254:ルーの精霊召喚
「さぁ、ルーさん。私達も模擬戦を始めましょうか」
教授がルーを領域内へと招き寄せる。なんでも、今までルーの相手は教授が直々に行っていたとの事だ。
何せルーが借り受けていた人工精霊は学院所有のもの。学院の備品とも言えるものである以上、乱暴な扱いは出来ない。
そのため、ルーと教授の模擬戦は戦いというよりも型の決まった組み手のような感じになっているらしい。
確かに、もし対戦相手を生徒達にしてしまったら、精霊殺しと言われるルーの事だ……間違いなくイジメのターゲットになる。
人工精霊がどれほどの能力かは分からないが、絶対に圧倒的な力量差でボッコボコにしようとする奴は居るだろう。
マーナの扱いを見れば明らかだ。先程の試合に続き、次に行われた試合も、その次に行われた試合も一方的だったからな。
「あ、あの……先生」
「どうしました?」
ルーが、おそるおそる右手の甲を教授に見せる。
「それは!?」
「わ、私もやっと精霊と契約できたんです!」
見学中の生徒達がザワつく。それはそうだろう。今までルーは、精霊契約をする度に精霊を殺してしまっていた。
そんな精霊の天敵たる存在が、この期に及んで精霊と契約など出来るはずが無い――。そう思い込んでいる。
だが、ルーの手の甲に刻まれた紋章からは、確かに精霊の力を感じる事が出来る。偽物でない事はそれで証明された。
「お、おめでとう……。でも、一体どうやって……?」
昼休みの間に精霊の紹介で裏界へ行って――などとはさすがに言えないだろうな。
基本的に裏界は精霊の世界。人間も活動する事は出来るが、そもそも並の精霊では人間を裏界に招き入れられるだけの力が無い。
そのため、かなり高位の精霊をパートナーとする者であっても、裏界に行った事があるという人間は極めて少ない。
そういう意味では、あっさりと数人単位を裏界へ放り込んだタルタは一体何者だって話になるんだが。
先程体験した講義で裏界の説明をちゃんと聞いていて良かったな。わざわざ人に聞かなくても理解出来るようになっている。
「えっと、竜一さんの精霊さんからご紹介を頂きまして……」
「竜一さんの? あら、連れてる方が変わっていますね」
今の俺は最初に契約に応じてくれたワイティではなく、タルタを連れている。
このタルタこそが、ルーに契約精霊の候補を紹介してくれたんだよな。
これから召喚する事になるんだろうが、こちらの世界では一体どんな感じで現れるんだ……?
「と、とりあえず召喚していいですか?」
「わかりました。ではこちらもパートナーを呼んでおきましょう」
教授は軽くパンパンと手を叩くと、何処かから飛んできた何者かが彼女の横に降り立った。
召喚の陣から出てきていない――って事は、最初からこの世界に常駐してたのか。
草花で精巧に作られたようなドレスを身に纏う、緑色のロングヘアーが美しい女性タイプの精霊だ。
彼女は名をプルファソラといい、木属性に位置する精霊との事だ。
温和そうな笑顔を浮かべている彼女は、現れてからずっと暖かく心地良い力を放出している。
森の中に居ると癒し効果があるというが、この感覚はまさにそれに似ているな……。
『ルーさん、貴方にもついにパートナーが出来たのですね……。私は嬉しいです』
今までずっと組み手を担当していたのかルーへの思い入れが強いらしく、ヨヨヨと泣いている。
しかし、ルーが召喚準備に入った途端、その悲しげな表情は何か恐ろしいものを見る表情へと変わっていった。
「では、私も召喚します。出でよ、ヴェルちゃん!」
手の甲を正面に向けて右腕を掲げる。すると、紋章を中心に闇の力が溢れ始める。
まるで稲妻の軌道のように、紋章を始点として発生した黒いラインが徐々に彼女の身体を侵食していく。
それは彼女の顔に関しても例外ではなく、すっかり複雑な黒い模様に覆われてしまっていた。
「ル、ルーさん……?」
傍から見たら異様とも言える光景に、思わずレーレン教授が声を掛けようとする。
瞳を赤く光らせ、全身から尋常じゃない闇のオーラを発するルーの姿は、確かに見ていて心配になるレベルだ。
しかし、俺は知っている。あの精霊を召喚しようと思ったら、それこそ尋常じゃない力が必要な事を。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
学院が地震に襲われる。同時に、俺が見ている方角の空が闇に侵食されていく。
一方で反対側を見ると青空のままという異様な状態に、この場に居合わせた者達は一体何が起こっているのかと慌てふためいている。
レーレン教授が相方の精霊プルファソラに頷きかけると、様子を見るためなのかすぐさま上空へと舞い上がっていく。
◆
主に言われて上空へと上がったプルファソラは、信じられない光景を目の当たりにした。
ローゼステリア魔導学院は、実は学生のための街を内包した一つの都市となっており、直径にして数キロはある円形構造をしている。
その都市の円よりも遥かに巨大な円形魔法陣が、都市の外の平原や森、山々と言ったものを塗り潰すように展開している。
数キロの円が小さく見える程なので、優に十数キロはあるだろうか。プルファソラも、これ程までに超巨大な魔法陣は見た事が無かった。
『……い、一体何が起ころうとしているのですか!?』
まるでル・マリオンの全てを闇に染めようかとでも言わんばかりの闇を放出する魔法陣。
その中心から、魔法陣の大きさに見合うだけの凄まじく巨大な手が出現する。
手だけで山のように大きく、肘辺りまで出ただけで既に上空に居るプルファソラが見上げる程。
そして、かつて邪神とも称された精霊の凶悪な顔が、ついにル・マリオンへ姿を現す。
鋭い牙が並ぶ大きな口は学院都市を呑み込めそうな程に巨大で、見る者全てを射殺すような鋭い目は否応なく人々を震え上がらせる。
それはプルファソラも例外ではなく、目を見た瞬間に金縛り状態となり、浮遊する力を維持できずに墜落してしまった。
◆
現時点で上半身まで召喚されたヴェルンカストの迫力は尋常ではなかった。
裏界で見た時は一面が闇だったが、ここでは景色が存在する。そのため奴の異様な巨大さを改めて痛感する。
視界を覆い尽くす程の巨体は、景色の彼方に見える山脈ですらも小さく見えてしまう程だ。
『ふむ……。これがル・マリオンか。美しい。実に素晴らしいぞ。主よ、よくぞ我の召喚を成し遂げた』
まるで拡声器を使ったかのように響く声。発声するだけで尺玉を打ち上げた時のような衝撃だな……。
ヴェルンカストが動かした手を学院の真上にまで移動させる。それだけで学院上空が蓋をされたように真っ暗となる。
手だけでこの大きさならば、そのまま地面に落とすだけでこの一帯丸ごとペシャンコに出来てしまうだろう。
「やったね、ヴェルちゃん! 私、ちゃんと召喚出来たよ! お願いヴェルちゃん、私に力を貸して。これから精霊同士の模擬戦なんだ! 相手は誰かって? あの人達だよ」
ルーが指し示したのは、先程上空から墜落してきたプルファソラだ。
人間だったらまず間違いなく絶命するような事態でも、彼女にとっては身体に付いた埃を払う程度の事らしい。
だが、ルーからあの邪神の『相手』として指名された事で、その表情を絶望に歪める。
『え? ……アレと戦えと? と、言うかルーさんの契約精霊って……』
「はい、このヴェルちゃんですよ」
『……主。私は夢でも見ているのでしょうか』
「諦めましょう。どうやらこれは現実のようです」
レーレン教授が額に右手を当て、首を横に振りながらプルファソラに答える。
とんでもない無茶ぶりをされる事となったプルファソラは、後に関係者に対してこう話している。
『あの時ほど、主との契約を解除して逃げ出したいと思った事はありませんでした』




