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449:二人のエレナ

「私はミネルヴァ聖教の膿を全て出し尽くす! そう、この会場内で「槍玉に挙げられたのが自分でなくて良かった」などと安堵している教団関係者達も同罪です!」


 聖女が両腕を左右に広げると同時、指先から赤黒い光の鞭のようなものが伸び、途中でいくつも枝分かれして幾人もの人間を刺し貫いた。

 本人が宣言していた通り、いずれも司教や神官、教団騎士ら関係者のみがターゲットであり、そこに民衆は一切含まれていない。

 刺し貫かれている者達は一様に『信じられない』という顔をしており、教皇がスケープゴートになって安心した所へ仕打ちを受けて絶望した様が見て取れた。


「お、おぉぉ……。聖女様、何と言う事を……」

「ラインハイト大司教、良かったですね。貴方は本当に微塵も悪い事をしておられない、清廉潔白な大司教ですよ」


 聖女がラインハイトと呼んだ老年の大司教は、腐敗しきっていた教団内においては珍しい程に一切の穢れが無い貴重な存在だった。

 一般の信者達に対しても真摯であり、良く知る者からは『聖人』と称されていた。しかし、本人はその呼称を『聖女と並べられているかのような感じで恐れ多い』とあまり呼ばれる事を好んでは居なかった。

 他の者からの誘いもキッパリ断り、目に見えて汚い事をやっている場合はきちんと咎めるなど、教団内においては彼を疎ましく思う者達も居た。


「聖女様、貴方は一体どうされてしまったのですか? 確かに今の教団は悍ましい……しかし、このようなやり方で変えようなどと……」

「ここまで放置してしまったのは私の責任でもあります。自身も被害者であるとは言え、教団のほぼ頂点に位置しながら腐敗を見逃し続けてしまった。今こそこの罪を償う時なのです」


 聖女は刺し貫いた者達をそのまま引き寄せ、自身の背後へと山積みにしていく。その数は数十では効かない程だ。

 記念祭会場に居る教団関係者で生き残っているのは本当に数える程の人数しか存在しない。それ程までに教団の汚染は進んでしまっていた。



 ◆



「とうとう関係者の粛清を始めたか……。いや、やってる事自体は組織内の浄化なんだろうが、絵面がとんでもないな」

「事前に一人一人を調べ尽くした上で黒だと判断した者達を根こそぎ処分するつもりだね。若干名を残している辺りまだ情は残っていると言えるかな」

「異邦人である俺にはこの世界の聖職者の事が良く分からないな。誰が黒で誰が白かも分からないし、この粛清が正しいか否かも判断できない」

「ラインハイト大司教が生かされている事からしても、聖女の判断は正しいと言えるでしょう。私がまだ教団に在籍していた当時、あの方から色々教わっていた時期もありましたが、本当に全く黒い噂を聞かなかった人でした。信者の方々からは『聖人』なんて呼ばれたりして、苦笑してましたね」


 どうやらエレナが良く知っている人物が居たらしい。聖女と同じ場に居る時点で位の高い聖職者――エレナ曰く大司教との事だが、そこで生き残っているのは一人のみ。

 他の大司教は全員アウトだったようだ。こうまで腐敗しきった組織の中で最後まで健全を貫き通すとは、あの大司教はなかなかに剛の者であるようだ。

 会場内を見回すと、他の教団関係者も大半が粛清対象。若干名の神官や騎士達が生き残っているが、もはや何が起きているかもよく分かっていないようで呆然としていた。


「あの様子を見るに、私に対する憎悪以上に教皇――教団に対する憎悪の方が圧倒的なようですね。それだけに、彼女が置かれていたであろう地獄が如何ほどのものであったのかを考えてしまいますね」


 教皇は偽の聖女を地獄に叩き落とした張本人。しかし、その地獄が始まったのはエレナが出奔した事により、教皇が身代わりを探す事になったから。

 そういう理由で、偽の聖女はエレナに対しても感情を剥き出しにする程の憎悪を見せていた。教団に対しての憎悪は、それを一旦横に置いてまで粛清を始めてしまう程に凄まじいものだったんだな。



 ・・・・・



「今これより、私は聖女にして教皇となる! 私こそが『エレファルーナ・フォン・アザマンディアス』である!」

「残念ですがそれはなりません。エレファルーナ・フォン・アザマンディアスの名は、私だけのものです」


 このタイミングで、様子見をしていたエレナが聖女の前に降り立つ。


「貴方は既に教団を出奔しているから、教団関係者が粛清されようとも涼しい顔をしているという事かしら?」

「残念ながら、腐敗していた教団関係者などいくら粛清されようとも心は痛みません。聖女とは何でもかんでも許すお人よしではありませんよ。それは貴方が一番良く分かっているのでは?」


 エレナは聖女の殺戮を咎めない。今回対象となった者達は、間違いなくそうされても文句を言えないくらいには穢れ切っている。

 教団から出奔し、内部の事情が分からなくなった現在であっても、直にその者達から発せられる不穏な気配を感じればそれくらいの事は察せられる。


「……随分とイメージが違うじゃない。私の所業を咎めて説教でもするのかと思ったけど、まさか同調されるとはね」

「全世界――とはいきませんが、様々な国々を巡っては『現実』を見てきましたから。変な甘さは捨ててきたつもりです」

「なら、私が言葉なんかで止まるなどとは思ってはいないでしょ。見せてみなさい、アンティナートの力とやらを」


 聖女の全身から気が立ち昇る。癒しの法力を示す緑――ではなく、赤黒い不気味な色のオーラが。


「やはり、貴方の力の源は聖なる法力などではありませんね。それは……」

「えぇ、お父様と教団による悍ましき『教育』と『修練』の賜物です。私は貴方とは違う方向から聖女の力の極致に至る!」

「聖女――貴方は何故『エレファルーナ・フォン・アザマンディアス』にこだわるのです。私に成り替わろうとせずとも『貴方自身』が教団の長になればいい!」

「私は教団で『エレファルーナ・フォン・アザマンディアス』として育てられたのよ。今更それ以外になんかなれる訳がないじゃない」


 聖女は既に過去の事など記憶にない。元々居たであろう家族の事はもちろん、孤児時代や本名なども既に忘却の彼方だ。

 彼女に残っている記憶は全て『エレファルーナ・フォン・アザマンディアス』になってからだ。つまり、彼女はもうその生き方しか知らない。

 にもかかわらず、今更になって本当の『エレファルーナ・フォン・アザマンディアス』が戻って来るなど、受け入れられる訳がない。


「貴方はエレファルーナ・フォン・アザマンディアスであるにもかかわらず、エレファルーナとして生きてこなかった。そんな貴方がエレファルーナを名乗る資格なんてない!」


 この時点で聖女は相手が『エレファルーナ・フォン・アザマンディアス』であると認めてしまっているのだが、本人は気付いていない。

 本物に対して勝手に造り上げた『エレファルーナとしての生き方』を説き、あまつさえ名乗る資格がないなどと言うのは滑稽極まりない話である。

 突然始まった乱入者と聖女のやり取りだが、離れた位置で肉声同士でやり取りしているため、民衆には全く聞こえておらず状況がつかめない。


「い、今の言葉……真ですかな? そちらの方が、エレファルーナ・フォン・アザマンディアスであるとは……」


 しかし、身近で聞いていた者は違う。聖女の言葉を聞き、思い浮かんだ疑問を挟んだのはラインハイト大司教だった。

 実の所ラインハイトは目の前の聖女こそがエレナ当人であると思い込んでいた。それ程までに教皇によるイメージ像の構築は完璧だった。

 にもかかわらず疑問が生じてしまったのは、立ち昇る気の性質。さっき発せられた聖女の物は、端的に言って禍々しかった。

 今の今まで聖女からそのような気を感じた事は無かった。それこそ、聖女と相対する者が発するのと同じ、癒しの法力を示す緑――暖かく優しい気を発していた。


「ふふ、ついカッとなって取り繕うのを忘れてしまいましたね」

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