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345:汚染

「我らが主――精霊姫ミネルヴァ様は常に世界を見守っておられます」

(えぇ、それは間違いないですね。現に今も見ていますし)

「主は言いました――」

(おかしいですね。そんな事を言った覚えは全く無いのですけれども)

「――と、主は望んでおられます」

(私は別にそんな事を望んではいませんが……)


 俺の脳内でミネルヴァ様が大司教の言葉に一つ一つ反応している……。

 大司教もまさか主たる精霊姫ミネルヴァ本人に己の話を聞かれているとは思いもしないだろうな。

 とりあえずミネルヴァ聖教の経典はほとんどが人間の主観によるデタラメであるらしい。


 その後も歌唱や祈りが続く。ハルは退屈そうにしているが、俺は結構楽しんで祭儀に参加している。

 正直言って俺は特定の宗教の信者ではないが、ある種の創作や物語を楽しむつもりで経典の内容を聞いているのだ。

 一方で現地人組は皆が揃って真面目に聞いている。あのリチェルカーレですら茶化す様子もなく大人しい。


 それだけミネルヴァ聖教というものがル・マリオンにおいては普及しているという事だろう。 

 後に聞いた事だが、世界各地で祭儀が定期的に行われており、この世界に住まう者のほとんどが何処かで一度は参加しているという。

 本来の祭儀は全ての者に等しく開かれた場であるため、例えスラムに居着くような貧民ですらも参加する事が許されている。


 また、日常的な生活の中にもミネルヴァ聖教に端を発する些細な行動様式もあるらしい。

 何処までも似たようなものなんだな。さすがは『別次元の地球』なだけあって、近しい部分が多い。

 俺達も実際、宗教由来の言葉を発してたり、特に意識する事無く行動してたりするもんな。


 考え事をしつつ大司教の言葉を聞いていると、流れが変わってきた。

 全員が起立して、歌唱できる者達が一斉に歌唱を始め、最前列の人達から徐々に主祭壇へ向けて歩き始める。

 大司教自らがやってきた信者一人一人に声をかけ、何かを手渡し……信者はそれを口へ運んだ。


 あぁ、キリスト教で言う『聖体拝領』が始まったって所か。儀式により聖別されたパンとぶどう酒がキリストの肉体と血に聖変化するんだよな。

 一部宗派ではホスチアと呼ばれる無発酵パンが儀式用に使われていたりする。無発酵ゆえなのか、薄い煎餅やウエハースみたいな感じだ。

 ぶどう酒はホスチアと別個に授ける所もあれば、ホスチアをぶどう酒に浸してから渡す所もある。宗派によっては聖職者のみが頂く形式もあるようだ。


 どうやらミネルヴァ聖教は別個のようだ。信者がその場で固形物を口に含み、小さな器に注がれた液体を飲む。

 器そのものが聖別された儀式用の特別な物であるらしく、一回使われる度に拭き掃除をしては新たに液体が注がれている。

 液体はあの器を介する事で聖変化しているって所か。それ故か、回し飲みに忌避感を示す者など一人も居なかった。


「私が最初に行きますね。事態が急変するかもしれませんから、備えておいてください」


 ◆



 竜一達の中で一番最初に聖体拝領を受ける事にしたエレナ。

 現在祭儀を行っているヘルゴ大司教は幼き頃に接していた事があるため、自身と接触する事で何かアクションを起こせるかもしれないと考えた。

 あくまでも旅の一神官を装って本人にまで近付いていくが、大司教はエレナを見ても特に変わった反応を示さない。


「お久しぶりですね『先生』。ご壮健で何よりです」

「……!!」


 しかし、エレナが声をかけた瞬間、大司教は激しい頭痛を感じると共にこめかみを押さえてその場にうずくまってしまう。

 慌てたのは周りに居る神官達だ。大司教が不届き者によって何かされてしまったのではないかと、気が気ではない。

 素早くエレナの周りが取り囲まれる。事態の異変を察知したのか、警備にあたっていた聖騎士達もやってきて幾重にも囲まれてしまう。


「あらあら、何やら大事になってしまったようですね……」


 そうは言いつつも、エレナ自身は全く慌てた様子もなく堂々としたものだ。

 聖騎士達が一斉に武器を構え、神官達もメイスを手にしたり杖を手にしたりして戦闘の構えを取る。

 一般の信者達は「何事か」と驚き戸惑っている様子で、動くに動けないと言った状況。


「アプリーレ。アンティナート……開放。浄化の光よ、照らせ!」


 いきなり襲い掛かってこない状況を好機と見たのか、エレナはいきなりアンティナートを開放し加減無しの『浄化の光』を解き放つ。

 浄化の光は、文字通り悪しきものを清浄するための力であるが、恐ろしい事に光に照らされた多くの者達からドス黒い靄のような物が染み出してくる。

 それはつまり、大聖堂の中に居る人物の多くが『邪悪な力』に汚染されていた事を意味する。


「おいおい、マジかよ。こいつぁ酷いな」


 参列者達は全ての人達が汚染されていた訳ではなく、人によっては全く影響を受けていない者も居る。

 一方でシスターや神官、聖騎士達は大なり小なりの汚染が確認され、大司教に至っては可燃性の液体を燃やした時の如く真っ黒な煙が噴き出していた。


「エレナ、これは一体どういう事なのですか!?」

「見ての通りです。いま大聖堂に集っている方々のほとんどが悪しき力に汚染されています」

「悪しき力と言いますと、例の『邪神』によるものですか?」

「いえ、これは……」


 浄化された者達が次々とその場に倒れ伏していく中、大司教はうなだれながらもまだ倒れない。


「オ、オォォ……。ワタシハ、ワタシハ……。ガアァァァァァァァァァ!」


 苦しみうめくような声と共に大きく身を逸らし、両手を大きく広げて声の限りに叫び散らす。

 ただの大きな声ではなく、衝撃波も伴う咆哮は浄化の対象外で立ち尽くしていた残る者達を次々とノックアウトしていく。

 机や椅子など、大聖堂内の備品も容赦なく破壊され、そのまま音の波に乗って内壁へと叩き付けられる。


「す、凄い声だな。もはや攻撃になってるぞ」

「これで本人は全く攻撃しているつもりなんて無いんだから厄介だね。ただ吠えてるだけだ」


 リチェルカーレがパーティを守るように障壁を展開する。

 他の皆もいつ戦闘が始まっても良いように、武器を取って構える。


「力の源は……あの首飾りですか。どうやら、大司教に任命された時に渡されたものが仕組まれていたようですね」


 大司教は首元に高位の聖職者である事を示す首飾りを身に着けていた。

 その首飾りが真っ黒に染まり、そこから大司教の身を覆い隠す程の濃密な力を放っている。


「あれ程の力に晒されたら、人は正常でなどいられない。先生は自らの意志で闇に堕ちたのではなく、堕とされたのですね」


 エレナが幼少期に接した事のあるヘルゴ大司教は大層な人格者であった。

 そんな人間が、欲にまみれた俗物になり果てる。外的要因が作用しているのならば、それも頷ける話だ。

 もしそう言った要因無しに堕ちているのだとすれば、それはそれで教団の闇深さが窺えるのだが。


「申し訳ありませんが、辛抱してください。先生を必ず元に戻します……」

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