442:賭場の胴元
「申し訳ありませんでしたぁ!」
叫ぶような謝罪と共に土下座しているのは、豪奢な衣装を身に纏った恰幅の良い中年の男。
クラティアの闘技場で胴元を務め、莫大な富に溺れていた男であった。顔面は蒼白で、この世の終わりでも悟ったかのような恐怖に満ちていた。
彼がこのように見栄も外聞も捨てて謝罪する羽目になったのは、闘技場で塩対応されてしまった『ある者』の復讐によるものだった。
・・・・・
――時は少しさかのぼる。
「聞いたかい、竜一。不正が疑われるんだってさ」
「別に不正じゃないと思うが、運営側からすれば不正にしたいレベルの話だろうからな」
「たまたま知っている奴がたまたま出場しただけ。強いけど無名だっただけの話だよ。出場を指示した訳でも無ければ、意図的に情報を伏せた訳でもない」
不正と言うのは、例えば自分が知っている有力な選手を無理矢理ねじ込んで参加させるとか、運営に干渉するレベルの話。
あるいは試合内容にまで口を出し、特定の相手や特定のタイミングでわざと負けさせるなどする八百長行為。
リチェルカーレはどちらもやっていない。闘技場のルールにおいても『知り合いに賭けてはならない』という項目は定められていない。
「最高倍率の賭けに最高額を投じて見事当てるなんて、話だけ聞けばなんじゃそら……って感じだしな」
「賭けられる項目にあったんだから文句を言われる筋合いはないさ。他の人間だって賭けようと思えば賭けられたしね。大勝負に出る勇気は無くても、ワンチャン狙いで少額を賭けてた人達ならそこそこ居ただろうさ」
「ようするに、大打撃を受けてしまう運営がお前の賭けの成立を潰したいって事だな」
「あちらがそう来るなら、こちらも持てる手を尽くして迎え撃とうじゃないか。数日後には胴元が土下座しに来るようにしてやろう」
・・・・・
……で、本当に土下座しに来たんだよな。
ガクガク震えている様子からして、余程の恐怖を体験したと見える。謝罪以外の余計な言葉を発する事すら躊躇われるのか、続く言葉を発しない。
俺とリチェルカーレのやり取りを知らない他の面々は「何事か?」と目をぱちくりさせているが、それを尻目にリチェルカーレは男の前に仁王立ちする。
「おや、アタシの賭けは不正じゃなかったのかい? 何か気が変わるような事でもあったのかな?」
明らかに何かやっただろうに、白々しく尋ねる。あの時『持てる手を尽くして迎え撃とう』と言っていたから、容赦なさげな事だろうが。
下手したら国を動かすくらいの事をやっていてもおかしくないな。リチェルカーレのコネを使えばそれも不可能な話じゃない。
リチェルカーレに問われてもガクガク震えるばかりで言葉が返ってこない。こりゃあ少しばかり落ち着かせるための時間が必要だな。
「すまないが俺達には何が何だかさっぱりなんだ。経緯を話してもらっても構わないか?」
「あ、あぁ……。実は数日前なんだが、唐突に国王からお呼び出しがあったんだ」
・・・・・
「クラティア闘技場でブックメーカーを主宰しているトヴァノ・ドゥーモトだな。国王より出頭要請が出ている。我々と共に来てもらおうか」
ブックメーカーの主催者トヴァノは自宅でのんびりとくつろいでいる所であったが、突然やってきた物々しい来客。
それは何と国の兵隊。クラティア国王が直々にトヴァノを名指しして城への出頭を要請しているという。
トヴァノはブックメーカーにより富を得ており、国内では富豪に位置するが、身分的には貴族でも何でもないため国王との接点は皆無に等しい。
「こ、国王がこのワシに……? い、一体何が……」
とは言え、国王の命令であるならば背く訳にはいかない。逆らえば処刑すらあり得るのが、この世界における国というものだ。
トヴァノは兵士達が偽者である可能性も考えたが、向こうもそうやって疑われる可能性を考えたのか王印付きの書類を提示してきた。
王印は国王のみが持つ事を許される印であり、ほのかに王自身の魔力も宿るため、王印付きの書類は紛う事なき本物。
そのまま王城に入り、王の間まで連れて行かれ、トヴァノは兵士達と共に跪いて礼を示す。
眼前には凄まじいまでの威圧感を放つ国王が腰を下ろしており、彼を鋭い目で彼を睨みつけていた。
その圧にビビるトヴァノだが、同時に国王の横に居るとてつもない美人に目が向いてしまった。
この国の姫――否。その姫すら霞む程の美貌は、もはや人間のそれではない。それもそのはず、その女性は尖った耳のエルフだった。
腰まで伸びる長い金の髪を揺らし、白いドレスを身に纏い柔和に微笑むその姿は『女神』だと言われても疑わない程であろう。
「ほほぅ、こちらの方が気になるか?」
「も、申し訳ございません!」
トヴァノは失態を悟る。国王の前で国王以外に意識を取られるなど以ての外だ。王によってはそれだけで不敬罪もあり得る。
「この方はかのアルヴィース・グリームニル様。賢者ローゼステリア様のお弟子の一人にして、生きる伝説と呼ばれる方だ」
「あ、あの伝説の……!? ま、まさかお目にかかれる日が来るとは!」
「呑気に喜んでいる場合ではないぞ、トヴァノよ。何せ、アルヴィース様がお越しになられたのは、クラティアをこの地図上から消すためなのだからな」
「は……?」
開いた口が塞がらなかった。国王に呼び出されたかと思いきや伝説の存在が来ていて、しかもその理由がクラティアを地図上から消す事だという。
「お、恐れながら申し上げますが、その事とこの私めに一体何の関係が……」
トヴァノは王族でも無ければ貴族でもない、大富豪ではあるがクラティアの闘技場でブックメーカーを主宰しているだけの一市民だ。
アルヴィースがクラティアを地図上から消そうとしている事と、そんな自分の存在がどうやっても結びつかない。
「お主、先日の地区大会で大金を賭けて大穴を当てた者を不正扱いにして支払いを拒んだであろう」
「……!? な、何の事でございますかな?」
支払額が十億ゲルトにも及び、経営が傾いてしまう程の痛手であるため、不正扱いして支払いを拒んだのは事実である。
しかし、それを何故か国王に指摘されるという不可解な状況に、つい否定しまった。本来であれば、国王の前で偽証するなどそれだけで重罪である。
「ほほぉ、とぼけるか? 既にこちらはアルヴィース様の力もお借りして裏を取っているのだぞ」
「……う、うぅ」
沈黙はすなわち『認めた』と言う事である。だが、それでも納得いかない事が一つあった。
「そ、それが何故『この国を地図上から消す事』に繋がるんですか!?」
「そのような卑怯者を抱える国など、百害あって一利なし。国民の不始末は国の責任……故に、国ごと責任を取って頂きます」
アルヴィースが初めて口を開く。優しげな声色とは裏腹に、語られた内容は冷徹極まりないものだった。
「い、いくら生きた伝説とは言え、個人でそのような事……」
「いえ、世界中の国からちゃんと承認は得ていますよ。これが各国から集めた王印です」
彼女が巻物のような物をその場に広げてみせる。そこには一筆の文と署名、各国の王のみが所持し押す事を許される王印がズラリと並んでいた。
「トヴァノよ、勘違いするでないぞ。死神の鎌が首元にかけられているのはお主ではない、この私も同じだ。そして、クラティアという国全体も……」
あまりに突飛な話に、トヴァノは開いた口が塞がらない。自分の保身が、何故か国そのものの危機になっている。
ここへ至ってようやく彼は悟る。あの賭けを成立させた少女は『絶対に喧嘩を売ってはならない存在』だったのではないかと。
そうでなければ、このタイミングでアルヴィースが来訪し、国王までが動くハズがない。
少なくとも、今まで同じように不正疑惑を叩きつけて大金の支払いを拒んだりした際、このような事態に発展した例はなかった。
荒事に巻き込まれる例も何度かあったが、そういう時は金の力で用心棒を雇い黙らせてきた。しかし、今回は生きた伝説と国王が相手だ。
どれだけ金を積もうともどうにか出来る相手ではない。ましてや実力行使など不可能だ。アルヴィースを倒せる用心棒などいない。
(ワ、ワシは喧嘩を売る相手を間違えたのか……?)




