366:東に向けて
その日、ザーパト陣営内にある通達が出回った。
『決して骸骨の馬車を攻撃するなかれ。彼らは当陣営の傭兵である。もし襲撃してしまった場合、その者の命の保証はしない』
数ある拠点の一つに身を隠して戦闘準備を整えていたドワーフ兵達は、早速伝令役より渡された手紙を開いた。
そこにはこの文言と共に、骸骨の馬と禍々しい馬車を駆る死者の王リッチの姿絵が記されていた。
「な、なんじゃこりゃあ……」
「これはリッチだよな。死者の王と呼ばれるアンデッドモンスター最上位のやつ」
「なんでそんなモンスターが傭兵? リッチすら従えるような凄腕のネクロマンサーでも来たのか?」
「とにかく、そいつは味方らしい。ただ、例え同陣営であろうが、襲い掛かってくるような者には容赦しないらしいから、絶対に間違えるなよ」
リッチがどういう存在なのかを知っている者達は、リッチに手出しするという事がどういう事なのかを知っている。
戦場の最前線で日々戦い続ける彼らですら、リッチという存在は『立ち向かう事自体が愚かしい』と思える程の存在であった。
この場で同じ考えを抱く者達は一様に身体を震わせ、絶対に通達の内容を守ろうと心に誓うのだった……。
・・・・・
そんなドワーフ達とは別に、拠点を出て戦っていたドワーフ達はまだ仲間からの通達を受け取っていなかった。
故に、彼らが活動している領域に遠慮なく侵入してきた異様な姿の馬車は『敵』として認識され、攻撃の対象となってしまう。
彼らにとって自陣以外は全てが敵なのだ。例え敵対している三種族以外であろうが、戦場に来た者は等しく相手をする。
「あれは……モンスターなのか?」
「こんな所に……なんで?」
「どちらにしろ、我らが領域に侵入した部外者は始末するのみ。行くぞ」
ずんぐりむっくりした体型のドワーフとは思えない素早い動きで、高くそびえる岩の上からジャンプを繰り返して駆け下りてくる。
馬車が走ってくる軌道を塞ぐような位置に降り立って馬車を止めようとするが、残念ながらそれは叶わなかった。
骸骨の馬を駆る御者――リッチの目が怪しく光ったかと思うと、その瞬間に道を塞いで居たドワーフ達三人が塵と化した。
「あー……ちょっと遅かったかぁ……」
伝令役が到着したのは、仲間のドワーフ達がリッチに襲撃を仕掛け塵と化すまさにその瞬間の事だった。
攻防するまでも無く睨まれただけで終わってしまうというあまりの力量差に、伝令役は己の役割の大切さを痛感した。
未だこの事を知らぬ同胞達に早く知らせなければ、この先より多くの同胞達が犠牲となってしまう。
「たとえ雇った陣営の者であろうと襲撃には対処する――って約束だもんなぁ。仲間の犠牲者の数はある意味では僕にかかっているのかもしれないな」
知らぬ者には問答無用で攻撃を仕掛けてしまうであろう他の仲間達を頭に浮かべながら、伝令役は戦地を駆ける。
・・・・・
『うーむ。先程からちょくちょくとドワーフからの襲撃を受けているな……』
馬車の外で御者を務めている王がぼやく。確かに、東へ向かって走る中で既に数回の襲撃を受けている。
まぁ見た目からして明らかに『アンデッド系モンスターの行軍』だから、知らぬ者は敵だと思っても仕方がないだろうな。
ドワーフの伝令役に頼んで仲間達に情報を広めてもらってはいるが、まだ届いて居ない者達が居るようだ。
「傍から見たら『リッチの襲来』でしかないからな。まさか自軍の傭兵とは思うまいよ」
『一応は同胞にあたる者達であるから、せめて苦しまぬよう一瞬で消してやってはいるが……』
「せめて無力化するとか、死霊化するとかではダメなの? さすがに命まで奪うのは心苦しいんだけど」
『そのどちらも、ドワーフ達にとってはこの上ない屈辱であろうよ。戦地で強敵に散らされる方が、彼らにとっては華であろう』
ハルはいまいちしっくりきていなさそうだ。価値観が独特だからな……。いわゆる「くっ殺せ」的なやつだ。負けた時点で『生かされる事を恥』と思うような部類である。
だからこそ、相手を貶めるためにあえて殺さずアレコレするのが定番なのだが、俺達が倒したドワーフ達は別に貶めるような相手ではない。故に、せめて彼らの誇りになるような形で対処する。
「彼らはとても誇り高き種族です。実は味方と間違って襲撃したと知れば、恥の余り下手したら自害してしまうかもしれません」
とはレミアの談。ましてや死後に支配下に置かれて操られてしまうなど、想像を絶するレベルの屈辱だろう。だからこそ、王は一瞬で消しているのだ。
例え言葉を尽くして戦闘を避けようとした所で、謀略が渦巻く戦地において見知らぬ者の言葉を信じられるほど甘い考えの者はいない。
俺達に出来るのは『どうか襲ってくるな』と願うのみだ。相対してしまったら、もう戦うしかない――戦地とは、そういう覚悟が決まった場所だ。
「……良く分からない世界だわ。生きていた方が絶対にいいと思うんだけど」
「ではせめて祈りましょうか。彼らの誇りのまま、戦場で散った魂達の冥福を祈って」
エレナは聖人のイメージを抱かれがちな神官ではあるが、決して思考回路はお花畑ではない。
死ぬ事を誇りとする者に対して、愚かしくも命の大切さを説くような、空気を読まない真似は決してしない。
悪はきっちりと裁くし、救いようの無い邪悪に関しては命を奪う事も辞さない。
一見すると気弱そうなルーも、なんだかんだでこの世界を生きているだけあり、割と命のやり取りも腹をくくっている感じだ。
地球の中でも、特に戦いとは無縁の日本国内でずっと生きてきたハルが未だに戦地独特の死生観に不慣れなのは仕方がない。
逆に、地球出身でありながら戦地の中に身を置き続け、いざ命のやり取りをする事になってもすぐに切り替えられている俺の方がおかしいのだ。
『む、そろそろ他勢力がぶつかり合う領域に迫るようだぞ』
王の言葉に馬車の前方を覗くと、多数の兵がお互いの武器をぶつけあったり、魔術攻撃を繰り出している光景が目に飛び込んでくる。
しかし、こちらの存在を確認すると戦っていた皆が手を止めた。そりゃあこんなのが迫ってきたら手も止まるだろうな。
『我々は東へ行きたいのだが、通してもらう事は可能かね?』
「不可能だ!」
王は律儀に話を持ち掛けたが、即座にその中の一人が話を切って捨てた。
浅黒い肌に銀色の逆立つ髪を持つダークエルフだ。直に見るのは初めてだが、創作物で見たようなまんまの姿だな。
既に剣を構えており事を構える気満々だ。彼らからすれば、自国に迫る侵略者の構図でしかないからな。
「東には我らが国ヴァストークがある。貴様のようなアンデッドの進軍を許すはずがないだろう!」
「貴様、西から来たようだが……まさかザーパトを?」
先程までダークエルフと剣を交えていたドワーフまでもが、こちらに武器を向ける。
どうやら彼らにとって、目の前のダークエルフよりも優先するべき敵であると認識されたようだ。
「わー! ちょっと待ったぁ! ドワーフ達は武器を収めてくれ!」
そこへ別のドワーフが飛び込んでくる。慌てた様子の同胞に、さすがに武器を構えていたドワーフ達も話を聞く姿勢を見せる。
そのうちの一人――おそらくドワーフ達を仕切っていた者が何やら手紙を渡されたようで、素早くそれに目を通すと同時、驚きに目を見開いた。
「撤退! 撤退だ! 事情は道すがら話す! 本陣からの指示だ、今は指示に従ってくれ!」
リーダーらしき者が撤退を促し、他のドワーフ達も武器を収めて従った。おそらくリーダー以外はまだ状況を分かっていないはずだが、良く統率されてるな。
状況から察するに手紙を渡した者は伝令役だろう。それがようやく最前線に追いついたという事か。これで少なくともドワーフの命を無駄に散らすような事はしなくて済んだ……という事か?
「ドワーフ達が撤退したぞ!? アンデッドに恐れをなしたか……」
「いや、その判断も安易に非難は出来んぞ。よくよく見てみればこの者、死者の王と称されるリッチだ」
「挑むなら命を賭けねばならぬ相手か。しかし、故郷を守るために命など惜しまぬ!」
残されたダークエルフ達は、どうやら揃いも揃って勇敢であるらしい……。




