世間的には偽者とされる存在。
偽者とされる女性が杖を構えて法力を解き放つ。それは暖かくも優しい淡い緑色の光――
民衆が感じていた怖気や寒気を優しく掻き消して包み込んでくれるような、まるで母に抱擁されているかの如き全てを委ねたくなるような、そんな力。
エレナの法力は一瞬にして民衆をリラックスさせてしまう。この一瞬で、民衆に聖女の真贋の答えを突きつけるかのような一手だった。
「皆様! 早々にお逃げください! あのお二方が本気でぶつかり合ったら、この会場はおそらく保ちません!」
そこへ声が掛けられる。先程エレナから民衆の避難を指示されたラインハイト大司教だ。
大司教はわずかに生き残った教団関係者達に声をかけ、各々がどう動くべきかを伝えた上で会場を駆け回っていた。。
騒動の顛末が気になるのかなかなか動かない人も居たが、そういう人は騎士らが力づくで退かしていく。
・・・・・
「そう言えば、何人かお仲間を連れてきてましたね。せっかくなので、彼らのお相手も用意して差し上げましょうか」
聖女が杖を召喚すると共に天へと掲げ、背後にいくつもの魔法陣を召喚する。
「これは地下墓地の聖人の遺体から吸収した召喚能力です。何と八属性の精霊達の長を呼び出し使役するという禁呪ですよ!」
八つの魔法陣が輝き、それぞれが太陽の如く激しい光を放つが、直後にそこから電撃のようなものが発せられて振動し始める。
そして一斉に大爆発を起こしてしまった。これが召喚のプロセスなのかと思いきや、当の聖女は苦い顔をしていた。
「くっ、私では精霊達の長を使役する事が出来ないというの……?」
『残念ですが、長達は既に先約があるため他者からの召喚に応じる事は不可能です。本来であれば先約すら無視して召喚できる程の強制力があるようですが、今回の契約はそれを跳ね退ける程の圧倒的な強制力があるようですね』
唐突に現れたのは、宙に浮かぶ小さな女性。赤い髪のおかっぱを揺らし、眼鏡を指先でクイッとする姿は出来る女を思わせる。
キャリアウーマンを思わせるスーツ姿と言う異世界に似合わぬ風貌であるが、彼女は紛う事なきこの世界の精霊だった。
『私は火の精霊ウェスタ。精霊達を代表して事の次第を伝えに参りました。申し訳ありませんが、主様。現在は非常に忙しいのでこれにて失礼致します』
ウェスタは主である竜一に一礼すると、すぐさまその姿を消してしまった。
「……まぁ、そういう事らしいぞ」
「・・・・・」
聖女は閉口してしまったが、その心境を示すかの如く爆発した魔法陣が焦げたかのように黒ずんでいく。
「こ、今度は何なの……?」
「おいおい、自分で使っておいて分からないのかよ」
「仕方ないではありませんか。私も今回初めて使用するのですから……」
(……もしかして、天然なのか?)
竜一がエレナの方へ目線をやるも、エレナも変化に心当たりがないらしく首を横に振った。
「どうやら、穢れによって変質してしまったみたいだね。キミみたいな死臭漂う汚れた奴が清らかな精霊なんて呼び出そうとするからだよ。こりゃあ変な所に繋げられて変な物が出てくるパターンだ」
「へ、変な物でも何でもいいわ! どちらにしろ相手をして頂くのは皆様なのですから。さぁおいでませ!」
(何でもいいのかよ……)
投げやりな聖女の言葉に呆れる竜一だが、各々の魔法陣からは黒ずんだ異形の部位が飛び出しており、禍々しい瘴気を放ちながら何者かが現出しようとしていた。
「瘴気――って事は、魔界に繋がったか。さぁ、何が出てくるんだ……?」
最初に魔法陣から姿を現したのは、端的に言えば巨大な蝿のような異形だった。続けて姿を現したのは、全身が異形化した巨大な蛇の如き異形。
他にも様々な獣がごちゃ混ぜになったかのような不気味な姿の異形、騎兵のように馬のような異形に跨った人型の異形、翼の生えた異形の獣に跨った人型の異形。
残る三体は比較的人型に近いが、天に伸びる二本の角を持つ異形、横に伸びる二本の角を持つ異形、前者二つを合わせたかのような四本の角を持つ異形。
八体の精霊の代わりに出てきた八体の異形はどれもこれもが端的に表すのが難しい異形であった。どの生態系にも一致しない、まさに異界の生物とでも言うべき姿。
「うーん、ありゃあ『悪魔』だね……。強い負の感情や負の気で呼び出せてしまう、精霊とはまた別の召喚対象だよ」
「悪魔だって? この世界には悪魔が実在するのか」
「キミ達の世界で語られている悪魔と同義かは分からないけどね。こっちの世界の悪魔を端的に言うなら、魔界における精霊の立ち位置にある存在って所かな。魔族がパートナーや僕として使役する存在さ。ただ、さっきも言ったように悪魔が好むような強い負の感情や負の気があればこっちにも来ちゃうんだ」
「まぁ、確かにあの聖女は条件にピッタリだな……けど、見た感じ厄介なのが呼び出されてしまったな。あいつらが具体的にどんな奴らなのかは分かるか?」
「ル・マリオンにおいて現出するのはかなり珍しい存在だね。一応概要くらいは知ってるが、何と言うか悪魔ってのは扱いが特殊でね……」
悪魔と呼ばれた存在は、魔法陣から出現したと同時、特に何かをするでもなくボーッと佇んでいる。
自発的にアクションする訳でもなく、何かしらの言葉を発する訳でもない。生きてはいるが、生きていないようにも見える。
そんな不思議な存在を前に竜一達の一行はもちろん、召喚した当人である聖女も何故か固まってしまっていた。
「よ、良く分かりませんが……行きなさい! エレナ以外の邪魔者を排除するのです!」
想定外の事で固まっていた聖女は、悪魔達が自身で召喚した存在である事を思い出し、早速敵対者への攻撃を命令する――
『・・・・・』
しかし、悪魔達は動かない。そもそも聖女の声にすら反応していないようにすら見える。
(おいおい、どうなってるんだよ。聖女の言う事聞かないぞアイツら)
(そもそもまだ契約を結んでいないからだよ。精霊だってまず最初に契約をしてから、その後でようやく共に戦えるようになるんだから)
竜一とリチェルカーレが小声でやり取りを始める。
(もしかしてあの聖女、召喚の基礎すら知らないのか……?)
(どちらにしろ召喚されたのは悪魔だ。精霊と同じようには行かないんだよね。さぁどうするかな、偽の聖女さんは)




