218:先んじる男達
リチェルカーレがそっと右手を手前に出し、指をパチンと鳴らす。
「!! ……危ない!」
音が鳴ると同時、『魔女』が右手で『神官』を突き飛ばす。
少々ばかり乱暴であったためか『神官』は床に転倒して身体を打ち付けてしまう……が。
「あぁっ! ヘクセさん、腕が……!」
ヘクセ――『魔女』が邪悪なる勇者達の一員として名乗っているコードネームだ。
彼女の右腕は半ばから無残に千切れ飛んでおり、切断されたというよりも捩じ切られたに等しい惨状だった。
しかし、ヘクセ自身は苦痛に顔を歪めてはいるものの、悲鳴すらあげずに歯を食いしばっていた。
「おいヘクセ! 大丈夫なのか、それ……?」
「こ、これが大丈夫に見えると言うのなら相当に頭おかしいわよ、ムスクル」
「ぐ……と、とにかく治療だ! リーヴェなら何とか出来るよな?」
「は、はい! 大丈夫デス。ワタシの手にかかればこの程度!」
ヘクセの惨状に焦る黒髪の男・ムスクル。さすがに仲間の片腕が飛ぶ惨状を黙って見てはいられない。
ムスクルに指名を受けた『神官』ことリーヴェが、ヘクセの欠損した腕に回復術をかける。
「……奴は、一体何をしやがったんだ?」
一人会話に加わらず、じっとリチェルカーレを見据えるのは銀髪の少年。
ヘクセの惨状より『相手のやった事』が気になるようで、相手から目を離さない。
「敵から目を離さないというのは合格点よ、ヴェスティア。みっともなく慌てるだけのムスクルより、よっぽど男だわ」
「や、やめろ。俺を犬みたいに撫でるな……!」
「みっともなくとか言ってくれるな。仲間を心配して何が悪い」
「はいはい、拗ねない拗ねない」
銀髪の少年・ヴェスティアは魔女ヘクセより身長が低い。故に子ども扱いされる事を嫌う。
お姉さんに頭を撫でられる事は特定の層にはご褒美であるが、ヴェスティアにとっては馬鹿にされているようなものだった。
一方、ヘクセの惨状に心が乱れ、言葉までも乱れてしまったムスクルは、情けない己の言動を恥じていた。
「それより、あの子……初撃から本気で殺しに来てるわ。気を付けなさい」
魔術に長け序列三位にまで登り詰めた実力者だからこそ、リチェルカーレの魔術に反応出来た。
もしこの場にヘクセが居なかったら、リーヴェは最初の一撃で頭を木っ端微塵に砕かれて終わっていた。
「あの子はリーヴェの頭があった位置の空間を爆発させた。空間魔術だから、頭の中だろうと関係なく発生させられるわ」
「あ、頭の中!? も、もしかしてワタシ……」
ほんのわずかでもヘクセの突き飛ばすタイミングが遅かったらと思うと、リーヴェは恐ろしくなった。
邪悪なる勇者達に参入し、邪神の力を得てさらにパワーアップしてからは、ピンチに陥ると言う事自体が無くなっていた。
だからだろうか。ブルブルと震えながらも、顔が笑っていた。久々に……全力で戦える機会がやってきたのだ。
それは他の三人も同様だった。ただでさえチートな勇者が、邪神の力を得てさらにパワーアップ。
だが、それはル・マリオンを蹂躙する事は出来ても、対等かそれ以上の敵と全力で戦う機会を失った事を意味する。
組織内の序列を決める戦いは近しい実力者同士の対決だが、決められたルールの戦いであってガチではない。
「さすがリーヴェね。早くも私の腕が元通りだわ。という訳で、久々にガチでやるわよ、みんな!」
「「おぅっ!」」
「は、はい!」
復活した右手をグーパーした後、ヘクセがリチェルカーレを指さして戦闘開始を宣言する。
同時、リーヴェがその場にしゃがみ込み、手を組んで神へと祈りを捧げ始める。
「ヘクセさん、ムスクルさん、ヴェスティアさんを我が神の旗下へ加える事を許可します」
リーヴェに名を挙げられた者達、三人の身体が一瞬ばかり黄金色に輝いた。
「瞬きする間もなくぶっ倒してやる! ウオォォォォォーーーーーン!!!」
ヴェスティアが咆哮すると共に、その姿を巨大な狼へと変えていく。
彼の象徴だった銀髪が全身へと広がったその様は、まさに『銀狼』と呼ぶに相応しい美しき獣。
もはや獣と化した彼のスピードは目で捉えられるようなものではなく、瞬間移動に等しい。
「死n――ぐはっ!」
しかし、リチェルカーレに対しては速度など意味をなさない。背後すら見ずに繰り出した裏拳によってあっさり撃沈。
己の猛烈なスピードと重なってその威力は飛躍的に増し、ヴェスティアの顔面を吹き飛ばす程のものとなった。
「目に映る物しか打てないのは二流の武術家ってね。このアタシを舐めんじゃないよ」
「う……くそっ、何が武術家だ。どう見てもそんなんじゃないだろうが!」
驚く事に、顔面を吹き飛ばされたはずのヴェスティアが瞬時に顔面を再生して悪態をついていた。
「こう見えても、結構有名どころから武術を教わったんだけどな……試してみるかい?」
しかし、リチェルカーレはヴェスティアの再生の事など一切気に留めず、右手をクイクイッと相手を挑発する。
「後悔させてやる! 今更命乞いしても遅いぜ!」
ヴェスティアは狼の要素を残したままの人型獣人へと変わり、手先の爪を伸ばして武器と化す。
その状態で腕を振るう事は、もはや打撃ではなく剣を振り回しているに等しい。
「とっとっと。素早いけど動きが単調だね。そんなんじゃ……」
勢いはあるものの、故に大振り。いくら素早くとも分かりやすく、最低限の動きだけでどうにかなる。
そして、致命傷を狙った刺突も真っ直ぐ過ぎるため、腕の内側から軽く手を添えてやるだけで軌道を変えられた。
「はい、やり直し!」
ヴェスティアの腹部に叩きこまれる強烈な正拳。その衝撃が身体を突き抜け、彼の身体を大きく弾き飛ばす――かに思われたが、その場で腹部が弾け飛んだ。
リチェルカーレの容赦ない一撃は、獣人と化した彼でも到底耐えられるようなものではなかった。
「な、なんだよお前は! わけわかんねぇ!」
またも何事もなく弾け飛んだ腹を再生してヴェスティアが立ち上がる。
「残念ながら今の『キミ達』では到底アタシに届かないよ。内に眠る真の力を目覚めさせるんだ」
「……その言い方。まさか、俺の能力に気付いて?」
「さぁ、どうだかねぇ?」
既にヴェスティアへの興味を失ったのか、シッシッと手で追い払われる。
「ク、クソがぁ……」
「やめておけ。お前でどうにかなるような相手ではないぞ」
ヴェスティアの肩にポンと手を置き、ムスクルが変わって前へと出た。
「ちっ、お前なら何となるってのかよ」
「何とかなるとかならないとかそういう問題じゃない。何とかするしかないんだ」
ムスクルは両足を広げて腰を落とし、両手に力を込める。
「燃え上がれ……、我が闘気よ!」
ムスクルの身体を包むように激しく巻き起こる黄色いオーラ。彼の闘気が目に見えて発現している証だ。
他の追随を許さない膨大な闘気は彼の身体能力を飛躍的に向上させるのみならず、彼そのものを『武器』へと変える。
そうなると、おのずと彼がとる事になる戦術は限られてくる訳で……。
「へぇ、真正面から来るか。よし、受けよう」
ムスクルの闘気による身体能力の強化は凄まじく、そのレベルたるや身体そのものを大きく変える程の領域。
元々二メートルくらいの大柄な存在が、二メートル半ばはあろうかという筋肉の巨人へと変化している。
小柄なリチェルカーレなど、今の彼の足くらいも無いように見える。傍から見れば、実に無謀な勝負に見える事だろう。
「一撃で叩き潰してやる!」
振り下ろされるハンマーパンチ。直撃して轟音が鳴り響き、激しく床がひび割れ陥没する。
常人であればプレス機で潰されたかの如き惨状を引き起こす程の一撃だが、リチェルカーレは立っていた。
しかも、ムスクルの攻撃を人差し指一本のみで受け止めているという信じられない光景と共に。
「ぐっ、余程強力な障壁を展開できると見える……」
「障壁? これしきの攻撃でわざわざそんなもの使わないさ」
ムスクルは気付く。リチェルカーレの足下、床が深く陥没しひび割れが広がっている。
それはつまり、彼の攻撃の破壊力が彼女に伝わった事を意味する。にもかかわらず、彼女は全くの無傷。
「まさか、受け流し……ってやつか?」
衝撃を手で受け止め、そのまま体内を通過させて足下から放出するという高度な技法が存在する。
言葉で書くと簡単なように見えるが、これは制御を失敗すると身体の中がズタズタになる諸刃の剣である。
「ならば、流し切れぬ程のパワーを叩き込む!」
そう言ってムスクルは右腕のみに対象を絞ってさらなる闘気を練り上げ始めた。
筋肉がさらに盛り上がり、血管も浮き出てさらに熱を発して赤く変色する。
左腕と比べて倍以上に膨れ上がった右手は、もはや体格の異なる別人の腕を移植したかのよう。
「どうだ! 捌けるものなら捌いてみろ!」
(ムスクルのバカ! 受け流しが出来るって事は、つまり――)
ヘクセが重大な事に気が付くも、既にムスクルは腕を振り下ろしてしまっている。
「……まだまだ足りないね。こんなんじゃ『闘神』の足下にも及ばないよ」
今度は指一本ではなく、手のひら全体で拳を受け止められる。
しかし、先程とは違って地面に全くダメージが通っていないかった。
ムスクルはその事に気が付くも、時既に遅し。
「こういうの、キャッチアンドリリースって言うんだったかな?」
ムスクルの腕を受け止めている右手とは逆側、左手がそっと彼のお腹へと添えられる。
そして――まるで撃ち出された銃弾の如き凄まじい勢いで弾き飛ばされ、幾重もの壁を突き抜けて彼方へと消えた。
(やっぱりね。受け止めた衝撃を足下から解き放てるなら、その衝撃を別の場所へと解き放つ事も出来る……)
受け止めた衝撃を地面など別の物に放出すれば受け流しとなり、相手に対して放出すれば強烈なカウンターとなる。
未熟なうちは決まった場所で受け止め決まった場所から放出しなければならない制御の難しい技であるが、極めれば変幻自在。
五体の全てが強力な『盾』となり、また『矛』となる。リチェルカーレにとって、武術もまた極めた戦術の一つである。
(もしかして、私達って物凄く厄介な相手に目を付けられた……?)
実力があるだけに相手の実力が分かってしまい、ため息がこぼれるヘクセだった。




