349:諸悪の根源たる首飾り
ガラスが割れるような音と共に、姿を消していたエレナと大司教が俺達の前に姿を現す。
大司教は既に地面へと仰向けに倒されており、その胸部にエレナが右手を突き立てている所だった。
なるほど。決着が付いたから隔離された空間を解除したんだな……。
大司教の胸元から抜き出される右手。その手には、大司教の暴走の原因となっていた首飾りが握られていた。
経緯は良く分からないが、あの首飾りが体内に埋め込まれるような状況になっていたっぽいな。
「それ……かなり物騒なものみたいですけど、壊さなくていいんですか?」
「壊す前に解析しておきたいのです。これが一体どういう物なのかを知っておく事も必要かと思いまして」
ハルが諸悪の根源たる首飾りを警戒するが、俺もエレナの案に賛成だ。
何かよく分からない物を何かよく分からないままで放置するのは、後で痛い目を見るパターンだからな。
エレナは光の球体のようなもので首飾りを覆っているが、球体の中は今も闇が蠢いている。
「強力な結界で封じてはありますが、まだ邪悪なる力の流出は止まっていません。一体どういうアイテムなのでしょうか」
「そういう事ならアタシが見ようじゃないか。似たようなアイテムにいくつか心当たりがあるんだ」
ひょいっとリチェルカーレがその首飾りをエレナの手元から奪い取ると、すぐに詳細を看破して見せた。
「これ、首飾りの内側に『穴』が開けられているね。内側に刻まれた術式で極小の空間の穴を開き、その状態を維持する事で恒久的に力を取り出すものだ」
「何か聞いてるだけでとんでもないんだが、そんなアイテムを作れる奴が居るのか……?」
「居るさ、ここに一人ね」
キリッとドヤ顔しているのがちょっとムカつく。
「いや、さすがにそれくらいは分かるわ。他に出来そうな存在に心当たりは無いのか?」
「んー……。ライゼならそれくらいは出来るんじゃないかな? 通称『旅する魔女』って呼ばれててね。世界各地を渡り歩いてるから、もしかしたら何処かで巡り合うかもね」
「もしかしてそのライゼって人も賢者ローゼステリア十二人の弟子の一人で、リチェルカーレの妹分……ってパターンか?」
「ご名答。ちなみにそのライゼが、かつてコンクレンツで話していた『アースシュテルヴェン王国』で起きた史上最悪レベルの惨劇を引き起こした当人さ」
確か『取り外すと大切な者が死ぬ』という呪いの指輪を装着されてしまった博愛主義者の王女の話だったか。
国民全員を等しく大切に愛していたが故に、父である王によって無理矢理指輪を外された瞬間に国が滅びたとか言う。
だが、ちょっと待てよ。確かあの時――リチェルカーレは、こう言ってたハズだ。
「……魔女は処刑されたんじゃなかったか?」
「されたよ。ただ、それくらいでくたばるようなタマじゃなかったって事さ」
「ローゼステリアさんも弟子もそんなんばっかりだな」
まずリチェルカーレはミネルヴァ様によって『全てを知るまでは死なない』という、ほぼ達成不可能な条件で実質的な不死になっている。
フォルさんも概念的な存在と化して既に人間をやめているし、今では『死者の王』と称されるハイリヒさんも既に死を超越した存在であるリッチになっている。
弟子達の中では、唯一アルヴィースさんだけが元の種族そのままに活動しているらしい。人間を超えた長寿は、エルフの特性によるものだそうだ。
それ故に『生きていても違和感が無い』と言う事で、現代においては『唯一現存する伝説の存在』として、表での活動を担っているらしい。
実際に対面したアルヴィースさんは相当に苦労してる感じだったな。最終的にはリチェルカーレに放り込まれた異空間でボロボロになってたっけ。
そんなアルヴィースさんが『唯一』って事は、少なくともまだ対面した事がないローゼステリアさんの弟子達もみんな人間やめてるって事か。
「今でこそ丸くなってきたけど、ライゼは人間の愚かさと醜さを見る事を楽しみにしていて、あえてそういう状況に介入して最後に『救い』か『破滅』かの選択肢を与えるんだよ。で、破滅を選んだ時はその度に大笑いしてたね」
最後の最後で『救い』か『破滅』かの選択肢を与えるってのが如何にも魔女らしいな。
俺の勝手な予想だが、その段階になって与える選択肢は『破滅』を選ぶ方が容易に設定されてそうな気がする。
と言うか、あえて破滅の方を選びそうな馬鹿を選んでそういう問いかけをしていそうですらある。
「何か脱線してしまったが、結局の所この首飾りを作ったのは――」
「お父様……現教皇でしょうね」
リチェルカーレの代わりに応えたのはエレナだった。
「お話している間にアンティナートで歴代教皇の知識を探っていましたが、それらしきアイテムに精通した教皇の知識を探り当てる事が出来ました。アンティナートはかつて父が有していましたし、それを知っていても不思議ではありません」
そう言えば、エレナは歴代教皇の知識と経験が詰まった倉庫のような物――アンティナートを持っていたな。
確か歴代教皇は二百六十五人だったか。それだけいるのならば、数人くらいはそう言ったアイテムに関する知識が豊富な教皇が居てもおかしくないか。
「どうやらこれは邪教で使われていた『魔界の力を取り出す装置』のようですね。空間の穴を魔界へと繋げて、魔界の瘴気を吸い上げる……」
「なるほど。無尽蔵に力が溢れてきていたのは、魔界の瘴気が絶え間なく流れ込んでいたからか。つまり邪悪なる力の正体は『魔界の瘴気』だったと」
「魔界においてはこれが空気のような役割を担っていると伺ってますが、先生が受けた影響を考えると、間違いなく人間には猛毒ですね」
魔界の住人はアレで呼吸してんのか……。恐るべし魔界。魔界には絶対に生身で立ち入っちゃいけないな。
「では、詳細が分かりましたのでこれは破壊して――」
「おっと、普通に破壊したら内部の『穴』が暴発して大惨事になるよ」
アイテムの内側に刻まれた術式で空間の穴を制御しているから、アイテムを破壊してしまうと穴が制御を失ってしまうらしい。
どうやら都合良く消失してくれるわけではなく、制御を失って穴が拡大して力の流出が増してしまうという大惨事を招いてしまうという。
危険性から破壊しようと試みる事すら罠――と言う訳か。邪教とやらも、なかなかに悪辣なアイテムを発明してくれたもんだ。
「そんな危険なアイテムを目にしたら、まず処分しようと考えるわ。そこを逆手に取るなんて……」
「破壊されたら破壊されたで、大惨事を引き起こせて万々歳と言う事だな。おそらくそれに巻き込まれて自分が死ぬのもおかまいなしだろう」
特にテロ組織などはその傾向が強い。知らずに自爆させられる非道なケースもあるが、自らの意志で自爆するケースも多々ある。
邪教と言うくらいだし、殺戮と破壊に躊躇いは無いだろう。むしろ、それを目的にすらしている場合もあるかもしれない。
「こういう場合、空間操作が出来る者でないとダメなんだよね。アタシがやろう」
そう言った途端、首飾りにヒビが入っていき、砕けてそのまま粉となって空気へ溶け込むようにして消えた。
首飾りが消えたその場には小さく黒い点のような物が残されているが、これが先程言っていた『空間の穴』なのだろう。
リチェルカーレがその穴を両手で挟み込むようにしてパンッと手を叩くと、あっさりと消失してしまう。
「うーむ。傍から見ると凄く簡単にやっているように見えるんだがな……」




