384:ハルとシャリテ
王国護衛隊の一員にして、先代女王の専属護衛を務めるエルフの戦士シャリテ。
彼女はかつて『王宮近衛隊』という、より王族に近い立ち位置で王族の身辺を護る役に就いていた。
しかしその際、強大な力を持つ魔族の手から王女を庇ってその身に呪いを受けてしまった。
まともに戦う事も出来なくなった彼女は、ファーミンと言う国にあるエルフの集落で療養生活を送る事となった。
そこで愛する人と出会い子宝に恵まれるも、夫はシャリテから伝播した呪いにより死亡してしまう。
幸いにも娘にまでは呪いが伝わる事は無かったが、後に病床に伏す母のため薬草を探す最中に魔物に襲われて死亡。
偶然にもそこを通りかかったハルが娘――ポワールの最後の言葉を聞き、その意志を受け取った。
エルフの里への潜入工作を目的としてやって来ていた彼女は、ポワールに成りすまして里へ潜入する事にする。
その後はポワールになりきって母と過ごしながら、エルフの中に反乱分子を生み出すべく行動していく。
(いつからか、娘が別人になっている事には気付いていた……。でも、不思議な事にそこに悪意は全く感じられなかった)
ハルは工作員としての活動でエルフの里を混乱に導いてはいたが、ポワールの想いはしっかりと受け継いでおり、母に対しては真摯だった。
故にシャリテもあえて黙っていようと決め、偽りの娘からの愛情を受け取り、同時に偽りの娘に対して愛を注いだ。
事の真相を詳細に把握できたのは、さらに時が流れてかつて自身が命懸けで護った王女が女王となって里へ訪れた時だった。
シャリテにはどういう経緯で女王が里に来たかは分からなかったが、額の宝石が間違いなく女王が本物である事を示している。
エルフの全てを把握している女王は、当然志半ばで亡くなったポワールの事も認識しており、ハルと最後のやり取りをした時の事も知っていた。
それを聞いた事、そして後にハルがポワールとして「本国へ旅立つ」と報告しに来た事で、シャリテはハルに対する己の気持ちを定めた。
(娘の意志を継いでくれた事には感謝するわ。でも、なりすましをして多くの人を騙したのは悪い事だから、お仕置きは必要ね)
シャリテの結論とは『それはそれ。これはこれ』だった。感謝すべき部分と叱るべき部分、共に併せ持つ。どちらか一方である必要はない。
だからこそ、彼女はこの機会を利用してハルにお仕置きをしつつ、戦士として一皮剥けるための『苛烈な指導』を行う事に決めた。
偽名を使わず本名を名乗ったからハルも察しているだろうが、あえて病床に伏していた姿と今の姿が一致しづらいように振る舞おうと決めていた。
ちなみに他の皆に対して一切容赦せず殺しにかかってきたのは、女王から「あの人達は殺しても死なないような人達ばかりだから容赦なくやっていいわ」と命令されたからだったりする。
言わずもがな、女王へその言伝をしたのはリチェルカーレである。実力者組の慢心を折り、まだ未熟な異邦人組にとっての糧とするべく、シャリテを焚きつけたのだ。
◆
「キオン、最初から全力で行くわよ!」
『キョオォォォォォォーーーー!』
キオンは駆け始めると共にその身を巨大化させ、濃密な魔力を身に纏ってシャリテに突進を仕掛ける。
ハルもそのキオンを追うように動き出す。激突に合わせる形で自身も仕掛ける……つもりだったが、その目論見は外れてしまう。
シャリテは突進してきたキオンに軽く右手を添えると、軽くゴミでも放るようにキオンを背後へと投げ飛ばしてしまった。
「(なに? もしかして合気ってやつ……? でも、ここで止まれないっ!)」
ハルはそのまま向かっていく事にした。両手で渾身の振り下ろしをお見舞いするが、それはあっさりと止められてしまう。
しかも片手持ちの短剣でだ。シャリテは涼しい顔をしており、彼女的にハルの攻撃を止める事においてはほとんど力を使っていなかった。
「残念だけど、全く力が足りないわ。もっと底から力を振り絞りなさい」
「ぐぐっ、うぅ……」
シャリテにそう指摘されるが、ハルとしては一切妥協しているつもりは無かった。最初から全ての力を注いでいる。
もちろん、可能な限りの魔力も身体強化に回し、常人の域を超えたパワーを発揮しているのだが――
「(キオン、今よ! 私ごとやっちゃって!)」
シャリテの背後、ハルからのみ見える位置でキオンが起き上がり、角と角の間に魔力を溜めて砲撃を放つ。
ハルをも巻き込む軌道であるが、パートナー契約を結んだ精霊は主と魔力を同調させる事で攻撃を無効化させる事が出来る。
かつてはコンゲリケット王都のクリスティアニアで、ギルドマスターのフォレスに大きなダメージを与えた攻撃だ。
ビームとなった巨大な魔力が二人を呑み込むようにして撃ち貫く。しかし、状況は魔力のビームを撃つ前と全く変わらない。
シャリテはしっかりと後方に障壁を展開しており、その障壁はキオンの一撃を以ってしても破る事は叶わなかった。
「余りにも分かりやす過ぎます。加えて、精霊の方も全く力が足りないわ。まさか、こんなのが『切り札』などとは言わないでしょうね」
失望交じりにため息を一つ。シャリテはハルが振り下ろした剣を打ち上げて、それを持つ両手も同じように上げさせる。
そしてそこをすかさず短剣で一閃。あまりにもあっさりとハルの両手が切断され、手ごと剣を落としてしまう。
「(部位を失う痛みと言うのは尋常ではない。果たしてこんな状態でも戦う意思を失わずにいられ――)」
シャリテはハルの両手を切断した事により、それこそ地面を転げまわりながら悶え苦しむくらいの絶望に苛まれると思っていた。
しかし、目の前の光景は全く予想も付かないものだった。何と、斬り飛ばしたはずの両手が何事も無かったかのように元に戻っている。
「(――は?)」
想定外故に思わず呆けてしまうシャリテ。それも一瞬の事だったが、ハルにとっては一瞬でも充分過ぎた。
何も持っていない両手でガッシリとシャリテの頭をつかみ、そのまま落下の勢いを乗せて思いっきり頭突きをかます。
「っ!? そんな事でどうにか出来るとでも……」
「……思ってないわ。だから、こうするのよ!」
シャリテの頭をつかむ両手の指先に己の魔力を集中させるハル。その魔力は、そのままシャリテへと注ぎ込まれる。
頭から直に魔力を流された影響で、シャリテは強烈な頭痛のような状態に陥ってしまい、深い集中をする事が出来なくなってしまった。
だが、それでも腕を動かす事は出来る。この状況を脱するため、右手でハルの腹部へ短剣を突き刺そうとするが――
『キョオォォォォォ!』
小型サイズになったキオンがシャリテの右手に噛みつき攻撃を阻止、先程巨大化して突撃した時以上に強く魔力を滾らせ、全力で動きを止める。
しかし、左手の動きを止める者は誰も居ない。ハルを引き剥がそうと、魔力を込めた拳を一度、二度。そして三度と繰り返して叩き込む。
ドゴッドゴッと叩き付けられるシャリテの拳はその一発一発が歯を食いしばりたくなる痛みであり、さらに内臓も刺激されて吐き気も込み上げてくる。
「(ぜ、絶対に離さない……。もっと、自分の魔力を出しきるように……!)」
シャリテに言われた「底から力を振り絞る」を実践する。どうやれば良いのかの自覚は全く無かったが、本能的に己の命を燃やして力を引き出す事に成功。
それと同時に頭痛などでは言い表せない文字通り頭が割れるような激しい痛みが走り、シャリテの拳は完全に止まってしまう。この時こそ、ハルが完全に主導権を握った瞬間だった。
だが、この状況で出来る事は非常に限られている。故に彼女が選んだのは、零距離で魔力を爆発させる――いわば『自爆』であった。
「(もちろん、それで死ぬつもりなんて全く無い……けどね!)」
シャリテの頭が大爆発を起こす。至近距離での爆発なので、当然ながらハルもそれに巻き込まれて弾き飛ばされる。
多量の魔力と共に熱と爆風がハルを襲う。瞬く間に着衣がボロボロとなり、その下の肉体も決して軽くない損傷を負ってしまう。
荒れた大地に無防備なまま叩き付けられ――その間際で、キオンが滑り込み自身をクッションとする事で衝撃を和らげる。
一方で顔面で爆発を引き起こされたシャリテは、驚くべき事に頭部はそのまま原形を留めており、焦げたような感じになっているだけで済んでいた。
とは言え初めてまともにダメージを負わされた形となり、ハルに対する『苛烈な指導』をそろそろ区切るかと思わせるくらいには影響があった。
「(ふふ、想像以上……でしたね……)」




