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373:御大降臨

「お、俺達は一体何を見せられているんだ……?」

「わ、わからねぇ。わからねぇけどよ。ただこれだけはハッキリと分かるぜ。もうこの世界はおしまいだ!」


 戦地で後方に下がって休息していたドワーフ二人組が、急に変貌した世界に驚いている。

 一面が闇に覆われ、赤い月が地上を照らす。同時に異様な造形の町が次々と出現して辺り一帯の景色を変えていく。

 地面には闇が染み出した水たまりのようなものが広がり、そこから次々と異形の怪物が姿を現す。


「ひいぃぃぃっ! お、俺達……喰われんのかな……」

「こ、声を出すなっ。ここに獲物が居ると自己申告してどうする」


 思わず声を出してしまったドワーフに対し、もう一人は少し冷静に考える事が出来ていた。

 相手が気付いていない時に声を出してしまえば、それはつまり自発的に居場所を教えているにも等しい。


『良い心がけね。大人しくしていれば、あの子達が貴方達に危害を加える事は無いわ』

「「ひっ!?」」


 上空からフワリと降り立ったのは、闇の精霊のメア。パッと見では悪魔の如き翼を付けただけの『人間の女性』のように見える。

 しかし、二人は相手を見てすぐに人外の存在である事を悟り、抱き合うようにしてその場にへなへなと崩れ落ちた。


『私もあの子達も闇の精霊よ。主は貴方達ドワーフが傭兵として雇い入れた子の中に居るわ』

「よ、傭兵……って事は? つまり……」

『味方側よ。ただ、見ての通り闇の精霊の中には知性の低い子達も居るの。手出ししたら襲い掛かられるから、絶対に手出しは無用よ』


 全力でコクコクと頷くドワーフ達。メアの言う『知性の低い子』達のビジュアルは控えめに言ってもおぞましい。

 そんな存在に敵対したが最後、間違いなく穏当な形での死は迎えられそうにない。痛みと苦しみの果てに絶望の中で死ぬ事になるだろう。


『私もドワーフ達に伝えて回るけど、貴方達も仲間に伝えて回ってね』


 そう言って、メアは飛び去って行く。残された二人は、互いに頷き合ってその場から素早く離脱した。



 ・・・・・



 そんな闇の領域に新たな異変が起こったのは、それからしばしの時が流れてからだった。

 領域は既に未統治領域の全域を包み込む程に拡大しており、各々の種族が拠点とする街も呑み込まれてしまっていた。

 しかし、そこを離れて前線へ出て拠点を築いてしまっている兵達はその事には全く気付いていなかった。


「な、なんだアレは!?」


 加えて、紛争地帯の中心部辺りにとてつもなく巨大な異形の怪物が姿を現した。

 闇の精霊達の進軍によって拠点も人員をボロボロにされてしまった各々の生き残り達はさらなる絶望に包まれた。

 中心部辺りまでは、距離にして何十キロ以上もあるのに、それでも見上げる程の想像を絶する巨大さ。


「とうとう世界の終わりが来たんだ……」

「あれはこの世界に終末をもたらすという邪神に違いない!」


 顕現したのが何者か全く見当も付かない獣人達は、揃いも揃って戦意すら失い絶望に顔を歪める。

 全てを射殺すかのような鋭い目と、全てを噛み砕かんとする牙が並ぶ口。それらの主張に負けない頭部左右の巨大な角。

 豪奢ながらも朽ちており、長い長い年月の経過を感じさせる神官のような黒い服も異様さを際立たせている。


「以前この世界に進軍してきた魔界の勢力。魔界にはそれらを支配する魔王なる存在が居ると聞くが、まさかそれが顕現したのか……?」

「いや、魔族が今回の件に関わっている形跡はない。信じがたいが、アレも闇の精霊の一種ではないだろうか」


 とある竜人は魔族の支配者を想像したが、この事態においては何処にも魔族の存在を見ていないのですぐにその説は否定された。

 別の竜人がそこから推測して偶然にも答えに辿り着いたが、別の場所では確定的な答えを導き出している者達も居た。


『ま、まさか御大が姿を現しになるとは……。我らが真なる主は御大と契約しておられたのか!?』

「御大? 御大とは何なのだ……? お前達は一体何を知っている!?」

『長き時を生きているダークエルフなら知っているかもしれんな。かつて『契約者殺し』と呼ばれていた精霊に心当たりはあるか?』

「……まさか、その精霊がアレだと!? 当時『精霊契約怪死事件』と呼ばれ、我らが同胞も幾人かが犠牲になった」

『御大の要求する魔力量は極めて甚大だ。並の存在であれば、一瞬にして全魔力を吸い尽くされて命すらも枯れ果てるだろう』

「そう伝え聞いている。ならば、何故その精霊があのような形で召喚されている?」

『簡単だ。真なる主は御大の召喚すらものともしない程に膨大な魔力を有しておられるからだ。考えてもみろ、今現在『闇の領域』が丸々召喚されているのだぞ』


 そこまで言われて、ダークエルフの男は気付いた――気付いてしまった。

 御大と呼ばれた精霊ですら、並の存在であれば吸い尽くされて死亡してしまう程の馬鹿げた魔力量を必要とする。

 その上で、闇の精霊達が住まう『闇の領域』諸共、そこに住まう精霊達もまとめて召喚してしまう。


「馬鹿げている! これだけの事をしでかすのに、一体どれだけの魔力が必要だと……」


 精霊の召喚には魔力の供給が必要である。それは当然、一体一体全ての精霊に対してだ。現時点で一体、どれだけの闇の精霊が出現しているのか。

 そして、そんな闇の精霊達が住まう世界を丸ごと召喚し、ル・マリオンの一部をそれで塗り替えてしまう。これ程の御業を実現するのに如何ほどの魔力が必要なのか。

 挙句にはその状況を長時間維持しつつ、既に他の者と契約している精霊の契約を塗り替えた上、尋常じゃない魔力量を要求される『御大』をも召喚する。


「……教えてくれ。我々は一体『何』の逆鱗に触れてしまったのだ? 神か? 精霊か?」


 ダークエルフの男は知らない。闇の精霊のほぼ全てを従える『真の主』が、如何なる存在であるのかを。


『人間だ。貴様らからすれば取るに足らないような、我らからすれば全てを捧げてでも尽くしたくなるような、そんなたった一人の……人間だ』



 ・・・・・



「ヴェルちゃん。出てきちゃって大丈夫なの?」

『(うむ、問題ない。今この世界は闇の領域で塗り潰されている。現世には何も影響を及ぼさん)』


 当の『たった一人の人間』である、闇の精霊達の真なる主――ルー・エスプリアムール。

 彼女は敵対する相手の本陣で起きている惨劇については何も知らず、精霊達によって事が済まされるのを待っていた。

 他の者達もやる事が無くなったからと、セリンやフォルによってお茶会がの準備がなされ、一時を堪能している。


「しっかし、いつの間にこんな力を手に入れたんだ……?」

「アルマーグで個別行動していた時、ヴェルちゃんと一緒に闇の領域へ行ったんです。そこでみんなと仲良くなって――」

「それにしても仲良くなり過ぎでしょ。異邦人の私でも分かるわ、こんなの前代未聞の事態に決まってるわ」

「察しがいいね。確かにこんなのは前代未聞だ。そもそもあのヴェルンカストを契約精霊とする時点で前代未聞だけどね」


 とても戦地のど真ん中とは思えない程に、まったりと落ち着いた癒し空間が形成されていた。

 荒れ果てた荒野を塗り替えるかのように敷かれたカーペットの上にテーブルとイスが用意され、テーブルの上には色取り取りな食べ物や飲み物が並ぶ。

 周りの塵や埃を拒むかのように大きな天蓋も用意され、完全にその場所のみが『異質な空間』と化していた……。

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