331:カルセルの交渉
ドスッ! とカルセルが剣を突き刺した。ただし、ゲマイン卿にではなく……床に。
剣の刃はゲマイン卿の顔の真横、わずかにこめかみが切れるくらいの位置へと突き立てられていた。
「ここで殺してしまっては、結果としてやっている事が貴方と同じになってしまいますからね」
ゲマインが企てた毒殺、そして今カルセルがやろうとしていた刺殺。手段は異なれど、どちらも私怨によるもの。
まだ人として最低限のモラルを失っていなかったカルセルは、その点を察していたからこそ未遂で済ませた。
ゲマインを批判するからこそ、決してゲマインと同じ手は使わない。同じ事をやってしまったら説得力は皆無となる。
「……どうやら気絶したようですね。早く医務室へ連れて行ってあげてください」
ゲマイン付きのメイドが何人か解放され、すぐさま主の下へ駆け寄っていく。
これを反撃の機と捉えて自身を捕らえていた相手に対して攻撃を仕掛ける者も居たが、抵抗空しくすぐに倒されてしまう。
一度仕掛けてきた時は取り押さえる程度にしていたが、二度目はさすがに気絶させるくらいの一撃を叩き込んだ。
「次は……ありませんよ?」
セリンがドスを利かせた声で未だ拘束中のメイド達に脅しをかける。
まだ穏和な部類のエレナやレミアはともかく、リチェルカーレとセリンは殺る時は殺るタイプである。
その目から本気を感じ取ったのか、凄まれたメイド達はその場にへなへなと崩れ落ちた。
ゲマインがメイド達に運び出されてから間もなく、竜一はカルセルに対してある疑問をぶつける。
「カルセルさん、貴方はこの料理に毒が仕込まれる事を察していましたよね? その上で俺達を食事の席に誘った……」
「……えぇ。変に取り繕っても意味がありませんから素直に言いますが、その通りです」
「ゲマインの仕込みに便乗して俺達を始末しようとした……は無いでしょうね。おそらく俺達に毒が通じない事も察していたのでは?」
「はい。先程のラアルとの一件を見ましても、貴方達が只者ではない事は察しておりましたから」
カルセルは竜一の指摘にも表情を崩さない。その上で、ハッキリと告げる。
「ちなみに私はこの事態に備えての対策は何もしていませんでした。もし貴方達が私にも保護をかけてくれなければ、私は死んでいたでしょうね」
「……それを信じろと?」
「貴方達ほどの実力者であれば、私が何も対策を仕込んでいない事くらい丸わかりだと思いますが」
「えぇ。確かに、カルセルさんの身体には事前に仕込まれていた術や服用していた薬などは見当たりませんね」
エレナがカルセルに向けて手をかざし、カルセルを淡い光で包むと同時にそう告げる。
それは相手の怪我の度合いや病状、毒などを判定するための医療法術だった。
彼女が調べた限りでは、自身が先程施した法術以外のものが、服用した毒を打ち消している様子は見られなかった。
「私が事前に何もしなかったのは、貴方達を信用していたからに他ならない。貴方達ならばきっと私すらも保護の視野に入れてくれると」
「それで、信用しているアピールは結構ですが……目的は? こんな茶番に付き合わせた意味があるのでしょう?」
カルセルが言っているのは、つまり「君達を信用しているからこそ己の命を賭けてみせた」という事に他ならない。
ならば、そこまでして竜一達にアプローチをかける何かしらの理由が存在するという事になる。
「端的に言ってしまえば『後ろ盾が欲しい』と言った所でしょうか」
「後ろ盾ですって? 貴族が冒険者に対して……?」
カルセルの言葉に疑問を挟むのはハル。大抵の場合、後ろ盾と言うのは力無き者が力ある者の援助を受ける事を示す。
何の権力も無い平民が、権力ある貴族の後ろ盾になってもらい活動する――と言った具合で用いられるものだ。
「貴族に権力がある事は否定しません。しかし、権力は単純な戦闘能力の強さに比例しない」
「それで、圧倒的な力を持つ俺達が貴方と懇意にしていると言う事をアピールし、他の貴族を牽制したいと」
いわゆる『抑止力』と呼ばれるものだ。戦争を仕掛けられないための手段の一つとして『こいつに手を出したらヤバい』と思わせるのだ。
そのために武器や兵器などの戦力を多く保持しておく。実際に使わずとも、もし有事の際にはそれらが使われる事になると印象付けるだけでいい。
平和を謳って全く武器を持たないという選択をする者も居るが、それだと仕掛けても大した反撃は受けないと舐められる事になってしまう。
「えぇ、ゲマインの企みは退けましたが、あの男はしつこい。今後も私をはじめとする邪魔者を排除しようとするでしょう。しかし、そこに貴方達の影がちらつけば……」
ゲマインは料理に毒を盛るという策略を完膚なきまでに打破され、実力行使もあっさり防がれ、この上なく無様な形での敗走となった。
その結末をもたらした者達が今後もカルセルを支持し続ける事を表明すれば、次以降も同じ結末を辿る事になる――と、行動に移す前から分かってしまう。
竜一達は知る由も無かったが、カルセルは昔からそうやって狙われ続ける事に疲れていた。だからこそ、それを断つ手段を求めていた。
「お忘れですか? 俺達は冒険者です。加えて、一か所に留まるのではなく世界各地を旅しています。ずっと貴方の後ろ盾になり続ける事は出来ませんよ」
「いや、物理的に力を貸してくれと言うのはさすがに無理があると思っています。ですから、その『名』を貸して頂きたい」
「貸すと言っても、俺達はまだ世間的にそんな知られた存在では……」
「いや、君達ならばいずれ名を借りるだけの価値がある存在になると思ってますよ。前借りです」
カルセルは本当に竜一達に可能性を見ていた。それを示すように、彼は対面初期と比べて敬語口調で話すようになっている。
それは相手を『警備に捕らえられた不届き者』などではなく、礼節を弁え敬意を払うべき存在であると認めているからに他ならない。
「そこまで我々を買って頂けるのはありがたいですが、俺達に貴方を支持するメリットはありますか?」
「冒険の道中における可能な限りのサポートをさせて頂きます。もちろん、この国を出た後も継続させて頂きますよ。少なくとも、この国内にいる間は最上級の待遇をさせて頂きます」
「しかし、そんな事を勝手に決めてしまって良いのですか? 国から何か言われたりは……」
「別に国の財産を使おうという訳ではありません。あくまでも私個人の判断で私財を投資するだけですよ」
言わずもがな、この時のカルセルの判断は大正解であり、この時をきっかけとして彼の運命はひたすら良い方向へと転がっていく事になる。
醜い人間模様が渦巻く貴族にしては珍しく、人として腐った部分の無い彼だからこそ出来た英断であった。
「分かりました。我々も貴方を信用させて頂きます」
「ありがとうございます」
竜一がカルセルとガッチリ握手をし、交渉成立。決め手となったのは彼自身の判断もあるが、周りから反対の声が出なかった事もある。
特にリチェルカーレは相手の気配から内に抱える感情を判断する事が出来る。このやりとりに悪意が混じっていれば、間違いなく指摘の声が上がっていた。
他の者達も負けず劣らず超常的な感覚を持ち合わせている。もしここでカルセルが卑劣な企てをしていようものなら本日が彼の命日となっただろう。
(……念には念を。とりあえずアタシも一つ仕込んでおこうか)
しかし、カルセルに悪意が無いのを承知の上で、リチェルカーレは密かにさらなる保険を掛けておこうと考えていた。




