292:閑話 裏社会の都市伝説
――日も登らぬ早朝。とある国のとある町、その路地裏。
「いい加減に観念しろ! もう行き止まりだぞ!」
一人の男を十人の兵士達が追いかけており、今まさに行き止まりへと追い詰めた所だった。
追い詰められた男は浮浪者のような恰好をしており、どちらかというと痩せぎすで虚弱そうに見える。
しかし、こう見えてこの男は一つの町を震撼させていたほどの大犯罪者であった。
「連続殺人鬼カノニカル……。もうこれ以上犠牲者は出させん! 我らが身命を賭して捕縛する!」
カノニカルと呼ばれた殺人犯に向けて、兵士達が槍を突き出しながらじわりじわりと歩を詰めていく。
後方からは魔術を扱う者が光を発しており、懐中電灯のようにカノニカルを照らしていた。
「ちっ、俺様も焼きが回ったか。はぁ残念だ……。もっともっと沢山殺したかったのによぉ」
数々の凶悪な殺人事件を起こした身でありながら、身体能力はさほど高くないのか、兵士達を前に観念した様子。
力が抜けたように壁にもたれかかり、降参とばかりに両手を挙げた状態で兵士達を待ち受ける――が
『……素晴らしい。観念したような事を言いつつも、その内では全くと言って良い程に殺意が衰えていませんね』
カノニカルと兵士達の間へ割り込むように、突然何者かが乱入してきた。
シルクハットを着用し、黒いタキシードのような服に黒いマントと、とにかく黒ずくめの存在だ。
目元も仮面で覆っており、そこから伸びる鳥の嘴を思わせるパーツはカラスを連想させる。
『なるほどなるほど。極めて残虐非道な手法で最低でも五人の女性を殺害した凶悪犯……。これは『対象』に選ばれるのも頷けますね』
高揚を隠さない口調でカノニカルの罪状を口にする。その声色からして、現れた者は男性であるようだ。
「な、何者だ!?」
『おはようございます。皆様はヴァローナという単語に聞き覚えはありますか?』
「ヴァローナ……?」
「なに!? ヴァローナだと!」
一番最初に問われた兵士は首を傾げるが、後方に居た上司が驚きと共に声を上げる。
「知っているのですか? 隊長」
「あ、あぁ……。噂に聞いた程度ではあるが、裏社会にはヴァローナと呼ばれるハンターが存在するらしいのだ」
隊長は部下に語った。ヴァローナとは、凶悪犯罪者を対象にしたハンターの組織員であるという。
目の前に現れた者のみならず世界各地にメンバーが存在しており、特徴として皆が等しく同じ格好をしており、同じくヴァローナを名乗っている。
世に聞こえるレベルの凶悪犯罪者が出現すると、何処からともなく彼らが現れ、瞬く間にその者を連れ去っていってしまう。
(よ、良く分からねぇが今のうちに逃げ……られねぇ!?)
カノニカルは蟹歩きのようにして横へ移動しようとしたが、全く足を動かせなかった。
『貴方は私の獲物です。残念ながら逃がす訳にはいきませんね』
ヴァローナはカノニカルに背を向けたままそう言った。それだけでカノニカルは悟ってしまった。
目の前にいる兵士達五人なんかよりも、ヴァローナと名乗った存在の方が恐ろしい。
自分が現在動けなくなっている理由すらも分からない。生殺与奪の権利を相手に握られている。
「待て! その殺人鬼は我が国で裁く。何処の国の者ともわからぬハンターにくれてやる事は出来ん!」
『我々も崇高な使命で動いているのです。申し訳ありませんが、この男は頂いていきますよ』
そう言って、カノニカルを覆い隠すようにマントを翻すと、忽然とカノニカルの姿が消えてしまった。
「なっ!? 消えた……」
『では、私も失礼致しますね。ごきげんよう』
大胆にブワッと両手を広げると同時、黒い羽根が舞い散りイリュージョンの如くヴァローナも消失した。
「な、何と報告すれば良いのだ……この惨状は」
壁に拳を打ち付ける隊長だったが、時既に遅し。カノニカルもヴァローナも、姿を消した後。
悲願の犯人捕縛を前に、任務にあたっていた兵士達はただただ呆然とするしか無かった。
・・・・・
「ん……」
何処だ? ここは……。
俺様は確かさっきまで兵士達に追われてたハズ。だが、そこに――。
そうだ。何か変な奴が現れたんだ。兵士の話だと、ヴァローナとか言うハンターらしいが。
だが、あれからどうなった? 俺様は一体どういう状況なんだ?
どうやら気を失ってたらしいな。目を開いて景色を見る前に鼻を突くような臭いが。
手で触ってみるとブヨブヨとした感触。どうやら俺様は何か柔らかい物の上に寝かされていたらしい。
目を開くと、映り込んだのは何処かの町の路地裏らしき場所だ。さっきまで居た場所とは違うな。
そして、俺様の背中にあったものが大量のゴミ袋だと気付く。もしかして俺様はゴミのように捨てられたのか?
舐めた真似してくれるじゃねぇか……。だが、妙だな。ヴァローナってのは犯罪者ハンターなんだろ?
ならば国へと突き出すなり、命を奪って始末なりするのが普通じゃねぇのか。この扱いは一体どういう事よ?
考えていても埒が明かねぇな。とりあえずこの路地から出て最初に見つけた女でもぶっ殺すか。
にしてもこの路地、改めて見てみるととんでもねぇな……。普通にいくつも死体が転がってるじゃねぇか。
餓死したとか病死したとかそういうもんじゃねぇ。明らかに殺害されてやがる。
「けっ、そんな治安最悪な場所に俺様を放置した事を後悔させてやらぁ。次はこの町が恐怖のどん底に沈む番だぜ」
俺様はついてる。路地裏から出た瞬間に華やかな赤いドレスを身に纏った金髪美女を発見だ。
いかにも夜の歓楽街といった雰囲気の町通りからして、おそらくはこの辺を根城とする娼婦だろう。
いいねぇいいねぇ。まずはこの女を引き裂いて花を咲かせてやろうじゃねぇか……。
「キイィィィエェェェェェェェッ!」
俺様は鉤爪を手にターゲットへと向かっていく。こういうのは先手で深い傷を負わせるのが鉄板だ!
「あら。威勢の良いのが来たわね。そんなやり方でこの私を狙ってくるなんて、もしかして『新人』かしらね?」
バ、バカな! 鉤爪に指を絡めるようにして受け止められた!? 爪自体が刃物なんだぞ? どうなってやがる!?
さらにはそのまま手首を捻り、爪を根こそぎ折りやがった。何なんだよこの女は! 鋼鉄製だぞ……。
「でも、襲撃してきた以上は敵よね。残念だけど、貴方は早々にリタイアね」
◆
女の右手が男――カノニカルの胸へと突き刺さる。そして、そのまま内部で拳を握り込む。
何か固いものが砕け、折れるような音と共に、女はその拳を手前へと引き戻す。
カノニカルの体内から出てきた女の手には、何やら大きな虫のような形をした赤黒い塊が握られていた。
それは、無理矢理引きちぎるようにして体内から抉り取られたカノニカルの胸骨だった。
胸骨体から伸びる何本もの肋骨という見た目が、まるでいくつもの足が生えた虫のように見えた。
白い骨が血肉の赤黒さで彩られる事で、何とも異様で不気味なオブジェと化している。
「さようなら、じゃあ『戦果』は頂いていくわね」
右手につかんだ骨をその辺に投げ捨てると、再び右手をカノニカルの胸部へと突っ込み、今度は心臓を引きずり出した。
「これよこれ。やっぱまだ動いている心臓って美しいわね。ずっと動かしておきたいくらいだわ」
女は心臓を右手に持ったまま、再び何事も無かったかのように町通りを歩きだした。
一切躊躇いなく猟奇的殺人を行う女。だが、真に恐ろしいのはこの女ではなく、町の方に他ならない。
これだけの事が発生したのに、誰一人として見向きもせず、平穏な街並みが維持されている。
『やれやれ、ボスへ報告している間に目覚めて動いてしまいましたか……』
「やっぱりヴァローナが連れてきた新人だったのね。頂いちゃったけど、謝らないわよ?」
『構いませんよ。運も実力の内です。この街を知る前に死んだという事は、彼には資格がなかったという事でしょう』
カノニカルと初めて対面した時とは打って変わり、落胆を隠さない声色でヴァローナがつぶやく。
女は突然現れたヴァローナに全く驚く事もなく、まるで最初からそこに居たかのように平然と会話を続ける。
「ふふ、確かにそうね。本当に出来る人ならば、この街の住人達がどういう存在かを察し、慎重になるわ」
『体験者は語る……ですか。実際ここへ来た時の貴方がそうでしたからね。トゥリアン・ダ・フィリア――良くぞここまで至りましたね』
女――トゥリアン・ダ・フィリアは『戦果』を手持ちのバッグへ収納し、血濡れの右手を布巾で拭う。
魔術的な効果でも施してあるのか、軽くさっと拭いただけで血糊は消え失せ、元通りの美しい手に戻った。
「……そろそろここも五年目ね。最近は拮抗状態になっちゃってるから、新しい風が吹いて欲しい所だけど」
『残念ながらカノニカルでは駄目だったようですね。総計すれば二桁にも及ぶ猟奇殺人者でしたが、この街では通じませんでした』
「その程度の甘ちゃんではダメね。あの胸糞悪いクソなトップ野郎みたいなエゲつない悪は他には見つからないの?」
『あの者は近年では珍しい掘り出し物でしたね。早々に新たなトップに立ち、防衛を続けています。貴方は挑まないのですか?』
「存在としては最低最悪だけど、強さは本物なのよね……。腹立たしい事極まりないけど」
・・・・・
――裏社会に生きる者達の間で語られている都市伝説がある。
曰く、犯罪者の楽園。その街ではありとあらゆる悪行が認められている。
町の事を知らぬ者が入ってしまったが最後、その者は二度と外を拝む事なく命を終える事になる。
また、稀代の悪人として認められた犯罪者には案内人が現れ、町へ招待してくれるという。
そんな悪人にとっての夢の町は実在する。だが、噂に心躍らせる者達は知らない。
並の悪人程度では搾取される側になってしまうという、あまりにも高いそのハードルを。
そこに集う悪人達は、悪人達の中でも特に常軌を逸した存在である事を。
知る人ぞ知るその魔境の名は、犯罪都市ゼタス。
この世全ての悪を詰め込んだと言っても過言ではない、極限まで凝縮されたまさに極悪の地。
そんなゼタスには、裏社会の頂点たる存在が君臨しているという……。




