388:壁の向こう
遥か彼方にまで連なる山脈。航空写真で良く見た事のある壮大な光景だ。しかし、一点だけ見覚えのある景色とは大きく異なる点がある。それは最奥に『壁』が見える点だ。
眼下に広がる山脈は数百メートルから千メートルくらい、奥の方の山脈はその数倍くらいだろうが、先にある壁はそれらより圧倒的に高かった。
目測だけで言えば、俺達の世界の最高峰であるエベレストすらも超えているかもしれない。そんな圧倒的な壁が俺達の行く手を塞ぐように広がっていた。
「天然の境界……と言うにはあまりにも不自然な構造だな。俺には意図的に作り上げられたかのように見える」
「あら、聡いわね。確かに素材自体は天然の山々だけど、構造自体は未開地域を封鎖するために当時の方々が作り出したものよ」
かつて有志達によって開拓が進められたが、魔界から進攻してきた魔族との激しい戦いが起きた地が『未開地域』である。
その激しい戦いの影響なのか気候変動が起きてしまい、とても在来種族では住まう事が出来ない程の極寒地帯となってしまったらしい。
レジーナさんの話によると、ただ極寒なだけではなく瘴気が蔓延していて寒さだけをどうにかすれば良い訳では無いとの事。
「他の地域まで悪い影響を受けないように隔離したのよ。解決が無理だったから封じる事にした訳ね」
俺達の世界でも、何らかの事故で環境に悪しき影響が生じた地域を丸々封じてしまう事はある。
例えばチェルノブイリ。人体に有害な放射線の影響で半径三十キロ程が立ち入り禁止とされてしまった。
当時の知識と技術ではどうしようも出来なかったから、そうせざるを得なかった典型だ。
「今ならば解決できる……と言う訳では?」
「無いわね。対象とする地域があまりにも広大過ぎるのと、中がどうなっているのが不明と言うのが厳しい点よ」
レジーナさんに色々話を聞きつつ、神獣フレースヴェルグはさらに奥を目指す。
徐々に眼下の山脈の高さが増していき、壁が少しずつ迫ってくる。いや、俺達の方から近付いているのだが、そう錯覚してしまう。
こういう景色を見ると『壁の内側で生きている』みたいな作品を思い出すな。壁の外に何があるか判明していないってやつ。
「かつては『さすらいの風』の一員として各地を旅してきましたが、さすがにここは初めてですね」
「レミアさん達でしたら、人力であの壁まで行けそうな気もしますけど……」
「行けない事は無いと思いますが、入念な準備と綿密な計画が必要になるでしょうね」
行けるんかい。と言うか、尋ねているエレナの方こそアンティナートをフル活用すれば行けそうなもんだが。
空をひとっ飛び出来れば簡単そうに思えるが、これだけの高度と距離を飛行し続けるのは難しいって事なんだろうか。
何せ俺達自身が神獣の力を借りてるくらいだからな。飛行力のみならず、強さも必要なのだろう。
「そもそもの話、そこまでして行くメリットに乏しいのが理由だね。行く苦労に反して見返りが小さ過ぎる」
リチェルカーレならサクッと行って帰ってこれそうだし、見返り云々はおそらく実体験なのだろう。
未開地域の環境などを考えたら転移先でいきなり死ぬ可能性もあるだろうし、空間転移を提案しないのもそれが理由と思われる。
とか何とか話したり考えたりしているうちに、かなり先にあったはずの壁はなかなか近い所まで迫ってきている。
もはや壁は見上げる必要があるくらいに高い。そのためか、フレースヴェルグも上昇しつつ前進していた。
かなりのスピードのはずなのに風などの抵抗を感じないのは神獣の力だろうか。おかげで壮大な景色をバッチリ見る事が出来ている。
フレースヴェルグの背に吸い付けられるように重力が掛けられているためか、上向きに飛んでも重力の向きが横を向いていた。
「こういう事が出来るという意味でも、神獣による飛行を選んだって所か」
「えぇ、通常の飛行による負担は正直言ってかなり大きいわ。風圧や重力を気にしなくても良いというだけで、かなり楽になるんじゃないかしら」
もしそういうフォローが無かったら、必死でフレースヴェルグにしがみついていなければならない状態だったと言う事か……。
その場合はリチェルカーレやエレナが代わりにフォローしてくれるだろうが、そういうフォローをしてもらう事を前提にするのも何か申し訳ないな。
あぁ、そういう事を考えるのは止めだ。キリがない。今はこの壁を超えた先に広がる景色に想いを馳せるとしよう――
・・・・・
壁を超える途中で雲海を突き抜けた果てに見えた尾根。そのさらに上へと舞い上がるフレースヴェルグ。
雲海を抜けたため、俺達の背後に広がっているのは当然の事ながら雲海である。しかし、前に広がっていた景色は違った。
「これが、未開地域の景色なのか……?」
雲一つない晴天。先程までと同じように広がる山脈。そして、その山脈の向こうには開けた領域があった。
奥の方に木々のひしめく広大な森が広がっており、その手前に草原や湖、荒野など様々な形の自然が広がっていた。
想像していたのと違って意外と普通だな。俺達が今まで旅をしてきたような世界とそう変わらない感じがする。
「……気付かれたね」
リチェルカーレが呟いた刹那、俺は森のある一点がギランと光ったのを見た。そして、その直後――俺達を激しい衝撃が襲った。
「な、なんなの!?」
「大丈夫よ」
まるで爆弾でも落とされたかのような衝撃だが、障壁を張ってあったのか俺達にダメージは無かった。
レジーナさんはこれを踏まえていたようだ。案内役を買って出るくらいだから、何が起きるかも知っていて当然か。
「森に住まう怪物達が外からやってきたアタシ達に気付いたんだよ」
「……気付いたって、この距離でか?」
いま俺達が飛んでいる辺りから、件の森まではまだかなり離れている。それこそ、数キロ――下手したら十数キロは距離があるぞ。
そんな超遠距離から狙撃してきたとでも言うのか。おいおい、あの森にはどんな怪物が住んでるって言うんだ。
「驚くのは早いよ。アレは単なる攻撃じゃない。合図でもあるんだ。だから――」
闘気で身体能力を向上させて森を覗き込むと、その森から沢山の鳥が飛び立つのが見えた。
まさかとは思うが、あの沢山の鳥達が俺達に向かってくるとでも言うのか?
「来るよ。近くまで来たらどんどん撃ち落としていくよ」
「よし、やってやろうじゃないか」
魔術に加えて重火器も召喚できるから、俺の遠距離用の攻撃手段は豊富だ。来るなら来やがれ鳥の怪物共め。
そう気軽に考えていたのだが、その軽い気持ちは早々のうちに打ち砕かれる事になってしまった。
と言うのも、森から飛び出した鳥達は一瞬にして超加速して、すぐさま俺達の所にまで飛んできたのだ。
先程の砲撃に匹敵する程の速度。だが、その速度よりも驚かされた点があった。
フレースヴェルグの展開する障壁に、さっき飛んできた鳥のうちの一体が突き刺さっている。
正確にはクチバシが……だ。しかし、そのクチバシというのが……
「うっそだろ、おい……」
とてつもなくデカイ。嘴だけで何十メートル以上あるんだってくらい、凄まじく巨大だ。
鳥の全長ともなると数百メートルは超えるんじゃないのか? おいおいおい、ちょっと待てよ。
そうなると、あの森から出てきた沢山の鳥達は全て同等の……?
後ろを見ると、高い壁となっている山脈に沢山の鳥達が突き刺さっていた。
こちらに狙いを付けていた訳じゃなく、速度重視の直線コースで飛んできただけだったのか。
山に突っ込んでそのまま死んでいてくれればありがたいが、そうは行かないんだろうな。




