407:魔女の力
ウナ・ヴォルタの地を欲している女神官を討つべく、周りの国々は惜しまず戦力を投入した。
軍隊も出せるだけ用意し、国々と懇意にしている名の知れた強豪も次々と参戦していく。
その話もまた噂として広がっていき、何とかしてこの戦いを見ようと考える無謀な者達も現れ始めた。
・・・・・
「よし、我らも出撃だ! 目標は教皇の娘を名乗る者!」
「さすがに大袈裟過ぎやしませんか? 神官一人に対し、万を超える部隊を投入するなど……」
「教皇の娘である事が真実か否かは関係ない。しかし、映像で見せた力は事実。あれほどの法力を扱う者を舐めてかかる事は出来ん」
ウナ・ヴォルタの広大な土地を一人で浄化して見せる程の莫大な法力。もしそれが攻撃に転用された場合、如何ほどの攻撃力となるのか。
この国の軍隊を率いる部隊長は決して相手を侮ってはいなかった。故にこそ躊躇いなく全軍投入を決め、即行動に移した。
「それに、本当に相手が一人だと思っているのか?」
「……一人では無いのですか?」
「映像を通して伝わったあの只者では無い雰囲気、必ず支持者や支援者が居ると踏んでいる」
(へぇ、なかなかに良い推測じゃないか。そしてそれは『正解だ』と言っておこう)
部隊長と側近のやり取りに割って入ったのは女性の声。しかし、自分達の近くにはそれと思しき女性の姿は無い。
「あ、あれを!」
側近が指し示したのは、自分達の軍勢の前方に陣取るようにして中空に佇む一人の女性の姿。
黒を基調としたドレスに身を包んだ黒き長髪を揺らす女性の容姿は、相対する者にただならぬ雰囲気を感じさせる。
「まさか、あそこから魔術で声を送っているのか!? 何者だ!?」
(私は過去、この地を滅ぼしたという濡れ衣を着せられた者。私は濡れ衣を着せた国々を許さない)
そう言って魔女が右手をかざして魔力を発現させると、展開された軍隊を囲うようにして巨大な光の壁が構築された。
「この地を滅ぼしたという濡れ衣……まさか、伝え聞く『終焉の魔女』なのか!?」
(終焉の魔女。その呼称も今や世界に知れ渡ってしまった。ならば、その名の通り終焉をもたらしてやろう)
「ほ、本当に終焉の魔女なのか!? 魔女は数百年前の存在だし、名を語る偽者だったりは――」
(だからこそ、実力を以て本物と示そう。すまないね。君達自身が直接私に何かした訳では無いが、先祖の代わりに犠牲となってもらう)
魔女が右手を握り込むと、展開された光の壁が動き始める――兵達が展開している内側へ向かって。
一番外側に居る者達は壁に手を突いて踏ん張るが、その程度の事で止まるはずもなく、踵で地面を削りながら押されていく。
間もなく背後に居た者達と衝突してしまう。徐々に壁の内側の領域が狭められていき、人口密度が上がっていく。
「こ、これは……そういう事かッ! このままでは、我々は……」
部隊長はそう遠くない未来に迎えてしまうであろう末路が頭を過ぎり、何とかせねばと考えようとするが、その直後――
『やぁ、いらっしゃい』
「!?」
気付いた時には、魔女の隣へと転移させられていた。予期せぬ転移に身体が付いていかず、部隊長は尻餅をついてしまった。
『全滅させてしまったら私の言葉を伝えるメッセンジャーが居なくなると思ってね。だから、適当に一人だけ選ばせてもらったよ』
その言葉で察してしまう。つまり、これから自分以外の者達は確実に殺されてしまうのだと。あのまま光の壁を縮小していき、終いには……と、部隊長はそこで想像を止めた。
しかし、その想像の先を再現するかの如く閉じていく壁はやがて中に居る人間達を圧縮し始める。一部の者達は潰される前にと抜け出して他の人達の上に乗っかり難を逃れ、同じくそれらを真似する者達が現れる。
そうしてまるで組体操のように人の山がいくつも組み上がっていくが、その最中にも最下部に居る人達が圧縮されていき、少しずつ限界を迎えていく。
彼らを包むのが紙のように脆い物であれば、紙の方が負けて破れてしまうが、残念ながら彼らを包むのは強固な魔力で形成された光の壁。
中の物を圧縮しても全く潰れない圧倒的強度を誇っている。故に中の人間達が人間としての形を無くそうが、止まる事は無い。
上に乗っかっている人間達は自分達が足蹴にしている下の人間達が無惨に潰されていく様子を目にし、それが間もなく自分達に訪れる死の形であると突き付けられる形となってしまった。
最初のうちに早々に潰れて死んだ者達は逆に幸せだったかもしれない。上に逃げた者達は早々の死を逃れた事で先に死んだ者を見てしまう事になってしまった。
そしてそれは間もなく自分達にも訪れる死の形である。末路を知らぬまま死んだ方が良かったと後悔しても既に遅い。どう殺されるかが分かった状態で殺されると言うのは、未知であるよりも恐ろしい。
そんな阿鼻叫喚の悲鳴だけは光の壁を抜けて聞こえてくる。部隊長は耳を塞いで目を閉じようとしたが、歯を食いしばって顔を上げて前をしっかりと見据えた。
『……別に目を逸らそうが耳を塞ごうが咎めるつもりは無いよ』
「彼らは私が率いていた部隊だ。言わば、私が命令してこの場に連れてきたのだ。私が目を逸らす訳にはいかない」
『君は部隊長だったのか。本当に無作為に選んだつもりだったのだがね……』
「部下を犠牲にして自分だけは生き残る上司。最低だと見下してきた者に私自身がなってしまうとはな」
『そんな見下げ果てた存在になるくらいなら、自分も殺して欲しい……って所かい? どうやら君は素晴らしい上司のようだ。だが、駄目だ。君には役目を担ってもらわなければならないからね』
魔女がパンパンッと手を叩くと、じわじわと狭まっていた光の壁が一気に収縮してしまい、その姿を消してしまった。
そして、人差し指をクイクイ動かすと手元に赤黒い小さなキューブが飛んできた。大きさにして一センチくらいの小型サイズだ。
『これが君達の部隊の末路だよ』
「……!?」
言われても理解できなかった。先程まで、部隊長は部下達が光の壁に押し潰されて死んでいく光景は歯を食いしばって見ていた。
しかし、それがここまで小さな塊に押し潰されるなど、想像できる範囲を軽く超えてしまっている。あの場に居た人間は万を超えていたのだ。
あれだけの質量をこのキューブにしてしまうなど、一体どれほどの力で押し潰せばそうなるというのか。
魔女が浮かんでいたキューブを地面に落とすと、まるで巨大な岩を落としたかの如き轟音と共に付近一帯が激しく揺れる。
一点に尋常では無い重さが集中しているためか落とされたキューブは地面に深くめり込んでしまった。
それを魔術で浮かび上がらせて再び手元に引き寄せた魔女は、金色に光る二つのリングを取り出し、それを交差させるようにキューブへ重ねた。
『これで良し。重さを感じさせないようにしたから、持ち帰るといい』
リングにチェーンを繋げてネックレスのようにしたそれを、そっと部隊長の首に掛けてやる。
魔女に言われた通り、首に掛けられたそれは全く重さを感じない。万を超える人間の死がこのキューブに凝縮されている。
そんな物が今自分の手元にある。その事実に、部隊長は先程の光景を見た時の恐怖以上の怖気を感じてしまった。
「私はどうしようもないクズだ。先程はあぁ言っておきながら、今になって生きて帰れる事にホッとしてしまっている!」
『それが人間というものだよ。己の醜さなど、わざわざ告白しなくても良いだろうに。都合の良い事で取り繕ってる輩は腐る程居るというのに、立派だね』
「そうやって言う事で気を楽にしたかったのかもしれん。部下達を皆殺しにした魔女が相手なのにな」
『先程から冷静に話しているが、部下達を大量虐殺した相手に対して憎悪とかは無いのかい? 私は言わば仇だろう』
「私は部下達を等しく愛していた。愛する者を殺されたのだ。当然憎悪しているに決まっているだろう。だが、あのような非常識を見せられて復讐が叶うとも思えん」
『賢明だね。私は圧倒的な力によってワガママを通させてもらった。もちろん、君のその憎悪すら圧倒的な力でねじ伏せるつもりだよ』
「私にはまだ守らなければならない者は残されているし、やらなければならない事もある。だから、今はあえて理不尽に屈そう。存命を保証するというのであれば、好きなように利用するがいい」
『君の心意気を買って、もしメッセンジャーを害する者があらば守ると約束しよう。王侯貴族であろうが、私からの言葉を伝える時は遠慮せずに言うがいい』
そう言って部隊長に何かしらの魔術を施すと共にメッセージを渡し、国へのメッセンジャーとして開放。本当に一人だけ存命させた。
・・・・・
「やれやれ。少女形態に慣れ過ぎて大人形態は疲れるよ」
部隊長が去った後、姿を元に戻したリチェルカーレは一人愚痴をこぼすのだった。




