212:嬉しい誤算
『……だ、誰だ!?』
テレーグが振り返ろうとするが、それを阻止するように左肩へそっと手が置かれる。
「どうやら祭りに出遅れてしまったようだからね。その分、アタシと遊んでくれると嬉しいんだが」
直後、銃弾を弾き刀剣をも折る程に硬質なテレーグの肩が握り潰される。
『馬鹿な!? このボディはオリハルコンで作られているんだぞ! どうして……』
「オリハルコンとは贅沢な素材を使ったねぇ。けど、ちょっとばかしオリハルコンを信仰し過ぎじゃないかな」
握り潰した肩をそのまま手前に引いて顔の向きを変えさせると、顔面へ向けて拳の一撃が叩き込まれた。
竜一の拳を受けても何ともなかったテレーグが、今度は顔面を凹ませられて地面へと倒れ伏す。
『ど、どうなってる!? なんで素手でオリハルコンを殴り飛ばせる!』
「なんでと言われても、殴り飛ばせるもんは殴り飛ばせるんだから仕方がないだろう」
拳をグーパーしながら、不敵な笑みを浮かべるのは黒きゴスロリに身を包む小柄な少女。
テレーグを殴りつけたその右手からは、竜一でも察せられる尋常じゃない闘気が発せられている。
彼女がやった事と言えば『単に闘気を拳に込めて力の限り殴っただけ』だった。
「リチェルカーレ! こんなタイミングで現れるなんて……」
「すまないね。上空から各陣営の動きを見ていたんだ。キミ君達が黒幕と接触したっぽいから来たよ」
駆け寄る竜一。竜一としても、粘る事は出来ても倒す決定打に欠けていた所だった。
素手でオリハルコンをどうにか出来る存在が現れてくれた事で、事態の打開が見え始めた。
「さっき奴はオリハルコンって言ってたが、この世界ではオリハルコンが存在するのか?」
「その言い方だと、どうやらキミの世界にはオリハルコンは存在しないようだね」
「俺の世界では物語上の伝説の金属の名だ。大抵は『最強の金属』って扱いをされてるな」
オリハルコンという想像上の金属の名称は、竜一の世界においてはミスリルなどと並んで最も有名な部類と言える。
ファンタジー系の創作が好きな人はもちろんの事、あまりそちらに明るくない層でも名前くらいは聞いた事があるかもしれない。
そんな物質が、異世界には実在する。竜一は以前リチェルカーレから聞かされた『創作物に関する話』を思い出した。
竜一の世界における各種創作物は、フィクションではなく異世界渡航者による現地レポートではないか。
かつて竜一が召喚時にミネルヴァから聞かされた話では、生きたまま召喚された者であれば元の世界への帰還も可能。
ル・マリオンにおけるオリハルコンの実在は、その疑いを強める要素として充分だった。
『は、ははは。ビックリさせられたけど、これは嬉しい誤算だ』
左肩と左頬の辺りがひしゃげたままのテレーグが起き上がってくる。
先程までの怯えた様子は何処へやら、対面した時のような不遜な口調に戻っていた。
『まさかボクを破壊できる者が現れるとは思わなかったよ。だったら、いっその事ひと思いに破壊してくれないか?』
「さっきまでえらく怯えていたじゃないか。それがどういう風の吹き回しだ?」
『君との戦いが永遠に終わらない戦いになると思ったからだよ。僕は君を完全に殺す手段がないし、君は僕を倒せるだけの力量が無い』
「……俺としては、お前を倒せるようになるまで延々と粘り続ける事も辞さないんだがな」
『勘弁してよ。ボクはそんな永遠の地獄に囚われるつもりはない。そう思った所へ都合よくキミが現れた』
リチェルカーレを指し示すテレーグ。指された当人は何故かフンッとドヤ顔になっている。
『キミはボクを破壊出来る程の存在。キミならばこの地獄から解放してくれる』
テレーグにとって『破壊される』と言う事は、つまり現地からの撤退を意味する。
単に遠く離れた場所へ派遣されていたメカが壊れるだけで、テレーグ自身には何の身体的損傷もない。
力作を破壊された事で精神的には堪えはするが、それもまた新たにメカを造れば良いだけの話。
だが、相手を倒せない、自分も倒されない……では、それすらも叶わない。
テレーグが恐怖したのはそういう部分だった。永遠の牢獄に捕らわれるような気持ちだった。
しかし、破壊してもらえるのであればそこから脱せられる。テレーグは方針を転換した。
『ボクは本体じゃない。破壊した所で、ボク自身は何ともないんだ。痛覚も遮断してるし、ダメージも無い。遠慮はいらないさ』
まるで己に言い聞かせるかのようにベラベラと言葉を並べていくテレーグ。
実質、彼がやろうとしている事は『逃走』だ。正当化して己の心を保つのに必死になっている。
『さぁ、破壊するといい。今回はボクの負けでいいよ。でも、ボクはまた新たなメカを造って、必ずリベンジしてやる』
「残念だが、アタシは少々ばかし意地悪なんだ。申し訳ないが、キミの望み通りにはやってはやらない」
『へぇ、じゃあどうするつもりなのかな? 仮にこのボディを捕縛した所で、ボクは精神の接続を切って逃げるし、意味は無いよ』
「接続を切って逃げる……? そんな事が出来るなら、さっき言ってた『永遠の地獄』からも脱出できるんじゃないのか?」
竜一が疑問を投げかける。テレーグは今、本体との接続を切れば逃げられると言った。つまり、一方的にこの場のやり取りを打ち切れる。
にもかかわらず未だにそれをやらずに残留し続けている。竜一はそこに『特定の条件』が必要なのではないかと推測した。
『はは、何の事かな? とにかくチャンスだよ。今、ボクは降伏してるんだ。さぁ、やりなよ』
頑なに己の破壊を願うテレーグ。竜一の推測通り、テレーグには『ログアウト条件』が存在していた。
彼が接続を切るには、ある程度の落ち着いた時間が必要だった。戦闘などの苛烈な状況下でも容易に意識が外れないよう、結びつきが強くしてあるからだ。
ちょっとやそっとの事でメカから意識が外れてしまっては遠隔操作などまともにできないため、深く深く意識をメカに浸透させている。
彼自身が表現した『永遠の地獄』では常に戦い続けていなければならず、とても落ち着いた時間など確保できない。
オリハルコンのボディ強度ならば竜一の攻撃を完全に無視してもダメージなどないが、ボディに当たる衝撃などで集中を乱される。
そんな状況下では、己の精神を少しずつ慎重にメカから切り離していくという慎重な作業など、とても出来るはずがなかった。
「……よし、見つけた」
一方のリチェルカーレは、そうつぶやくと同時に瞬間移動で姿を消してしまった。
『はぁ!? このタイミングで消え――』
テレーグが驚くが、何故か言葉の途中で止まり、その場で崩れ落ちてしまう。
まるで『糸の切れた人形』とでも言わんばかりの状態に、竜一はすぐに思い当たる節があった。
(リチェルカーレの奴、間違いなくテレーグ本人の所に行ったな……)
目の前の人形の状態は、まさに『操縦者を失った』と表現するのに相応しい状態だった。
「お、終わった……のですか?」
ラウェンがハルの治療を終えたのか、竜一の所までやってくる。
「俺としてはそうあって欲しいんだが……な」
竜一は警戒を解かない。こういう所で敵に背を向けて、後ろからズトンというパターンがあるからだ。
実際の戦場でも、死んだと思われた者が最後のあがきで決死の反撃をしてくる場合もある。
そう考えて少し待っていると、人形から電子音のようなものが発せられ始め、ゆらりと起き上がった。
『操縦者、接続解除。コレヨリ、オートモードニヨル稼働ヲ開始シマス』
「……やっぱりな」




