379:先代女王シルファリア
ルーの目の前に広がっていたのは、大規模なエルフ達の街並みが広がる森だった。
自分が知る常識の中ではありえない程の巨大な樹木。それらをくりぬいたようにして作られた住処。
まるで樹木のマンション。木を加工して作る――という意味が、人間とは全く異なっていた。
人間はあくまでも木を建築材料として扱う。床材だったり柱だったり、それを家の形に合わせて組み上げる。
しかしエルフは木そのものを家のベースとしてしまう。巨大な木の中をくり抜き、そうして得られた材料で家具を作る。
そんな不思議な住宅が並ぶ森だが、そこに住人や動物の気配は一切ない。と言うのも――
「ようこそ、我が領域へ。ここは私が女王だった時代のイースラントを再現した空間よ」
カーテシーでルーに対して一礼してみせるのは、イースラントの先代女王シルファリア・マーテル・アルフヘイム。
彼女の娘にして現女王のレジーナをそのまま大きく成長させたかのような美しきエルフだ。女の子のルーでさえ思わず見とれてしまう。
そんな先代女王から直々に招かれた事や、初めて見る奇想天外な光景に、ルーはただただ驚くばかりだ。
『油断するな、主。あの者は「我らの力を見たい」と言っていたのだぞ。闘る気だ』
「あらあら、そんなに警戒しなくても良いのよルーちゃん。別に殺し合いをする訳じゃないのよ? ちょっと力を見たいだけだから」
穏やかな口調ではあるが、好戦的な事を口にするシルファリア。彼女もまた、戦いの中に身を置いていたエルフの一人だ。
かつては女王として皆を導き、同時に先頭に立って戦った。その前は王女として仲間の戦士達と共に最前線で戦った。
彼女が歩んできた道のりは決してきらびやかなものではなかった。数多の血肉によって舗装されていると言っても過言ではない。
「うふふ、では早速」
『!!』
シルファリアが笑むと同時、ドゴオォォォォォォォォン! と、間髪入れずに大爆発が起きる。
ヴェルンカストがすかさず反応して障壁を展開し、主であるルーを護るが、その表情には焦りの色が見えた。
『……いきなり容赦のない全力とは恐れ入る。殺し合いをする訳では無いと言っていなかったか?』
不意の一撃を防ぐためにヴェルンカストが展開した障壁は、彼なりにかなりの力を注ぐ必要があるものだった。
シルファリアは一瞬にしてそれほどの威力の攻撃を放ってきた。攻撃を防ぎ損ねていたら、ルーは木っ端微塵になっていただろう。
「別にルーちゃんとそうするつもりは無いわ。でもね、ヴェルンカスト――貴方は駄目」
『そうか。貴様はあの時代の女王だったか。ならば、この我を殺したいと思うのも無理は無いな。我はル・マリオンの者を殺し過ぎた』
ヴェルンカストはかつて、人間界に憧れるが余り手当たり次第に精霊召喚に飛びついては人間界に出ようとした。
だが、彼が顕現するためには尋常ではない力が必要であり、並の術者であれば生命諸共に吸い尽くされてしまう有様だった。
幾度となくそれを繰り返したがため、人間界では『邪神』扱いされ『契約者殺し』の精霊として恐れられた。
「えぇ、その被害者の中にはエルフも少なからず居たわ。人間とは比にならない魔力量を持つはずのエルフですら歯が立たなかったの」
『エルフの魔力量の多さは有名だったから期待していたのだがな。残念ながら我を満たすには足りなかったようだ』
「同胞達は何が起こったのかもわからないまま、あっという間に力を吸い尽くされて死んだわ。まだ若き有望な子達も多かったのに」
エルフは精霊との親和性が高いとされており、精霊と共に歩むのはエルフにとっては非常に誉れな事とされている。
そんな精霊契約の儀式が次々と死者を生み出す悪魔の儀式へと変貌しまった事は、エルフにとって伝統文化を汚されたに等しい。
イースラント全体が邪神に対して怒りを抱き討伐を試みたが、その頃には闇の領域への封印が施されていた。
「しかし、後に情報を送ってもらって精査した所、当時の形跡と貴方の力の波長が一致したわ」
『それで我を殺すためにやってきたと言う訳か。だが我は精霊だ。人間界で我を殺した所で本体を消滅させる事は出来んぞ』
「別に構わないわ。一度でも殺せればそれで良しとします。あくまでも私の気持ちの問題ですから」
『そういう事ならば全力で相手をせねばなるまい。殺害を宣言されて大人しく殺されてやるほど我は寛容ではない』
マスコット状態の小さなヴェルンカストが全身から力を解き放つと、瞬く間に肥大化して山をも見下ろすような巨人の姿と化す。
ルーは頭の上に乗っており、シルファリアの作り出した領域を遥か上空から見下ろす形となる。
そこは地平線の彼方まで延々と森が広がる世界だった。エルフにとっての楽園である森が世界を埋め尽くしている。
「綺麗……。これがシルファリアさんの心なんだね」
魔術によって作り出された世界のためか、ル・マリオンではありえない光景が広がっていた。
心象が反映されるため、この光景こそがシルファリアの心そのものであり、光景からは不純なものは一切感じられない。
ルーは彼女の清らかな心に感動すると共に、今からこれを完膚なきまでに破壊する事になるのかと心を痛めた。
「あらあらあら、とても大きいわね。それが貴方の本当の姿かしら」
『うむ。人間界の者が『邪神』と呼ぶに相応しい姿であろう。だが、この姿で相手をするつもりはない』
「……?」
ヴェルンカストはその身を闇そのものへと変え、頭の上に乗せたルーの中へと入り込んでいく。
ルーはその身に闇を取り込みながらゆっくりと地面へと降下する。
「(え? ヴェルちゃん……何をするつもりなの?)」
『(あのように巨大化した状態でたった一人の小さき者を相手にするのはリスクでしかない。考えても見ろ)』
シルファリアはエルフであり、大きさは人間大だ。その一方でヴェルンカストの真の姿は山すら越える超巨大な存在。
この体格差で放つ攻撃がまともに当てられるはずがない。人間で例えるなら、目視も難しい超小型の虫と戦うようなものだ。
そして、相手側からすれば的は非常に大きい。視界を埋め尽くすほどの壁に対して、攻撃を外す方が難しいだろう。
『(今まで主に力を貸してきた事は何度もあった。だが、今回は違うぞ)』
膨大な量の闇が全てルーの中へと吸収されていく。それと共に、彼女の外見も徐々に変貌していく。
豪奢な神官のような黒い衣装に、禍々しい形の大きな杖。まるでルーがヴェルンカストのコスプレをしたかのような姿。
ただ、ヴェルンカストの場合は装備がボロボロで朽ちた感じであったが、ルーの場合は新品の如くピカピカだ。
『(我そのものが主に融合した。主は我の力をそのまま扱える)』
「(わ、私がヴェルちゃんの力を……出来るかな)」
ルーは早速杖を前方に構えて、まずは試しにと魔力砲撃を試みるが――
ドウッ!
ズガガガガガガガガガッ!!!
「きゃあぁぁぁぁぁっ!」
凄まじい勢いで魔力が放出され、ルー自身も大きく後方へと吹き飛ばされてしまった。
彼女が起き上がると、そこに広がっていたのは驚愕の光景……。眼前の物が何もかも消し飛ばされていた。
ルー的には『軽く撃ったつもり』が、一瞬で想像を絶する量の魔力を解き放ってしまったのだ。
放射状に解き放たれた魔力は、先へ進めば進むほど範囲が広がり、同時に深さも増すため、地形ダメージは極めて深刻である。
これがもし実際の世界で解き放たれていたのならば、その日――ル・マリオンは終わりを迎えていた事だろう。




