372:竜人陣営、戦慄
最前線から本陣へ引き返した竜人の兵は、起こった出来事を上に報告していた。
西のザーパトが外部から傭兵を雇った事。その傭兵達が非常に強く、最前線を仕切っていた隊長もあっさり殺されてしまった事。
それに加え、獣人までもが首を突っ込んできて、その場で元々戦っていたダークエルフ共々本陣へ引き返した事。
「なに!? 彼奴が殺された……だと? しかも刀で切断された……」
戻った兵から焦りと恐怖が混じった報告を受けた竜人軍の総隊長は、驚きを隠せなかった。
「はい。まるで竜の鱗などあって無いかのような有様でした。竜に変身してさらに強化された後も全く変わらず切断されてしまいました」
総隊長は竜が人の形をとっているかのような兵士の姿とは異なり、逆に人間の姿に竜の角が生えているような姿をしていた。
これは獣人と同様、成長の仕方によって『人としての特性』が表面化してくる場合があるためだった。
もちろん、人としての姿に近くなった後でも、意図して竜としての特性が強い竜人の形態に変身する事も出来る。
加えて竜人はさらにその上のステージがあり、竜人から『竜』そのものへと変貌を遂げる事が出来る。
その姿形は個々の性質に左右され、二足歩行の竜もいれば、蛇型の竜や、亀の如き特性を持つ竜、複数の首を持つ竜など姿は様々。
ちなみに総隊長は『黄金の二足歩行竜』に変身でき、その力は神の眷属と呼ばれる神獣にすら匹敵するとされている。
「我ら以外で和国の刀を愛用する者となると、和国出身者か、あるいは和国の剣士を師に持つ者か……」
竜人は文字通り『竜』の特性を持つ種族であり、その中でも『竜の鱗』と言うのは非常に硬い事で知られている。
並の剣の使い手では、多少ばかり良い武器を使った所で剣の方が折れてしまう程の強度を誇っていた。
それ故に武器や防具の素材としての価値も一級品で、加工は至難であるが使いこなせさえすれば非常に有用。
明らかに規格外の力を持つ『本物の竜』を狩るのは、強さ的にはもちろん、希少であり遭遇する事の難しさから極めてハードルが高い。
しかし、竜人は全体的に強い種族ではあるものの本物には及ばず、かつ文明の中に生きているので遭遇もしやすい。
そのため、一部の非道な者達は素材目的で竜人に手を出す事もある。同様に、毛皮などの素材を目的に獣人が狙われる事もある。
「彼奴は竜人である事に慢心してはいたが、決して弱者では無かった。それが殺されたとあらば、我らも本腰を入れねばなるまい」
総隊長は立ち上がり、全軍総出で傭兵達を叩き潰しに行く事を宣言した。しかし――
「た、大変です総隊長!」
「何があった!? 報告は具体的にしろ!」
唐突に駆け込んできた兵士によって、その命令は遮られてしまう。
「ぐ、具体的……ですか。外が唐突に夜となり、奇妙な街並みが出現しました」
兵士は何とか言葉にしたが、兵士自身が状況を上手く把握できていないのかいまいち要領を得ない。
「つまり、風景が唐突に変わった――と?」
しかし、総隊長はそれで思い至る何かがあったのか。腕組みをして考え込む。
「……全軍、今すぐに戦闘態勢だ。既に敵の攻撃は始まっている!」
決断は早かった。兵士達はまだ理解できていなかったが、総隊長の命令という事ですぐに飛び出していった。
「竜を斬る程の剣士のみならず、世界を侵食する程の術者まで居るとはな」
総隊長は武器戦闘のみならず魔術にも造詣があった。それ故に、この現象が『力ある術者による仕業』だとすぐに看破した。
領域に巻き込まれた時点で既に敵の先手を許してしまっている。間もなく本格的な攻撃が始まる事だろう。
どのような攻撃が襲ってくるのか想像を巡らせながら総隊長が外へ出ると、聞いた通り外は夜闇に包まれていた。
空に浮かび怪しく光る赤い月。一見すると廃墟にしか見えないようなボロボロの街並み。闇で形作られたような草木の影も見える。
通常の領域は術者の心象風景が反映される。しかし、この領域は裏界において闇の精霊達が住まう『闇の領域』である。
魔術の心得はあれど精霊術師の心得が無かった総隊長は、まさか精霊達の住処がそのまま世界を侵食してきているとは想像していない。
だからだろう。『襲撃者』の存在に気付くのが遅れてしまったのは――。
「て、敵が攻めてきたぞー!」
上空からは翼を有した人型の存在が多数。地上からも真っ黒な人型の存在や、黒一色の鎧をまとった存在が多数。
明らかに敵意を感じる相手を前に竜人達は率先して戦闘を仕掛けていくが、地上の敵は彼らの得意分野の白兵戦で互角以上に渡り合ってくる。
そこを狙って上空に待機する者達が容赦なく魔術砲撃を仕掛ける。仲間諸共の無差別な攻撃は、竜人の戦力を徐々に削っていく。
「な、なんだこいつら! 仲間意識が無いのか!?」
『我らに同胞の攻撃は通じぬからな。貴様らには出来ぬ戦略であろう』
黒き鎧の騎士が言葉を発すると共に、相手の竜人を漆黒の剣で一閃する。
鎧はもとより、その下の鱗も関係なく斬り裂き、一撃で致命的なダメージを与えていく。
「ば、馬鹿な! 我ら竜人の鱗は極めて強靭……それが何故こうも容易く切り裂かれるのだ!?」
『それが解らぬのなら、我らには一生敵わぬ。無様に果てるがいい』
落ちる首。他の場所で戦っている竜人達も、同様に自身の強靭さが全く活かされずに次々と深手を負っていく。
手や足が欠損してしまう者、臓物を撒き散らしてしまう者――今まで戦場で負った事が無いような深手に、驚きと戸惑いを見せながら次々と果てる。
中には竜へと変化してこの戦況を巻き返そうとする者も居たが、竜の強さを以てしても全く巻き返せない程に相手は強大だった。
『さすがは竜人よ。個の力では随一であるとの事ゆえに御大が戦力を配備したが、これは確かに他の者達では少々手こずるかもしれんな』
ちょっと日焼けして頭部に竜人とは違う形の角を生やした感じの青年が、右手に禍々しい形状の剣を具現化して歩いてくる。
彼もまた闇の精霊の一体であり、闇の精霊の中においてメアと並んで人間の姿に近く、また実力も近い。彼は対竜人の部隊を仕切る役割を任せられていた。
鎧と言うよりはバトルスーツのようなものを身に纏っているが、これは『彼自身の力』がそういう形を成して覆っているものだった。
「な、何者なんだ……? 貴様らは一体何者なんだ!? 我ら竜人が、ここまで一方的にいたぶられるなど!」
『オプスキュリテ――闇の精霊だ。ちなみに今、貴様らが戦っている相手の全てが我が同胞、闇の精霊達だ』
「闇の精霊……だと。精霊と言う存在が居るのは知っていたが、精霊とはこれほどまでに強大な存在であったのか!?」
『当たり前だろう。精霊とは契約によりこの世界の者達に力を貸す存在。庇護されるべき弱き者であるからこそ、我らが力を貸すという関係が成り立っているのだ』
闇の精霊オプスキュリテはそのように言い切る。基本的に精霊はル・マリオンの生命より強い存在である。だからこそ、弱きル・マリオンの生き物に力を貸す。
精霊は本能的に『その力を以って弱き者を庇護する』という存在なのだ。だからこそ、圧倒的な強者が精霊契約を結ぶのが難しい点もそこにある。
「皆の者下がれ! その精霊は我自らが相手をする!」
「お、黄金の竜……総隊長だ! 総隊長が来てくれたぞ!」
攻めてくる敵が強大である事を悟った総隊長は、力を惜しんでいる余裕はないと最初から全力の姿で敵の前に立ち塞がる。
オプスキュリテは人間と同じくらいの大きさしかないため、黄金の竜からすれば手で握りつぶしてしまえる程に体格差がある。
しかし、それでも慢心する事無く己の全魔力を込めて口から凝縮した魔力のブレス砲撃を解き放つ。
『見事だ。この世界に住まう者でありながらこれ程の高みに達している事は素直に称賛しよう。だが――』
オプスキュリテは右手を前方にかざして球状のバリアを展開。それだけで、もはやブレスは完全に防がれてしまった。
バリアの影響で拡散されたブレスがオプスキュリテの同胞も竜人の同胞もまとめて薙ぎ払っていくが、周りなど眼中にない。
ブレスが効かない事を察した黄金の竜がオプスキュリテにつかみかかり、ギリギリと締め上げていくが……。
『竜に変身して神獣の領域にでも足を踏み入れたつもりになったか? だとすれば、神獣と言うものを舐めすぎであろう』
オプスキュリテが思い浮かべるのは、常にル・マリオンの空を飛び続けている浮遊竜シュヴィン。
そして、ル・マリオンそのものを護り続けている守護者たる竜。他にも、彼の知る限りの様々な竜が思い浮かぶ。
いずれの竜も、同じく神の眷属たる精霊の自分では遠く及ばないような圧倒的な強者達である。
『貴様らの領域は野生の竜にすら劣る紛い物だ。人間として高みに居る事は認めるが、竜としては下の下も良い所よ。フンッ!』
オプスキュリテを握りしめている両手が消し飛んだ。その痛みに苦しむ間もなく、彼が振り抜いた剣の衝撃が黄金の竜の身体を突き抜ける。
一瞬にして縦に両断され、裂け目から闇が侵食していき黄金の竜の身を跡形もなく分解していってしまった……。
『久々のル・マリオンで嬉しさ半分悲しさ半分って所ね、オプスキュリテ。でも、歯応えある戦いに至れそうな子は今回も現れず……かぁ』
様子見で飛び回っているメアは、あまり表情の変わらないオプスキュリテが複雑な感情を滲ませているのを察した。
闇の精霊の中でナンバー3の実力者がメアであるならば、オプスキュリテはナンバー4を自称してもいいくらいの実力者である。
そもそも上級精霊自体が人知を超えた領域の存在であり、その中でも最上位となれば過剰戦力にも程がある。
『御大の配備は本当に容赦がないわね。敵をこんな圧倒的戦力で蹂躙してるなんて知ったら、主からこっぴどく叱られるわよ、いいの? 御大――』
闇の精霊を率いている主・ルーは『闇の精霊さん達が邪魔な人達をどうにかしてくれている』くらいの認識しかもっていない。
これは彼女の契約精霊であり、実質的な闇の精霊達の指揮官であるヴェルンカストによって気を利かされたものだった。
『でも、その気持ちも分かるのよね。主には明るく朗らかなままでいて欲しい。闇を率いるからこそ、闇を照らす太陽であって欲しいもの』




