042:魔導師団長ベルナルド
リチェルカーレがフルールの作り出したバリアにそっと手を添える。
言い方こそ異なれど、結局のところは障壁もバリアも同じようなものであるため、首都の入り口と同様の対処が可能だ。
『いっ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』
目に見えて苦しみ始めるフルール。バリアで受けきれない分の反動が既に彼女を苦しめていた。
端から徐々に崩れはじめる身体。元々が小さいため、人間大の精霊と比べるとそう長くはもたないだろう。
「あまり苦しめるのも可哀想だし、一気に終わらせるよ」
バリアを握り込み、一気に力を加える事で派手に砕け散り、同時にフルールも塵と化した。
破片が辺り一面に舞う光景は幻想的ではあったが、部隊長達にとってそれは絶望を示す光景だった。
何せ頼りの精霊が全て消されたのだ。加えて彼らにはもう戦うだけの力が残っていない。
しかし、そんな彼らに一筋の希望が差し込んだのは――まさに直後の事だった。
バリアが砕け散るのと同じくして、彼らの背後より魔術の砲撃が放たれた。
失意の一同の間を駆け抜けるようにして飛んできたそれは、寸分違わずリチェルカーレを撃ち貫いた。
「どうした。魔導師団たる者が膝をつくには少々早いのではないかね?」
叫んでいる訳でもないのに、明確に皆の耳に届く渋い男性の声。魔術による拡声であろう。
その声の主は、部隊長が守る広場の後方、皇城の門の上に立っている者――魔道師団長ベルナルドのものだった。
彼の姿を目にした途端、先程まで絶望感漂わせていた一同の顔が嘘のように明るくなっていく。
風の魔術を身に纏い、素早く部隊長達の目の前まで移動して降り立つと、現場の惨状に顔をしかめた。
「むぅ、城の中で陛下を守っている間……このような事になっていたとは。衝撃と音は伝わってきていたが、想定以上だ」
ベルナルドは万が一に備えて王族を守る任についていたが、あまりの状況の激しさに外の状況が心配になった。
中を近衛騎士達に任せ、急いで飛び出してきたが……彼の判断は正解であったと言える。
部下達が守られているバリアが破られそうになっているのを見て、破られた瞬間を狙って砲撃したが、上手く隙を突く事が出来た。
しかし、まだ油断はしない。と言うのも、上空にあまりにも巨大な黒い物体が未だ鎮座し続けているからだ。
「ぬ? まさか、落下しているのか……!?」
あまりに大き過ぎて解りづらかったが、その物体が徐々に落ちてきている事に気が付いた。
対峙しているだけで感じる程の凄まじい魔力とおぞましい瘴気。地上に落ちれば確実に一帯が死の大地と化す。
全力を振り絞ってでもアレを何とかしないと、コンクレンツ帝国だけでは済まないレベルの被害が出る。
「やれやれ。いきなり狙撃なんてしてくるからコントロールを失ってしまったじゃないか」
ベルナルドが上空に向けて動こうとした時、割って入った声。それは言わずもがな、先程打ち貫いたハズのリチェルカーレだった。
彼女の姿を見るに、傷一つ存在しない。衣服にすら乱れが無い。全く以てノーダメージな様子に、さすがのベルナルドも驚く。
「馬鹿な。決して手を抜いた一撃ではなかった……それが、無傷だと? ど、どうなっている……」
「君も魔導師だったら可能性を考えてみるといい。学ばぬ魔導師に成長はないからね」
「いや、今はそれどころではない。コントロールを失ったというのであれば、アレを止めねば」
「安心するといい。それは冗談だ」
そう言ってリチェルカーレが手首をスナップさせて人差し指を上に向けると、黒い球体は遥か空の彼方へと飛んで行った。
「と、とにかくだ。侵略者よ。この先へ進むつもりならば、次はこの私が相手になろう……」
「へぇ、キミならアタシの相手になるのかい?」
「そこまで慢心してはいない。だからこそ、こうさせてもらう」
ベルナルドが自身の杖の石突部分で地面を叩くと、瞬く間に魔法陣が広がり、中から大きな何かが姿を現す。
青い毛並みの狼――体長にして二メートル程であろうか。明らかに既存の狼よりも巨大だ。
『ぬ、吾輩が呼び出されるとは……余程の相手なのか?』
「……アレだ」
狼が言語を発する。彼こそ、ベルナルドの契約精霊だった。彼は、主が指し示す先の存在を見てその身を強張らせる。
『……主よ、そなたは意外とチャレンジャブルな男だったのだな』
「チャレンジャブル?」
『うむ。アレはどう見ても違う領域に踏み込んでいる存在だ。例え我らが部隊の八精霊をけしかけても……厳しいだろうな』
「それ程の存在だと言うのか……」
この世界に召喚されたばかりの彼の推測は当たっていた。実際、八精霊は既に壊滅させられている。
辺りの惨状を見回し、自分達の背後で力なくへたっている部隊長達の姿を見て、彼自身もその事を悟った。
『既に終わった後だったか。で、どうするのだ? 吾輩がやれば良いのか?』
「……やれるのか?」
『やれるも何も、やるしかないだろう。主はこの国を護りたいのだろう?』
ベルナルドは黙って頷いた。何せ、今や自分こそがこの国を護る最後の砦なのだ。引き下がるわけにはいかない。
「すまない。私も全力で援護を――」
『いや、主は彼らを護ってやってくれ。そちらまでは手が回らない』
そう言うと、彼は遠吠えと共に全身から魔力を立ち昇らせて青き体毛を発火させ、全身が炎に包まれた狼へと変貌した。
その炎は毛並みと同じ青色――サラマンデルの纏う赤き炎よりも強く、位が高い事を示している。
『吾輩はブラオ。蒼炎の精霊と呼ばれる、炎の精霊に属する者だ』
「アタシはリチェルカーレ。既に感付いているようだけど……覚悟はいいかい?」
右手に赤い炎の球体を生み出すと、さらに力を集中させて青い炎へと変える。
『やはり、青い炎を扱えるか……。部隊長達の精霊を退けたのだ。当然か』
「あの竜の精霊にはそれだけで充分だったからね。けど、君にはもっと違う炎を使う必要がありそうだ」
透き通るような青い炎に闇が混じる。瞬く間に闇は炎を漆黒に染めてしまう。
『な、なんだ!? その……禍々しい炎は……』
「魔界の魔族達が使っている炎さ。ちょいとばかり彼らに教えてもらった事があってね」
テニスボール程の球体を、そっとブラオに向かって放り投げる。
(くっ、この炎は危険過ぎる……何としてでも止めねば)
サラマンデルとは異なり、自身へ向けて放たれた攻撃の恐ろしさを一瞬で感じ取ったブラオ。
さらにその身に力を漲らせると、全身の筋肉が一気に膨れ上がり、体長も三メートル程にまで巨大化する。
加えて骨格も変化していき、瞬く間に二足で地面を踏みしめる獣人のような形態へと変わった。
そんな巨大な獣人が、全身から蒼い炎を噴出させつつ、小さな球体を全身全霊で受け止めようというのだ。
傍から見たら滑稽に映る光景だが、見た目ではなくその内に秘められた力を感じ取っている身からすれば必死そのもの。
右手を突き出し、黒い炎の球体を受け止めるブラオ。しかし、今回はその事自体が悪手となった。
黒い炎はブラオが身に纏っている炎を一瞬にして吸い上げると、ブラオ自身を飲み込むほどの大きさへと肥大化した。
先程放った闇の魔力と同様、色から察せられる通りこの炎も闇の力を宿しており、相手の同種の力を吸収する能力を備えている。
対抗するにはより強大な力でなければならないが、ブラオの蒼い炎はそれに及ばず、捕食対象でしかなかった。
『やはり無謀な挑戦であったか……だが、挑んで散るならそれも本望』
黒き炎に包まれたブラオは、無駄に足掻くことなくその中で焼かれて散っていった。
彼には解っていたのだ。どれだけ全力を振り絞ろうとも、この炎の前ではただ力を吸われてしまうだけであると。
ならば素直に敗北を認め、潔く散る。既に倒された精霊達よりも高位の存在としてのカッコつけだった。
「馬鹿な!? ブラオがこうもあっさりと……ホントに貴様は一体何者なのだ!?」
部下達の前で障壁を展開していたベルナルドが、動揺を隠さずに叫ぶ。
「そろそろネタばらしする頃合いかな。リューイチ、そんな所に隠れていないで出てくるといい」
背後に向けて声をかけると、瓦礫の陰に隠れていた竜一が辺りをキョロキョロと見まわしつつ顔を出す。
「……終わったのか?」
「ほとんどね。あともう少しだ」
「もう、あんなヤバイ事にはならないだろうな……」
言わずもがな精霊との戦いである。付近に居たら余波で何度死んでいたか分からない。
いくら死んでも蘇るとは言え、激戦の只中で死んで蘇りを繰り返しながらじっとしていられるほど呑気者ではない。
最小限の被害で済むよう、少し離れた陰に隠れてこっそり様子を見る事に徹していたのだ。
「貴様は皇座に現れた者か!」
「覚えていてくれて何よりだ。約束通り、皇座を目指してきたぜ」
「……たった二人で、か」
「そうだな。残念ながら王はお帰りだ。お前達が余りにも手応えが無さ過ぎてつまらんかったらしい」
「ぐぬ。コンクレンツ帝国の戦力を手応えが無さ過ぎる……とは」
「王が気を放っただけで何千人もの騎士団が消し飛び、俺一人でも何千人もの騎士団を退け、挙句リチェルカーレ一人で魔導師団はこの様。間違っていないだろう?」
返す言葉が無いとはこの事だ。コンクレンツ帝国は、規格外戦力に対してのノウハウが全くと言っていい程無かった。
今までずっと戦力にものを言わせて弱者の蹂躙ばかりを続けてきたツケが、今になって返ってきたのだ。
「このまま、我々を蹴散らして皇城を落とすつもりか?」
「……と思ったけど、一つ思いついた事があるんだ」
パチンと指を鳴らすと、唐突に会話している三人の間に割り込むようにして女性が出現した――全裸で。
スラリとした高身長にしっかりと張った大きなバスト、引き締まったウエスト、そして弾力のある大きなヒップが惜しげもなく晒されている。
「ぬなっ!?」
「ほぅ、これは何とも立派な……」
仰天したのはベルナルドだ。いきなり眼前に全裸の女性が現れれば驚きもするだろう。
一方で竜一はテレポートでの不意打ちは慣れているのか、ここぞとばかりに身体を観察し始める。
「ふんふんふ~ん♪ ……あら?」
当人は目を閉じて鼻唄交じりに茶色の長い髪を泡立てていたが、不意に伸ばした右手が空を切った事で異変に気付く。
目を開き、見知らぬ景色が広がっている事を確認すると、ロボットみたいなぎこちない動きで左側を確認――真っ赤な顔をした壮年の男性が慌てているのが見える。
今度は右側を確認――彼女にとって良く知った男性が腕組みしつつドヤ顔でこちらを見ている。そして、その横にはさらに見知った少女の姿……。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ようやく事態を飲み込んだ彼女は、その場にしゃがみこんでしまった。何せ、外で惜しげもなく全裸を披露してしまったのだ。
「リチェルカーレ様! だから、いきなりの召喚はやめてくださいとあれほど……!」
「やれやれ、いついかなる時でも対応できるようにと言ってあったじゃないか」
今回召喚されたのは、リチェルカーレの部下として働いている魔導師団長のネーテだった。
「そんなブラック企業みたいな事を言ってやるな。とりあえず一旦帰ってもらって準備してもらった方がいいんじゃないか」
「仕方ないね……じゃあ四十秒で支度――」
「無理です! 五分、せめて五分くださ……ひゃあっ!」
必死の嘆願の直後、再びリチェルカーレの指が鳴らされると、全裸のネーテは足元に空いた穴に落下していった。
「……お見苦しいものを見せてしまったね」
「い、いや。なかなかに眼福でしたぞゲフンゲフン」
ベルナルドとて男性。若き女性の全裸をばっちり見たのだ……嬉しくない訳が無かった。




